第23話 長男と三男
明らかにそれは必要ないだろうという、職人が物を造るときに使う空気を噴き出して埃を飛ばす魔道具の説明をイセリアからアレンが聞いている最中、床に寝かされていたジーンが小さくうめき声をあげる。
その声を天の助けのように感じつつ、アレンは手でイセリアを制してジーンのもとへと向かった。ジーンは片肘をついて身を起こしキョロキョロと視線を巡らせていたが、アレンの姿を見てその視線が定まる。
「アレン兄さん」
「よう、ジーン。体調はどうだ?」
「うん。悪くないね。久しぶりに眠った気がする」
「相変わらずだな」
予想通りといえば予想通りのその反応にアレンは苦笑しながら手を差し伸べ、手を握ったジーンをそのまま引っ張り上げた。
本当はアレンよりも身長が5センチ高いのに体重は圧倒的に軽く、しかも猫背であるために立ち上がったジーンの姿は風が吹けば飛ばされそうな印象を受けるようなものだった。
あくびを噛み殺すようにして軽く頭を振って眠気を飛ばしたジーンが、アレンになにか言おうとしたのだが、その背後にいるイセリアに気づき一瞬顔をひきつらせる。しかしそれはすぐに安堵へと変わった。
「……僕を助けてくれた人かな? 兄さんの知り合い?」
「説明がはぶけて助かるが、どうしてその頭の良さを自分の体へと向けられねえんだよ、お前は」
少し乱暴にジーンの前髪を手櫛で整えて目を出してやり、ついでに頭をぐりぐりと撫でながらアレンがため息混じりにそんなことを言う。
それに対し、ジーンは全てなされるがままじっと立ってイセリアをその細い目で見つめていた。
「助けてくださりありがとうございました。僕にはなにもお返しできることはありませんが、きっと兄さんがなんとかしてくれると思います」
「は、はぁ」
見つめられたと思ったら突然感謝を告げられ、しかしその感謝の言葉に続いたあまりな言葉にイセリアが目を丸くしながら小さくうなずいて返す。
そのやり取りを見ながらアレンは大きなため息を吐く。
「うん、とりあえずその俺になんでも振る癖が直ってないってのはわかった」
「そうだね」
「いや、否定しろよ」
迷いなく同意してきたジーンの言葉にアレンが思わず突っ込む。しかしそれに対してジーンは真面目な表情で首を横に振った。
「事実を捻じ曲げることは、研究者として容認できないんだ」
「いや、そもそもその癖を直せと言っているのであって、そんな大層な話じゃねえからな。はぁ、まあいいや、とりあえず飯にするか。イセリアもなんかすまねえな。礼は後で考える」
「い、いえ。お礼が目的で助けたわけではないのでそれはどうでもいいのですが、色々驚いてしまって。久しぶりの兄弟の再会を喜び合うとか、そういうのを想像していたので」
そのイセリアの言葉にアレンが内心で納得する。
確かに今のアレンとジーンのやり取りは久しぶりに会った者がするようなものではないとアレン自身もわかっていた。そして本から得たのであろうその知識と現実のギャップにイセリアが驚いていることも。
そんなアレンとは違い、ジーンは理解できないとばかりにそっけなく告げる。
「意味がないからね」
「えっ?」
「あー、まあジーンはこういう奴なんだ。とは言え男兄弟の再会なんて程度の違いはあってもあっさりしたもんだと思うぞ。人にもよると思うが」
「そうなのですか」
べしっとジーンの頭をはたきながらそうフォローしたアレンの言葉に、イセリアが少し残念そうな顔をしながら納得を示す。
実際アレンも他の家庭の実態に関して詳しく知っているわけではないが、ジーンの性格を抜きにしても再会を喜び合って熱く抱擁を交わすというようなイメージは全く湧かなかった。
何十年と生き別れなどになっているのであればいざ知らず、ジーンとは別れてからまだ一年も経過していないのだから余計にそうだったのかもしれないが。
そして三人はテーブルへと着き、自己紹介などをしながら食事を始めた。
イセリアのことをアレンが冒険者仲間だと言った時に、少しだけジーンの目が開かれたこと以外は特につつがなくそれが終わる。とはいえそれは、色々と自分の中で結論を出してしまい言葉足らずになりがちなジーンのことをアレンが的確にフォローしていたおかげでもあったが。
淡々と、しかし一切留まることなくその細い体に食事を詰め込んでいくジーンにおかわりをよそってやりながら、アレンが気になっていたことを問いかける。
「そういやフーノって娘に会ったんだが、お前の婚約者ってマジか?」
「そうだね」
「うえっ、マジで!? てっきりフーノの思い込みかなんかだと思ってたんだが。しかしジーンが婚約かぁ」
「うん、なんとなく楽だったから」
そのジーンの言葉に、イセリアの表情がさっと冷めたものに変わる。確かにジーンの今の発言を聞けば十中八九良い印象に捉えるものはいないはずだ。
相変わらず、頭は良いんだけど馬鹿なんだよなぁ、とそんなことを考えながらアレンがフォローに回る。
「お前にしては最大級の褒め言葉だな。でももう少し言葉を選べよ。そこに怖い顔したお姉さんが居るってことに気づけ」
「怖い顔なんてしてません!」
「その認識は間違っているかな。現状を正しく認識してこそ、その先へと進めると、かの有名な……」
「いや、お前も同じだからな」
首をぶんぶんと振って否定するイセリアにジーンが冷静に突っ込んでいこうとするのを、アレンが苦笑しながら遮る。
そしてイセリアへと視線をやって目があったことを確認すると、アレンはその指をジーンの頬へと向けた。
「ほら、頬が赤くなってるだろ。あいつアレで恥ずかしがってるんだよ」
「えっ?」
アレンの指摘に驚きつつそちらを見たイセリアから、ジーンが目をそらす。しかしその僅かに赤みを帯びた頬を隠すことはできなかった。
「そもそも楽というのは人間の生活において重要な要素の一つであり、それを求めるからこそ人は知識を求め、研究を進めたということは歴史的に見ても間違いはない。こういった背景から考えても、結婚相手に求めるものとして、それは十分に価値があると言えるでしょう」
「都合が悪くなると口調が変わったり、小難しいことを言ってごまかす癖も変わってねえな」
「くっ」
生暖かい目でアレンに見つめられ、ジーンの顔が傍目にもわかるくらいに赤くなっていく。その姿に、事情を察したイセリアは顔をアレンと同じような表情へと変化させた。
じっと二人に見つめられたジーンは、アレンによって整えられた前髪をくしゃくしゃっと混ぜて目元を隠し、そして長く細く息を吐いてから空気を変えるようにこほんと咳払いをする。
「それより兄さんのほうこそどうなの?」
「おぉ、お前がそんな返しをしてくる日が来るなんて……冗談だから睨むなって。俺も、ふんぎりをつけて前へ進んだよ。まあレベッカにケツを叩かれたって感じもするけどな」
「そっか」
アレンの答えにジーンの口元が緩む。その反応はジーンがアレンのことを心配していたということの証左だった。
その後、ついこの前やってきたレベッカの話や、騎士となったエリックのこと、ライラックの街で起きたスタンピードの顛末などを話して聞かせ、ときおりそれにイセリアも参加したりしながら食事は進んでいった。
そしてそれらが全て終わる頃には、普通の人であれば5人前以上の量があったはずのアレンが用意した食事はすっかりと空になっていた。
「よ、よく食べきりましたね」
「頭を働かせるにはたくさんの栄養を取り入れる必要があるから」
「それが本当かどうかはわからんが、兄弟の中で一番こいつが食べるのは確かだな。その割に全然太らねえし。そのことでよくレベッカと言い争ってたな」
「金銭面での負担になっていることは確かだったけど、食べるものは安い食材にしたりとそれなりに僕は工夫していた。あれはレベッカが僕の体質を羨んだ逆恨みだ」
「なんかどっちもどっちな気がします」
レベッカのことを多少知っているイセリアによるその推測に、アレンが苦笑いしながらうなずいて返した。
そばで見ていたアレンの感想としては、正にその通りだったのだ。レベッカはまだ子どもなんだからちょっとぐらい太ったとしてもすぐに戻ると思うぞ、と余計な一言をアレンが言ってしまい火に油を注いでしまった経験があるということも大きかったが。
カップに残っていたお茶を飲みほし、ジーンがふぅ、と一息ついてから立ち上がる。
「ありがとう、兄さん。じゃあ僕は研究に戻るよ。泊まるつもりなら2階に使ってない部屋が2、3あるから適当に使って。何もないけど」
「了解。奥の部屋はなにも触ってねえから安心しろ」
「うん、兄さんだしね。信頼してる」
そう言って部屋の奥の扉へと向かって歩いていくジーンの後姿を眺め、そしてふと気になったことをアレンがその背に向けて問いかける。
「そういやジーンは今、なんの研究をしてるんだ?」
この学術都市国家キュリオにいる者は研究者のみならず学生であっても何かしらの研究を行っているということをアレンは前回来た時に聞いていた。既にジーンはなにを研究するか決めていたらしいのだが、その時はアレンに教えてくれなかったのだ。
ジーンがその足を止め、上半身をひねってアレンの方を向き、そして少し嬉しそうにしながら口を開いた。
「僕が今研究しているのはレベルアップにおけるステータス上昇値の法則性と、確率による補助数値存在の可能性だよ」