第1話 雑用ギルド職員とスライムダンジョン
「はあ~」
面倒だから切ったとでも言わんばかりに不ぞろいな茶髪を揺らしながら歩いていた男が、深いため息を吐きながら目の前にいるゼリー状のモンスター、スライムを踏みつける。
ぐちょっという普通ならば気持ちの悪い感触にもその黒に近い茶色の瞳は幾分も揺れることはなく、男の表情も全く変わらない。まあ変わらないと言ってもその顔はやる気の感じられないやさぐれた顔ではあるのだが。
その男は潰れたスライムから小指の先ほどの魔石を取り出し、腰に下げた使いこまれた袋へと入れた。
子供でも踏めば倒せるスライムの魔石の価値など無いに等しいが、しっかりと仕事をした証明として持って帰らなければならないのだ。
「なんだかなあ」
薄暗い洞窟の中で独り言を呟きながらスライムを踏んで倒しているその男の名はアレンという。29歳の元冒険者で、現在は冒険者ギルドの新人職員である。
冒険者ギルドとは人の害となるモンスターを狩ったり、護衛任務をしたり、時にはお使いをしたりする、ある意味では何でも屋ともいえる冒険者たちを取りまとめる組合だ。
冒険者となるには特に資格などはいらないのだが、モンスターと戦ったりする危険な仕事がその大多数を占めている。そんな職業に就く者は荒くれ者も少なくないため、そんな冒険者たちを管理・監視していくための組織が冒険者ギルドだと言った方がわかりやすいかもしれない。
そんな冒険者ギルドではあるが、その仕事の1つにダンジョンの適正な管理というものがあった。
ダンジョンとはモンスターを作り出す不思議な空間のことである。
その中ではモンスターを倒しても、一定時間経過すればどこからともなく自然に発生してしまうし、それだけでなく誰が設置したわけでもないのに死んでしまうような罠が仕掛けられていることもあった。
これだけ見るとあまりメリットがないようにも思えるが、モンスターが発生し続けるということはその体内から採取できる魔石やそのモンスターの皮や肉などの素材が得られるということでもある。
モンスターの皮は服や靴などに使用され、肉は食肉として、そして魔石は照明などの魔道具の燃料として、人々の生活を豊かにしてくれる。
つまり別の見方をすれば資源の宝庫とも言える訳だ。
またダンジョンには主に深層になるが宝箱が設置されていることがあり、そこから見つかった財宝によって億万長者になったという冒険者も1人や2人ではない。それも人々をダンジョンに惹きつける魅力の1つだった。
若者たちはいつか自分も、とそんな夢を見ながら冒険者になり、そしてそのほとんどが夢破れていく。それがダンジョンという場所だった。
アレンが現在いるのはそんなダンジョンのうちの1つ、通称スライムダンジョンだ。
このスライムダンジョンはダンジョンであるのにもかかわらず、アレン以外には誰も入っている者はいない、そんな寂れたダンジョンだった。
その理由は入場に制限がかかっているなどといった訳ではなく、ただ単純に魅力に乏しすぎるせいで不人気だからだ。
ダンジョンの名前通りこのスライムダンジョンにはスライムしか存在しない。
ごつごつした岩の内部に出来たような洞窟型の地下3階層の構造をしているが、出てくるスライムの強さは似たり寄ったりであり、その弱さは踏むだけで子供でも倒せるほどなのだ。
モンスターを倒せば経験値が得られ、それが一定量溜まるとレベルアップする。
しかし子供でも倒せるほど弱いスライムを、大の大人が倒して得られる経験値など微々たるものであり、得られる素材も同じく微々たる価値しかない小さな魔石のみだった。つまり稼ぎにもならない。
階層が浅いため宝箱も期待できず、もはや来る価値なしと誰もが認めるダンジョン、それがスライムダンジョンだったのだ。
そんな価値のないダンジョンになぜアレンがわざわざ来てスライムを倒しているかと言えば、ギルドの仕事の1つであるダンジョンの適正な管理のためであった。
ダンジョンの特性として誰もダンジョンに入らず放置し続けると、スタンピードと言ってダンジョンのモンスターが大量に外へとあふれ出る現象が引き起こされるのだ。
そもそもダンジョンはその領地を治める貴族の所有物であり、その管理を冒険者ギルドに委託しているに過ぎない。そんな冒険者ギルドがその管理を怠り、スタンピードを起こしたとなれば、確実にギルドの上部の人間の首が物理的に飛ぶことになる。
それはこのスライムダンジョンでも変わりはない。人的被害は出ないかもしれないが農作物や家畜に被害が及ぶ可能性があるためだ。
通常ならばギルドの職員が行くのではなく依頼を出して冒険者に行ってもらうのだが、不人気すぎて誰も受ける者はいなかった。
それで仕方なく元冒険者であるアレンにお鉢が回ってきたという訳だ。
「くっそー、あのギルド長。人をこき使いやがって。前任が辞めたのって絶対これのせいだろ!」
以前は高名な冒険者だったが、今となっては見る影もなくぶよぶよと太った頭の薄いギルド長の顔をスライムに重ね合わせながら、アレンはいらだち紛れに何度もそれを踏みつぶす。
一瞬気持ちがスカッとしたが、残っているのはぐちゃぐちゃになった自身の靴と魔石だけでギルド長の顔が潰れたわけではない。
「はぁ、虚しい」
前任の職員が辞めたことによって、運良く冒険者ギルドへとアレンが就職できたのは1か月前のことだ。
そしてその日からずっと続く1人でスライムを踏みつぶす日々はアレンの心を早くもむしばみ始めていた。このままで俺は大丈夫なんだろうか、そんな事をアレンが考え始めたその時……
ゴゴゴゴゴゴ!
「うおっ」
突然のダンジョンの鳴動にアレンが驚きの声を発しながら壁に手を着く。そしてそれとほぼ同時に思いっきり顔をしかめた。
しばらくすると揺れは収まりダンジョンは平静を取り戻したが、アレンの表情が良くなることはなかった。
「まじかよ。うわぁ、仕事が増えたじゃねえか」
アレンが胸元からこのスライムダンジョンの地図を取り出す。この地図はギルドが数年前に作成したもので、罠の位置やモンスターの初期発生位置が描かれたものだ。
こういったものを作ることで冒険者の死亡率を減らし、より効率的にダンジョンを攻略できるようにするのも冒険者ギルドの仕事ではあるのだが……
「はぁ、入り口から調査し直すか」
アレンは頭をがしがしと乱暴にかきながら入り口に向かって歩き始める。
先ほどの鳴動はダンジョンの構造が変わった合図なのだ。つまり今アレンが手に持っている地図に描かれた罠やモンスターの発生位置はすでに変わってしまっており、この合図の後でも唯一変わらない地形を確認する目的以外では全く役に立たなくなったことを意味していた。
ダンジョンの構造が変わった場合、地図の作製は最優先の事項になる。それをこなすだけの実力があれば、冒険者もギルド職員でも変わりはなかった。
そもそも構造が変わるのは10年に1度あるかないか程度ではあるので、全く関わったことのない幸運な冒険者もいるにはいるのだが。
「しかし俺以外入らないこんなダンジョンの地図なんているのか?」
ぶつくさと文句を言いながらもアレンは入り口から調査を始める。その足取りは先ほどまでと比べればかなり慎重だ。
ダンジョンの構造が変わろうとも基本的に出現するモンスターに変化はないので出てくるのはスライムだけである。つまりモンスターに関して危険性はほぼない。
問題となるのは罠の方だった。
3階層しかないスライムダンジョンならば、そう大した罠が設置されることはないという事をアレンは経験上知っていた。
しかしそれでも罠は罠。不意にかかってしまえば大怪我をすることもありえた。
アレンは12歳から冒険者をしていたベテランである。その経験の中で斥候の役割を請け負ったことも少なくなかった。
そのため、アレンはそれほど苦労することなく罠を発見し、わざとそれを発動させてどのような罠か確かめながら地図へと書き込んでいった。
臨時でパーティを組んだ時には他のダンジョンでもっと難しい罠を相手にしていたのだ。3階層しかないスライムダンジョンの罠で苦労するようなことなどなかった。
昼前には1、2階層の罠の調査が終わり、簡易な昼食を食べ3階層の調査へとアレンは乗り出した。
最下層である3階層の調査も問題なく進んでいく。そもそもスライムダンジョンは3階層あるのだが、全部の経路を廻ったとしても1日で回り切れてしまうほど狭く小さなダンジョンなのだ。
罠もあるがすぐに発見できるようなものばかり。アレンはさっさと調査を終わらそうと少し足を速め、1つの小部屋へと入る。
何の変哲もないその小部屋に罠がないことを確認すると、アレンは中央に鎮座していたスライムを踏み潰す。その次の瞬間、その足元に白い光の魔法陣が浮かび上がり、ピコンという音がアレンの脳内で響いた。
「うおっ、マジかよ。ステータス」
アレンの前にアレンだけにしか見えないステータスボードが広がる。そこに表示されたアレンのステータスは想像通りの変化を遂げていた。
予想が当たったにもかかわらず、全く嬉しそうな様子など見せず、逆にアレンが頭を抱える。
「うわっ、やっぱレベルアップの罠かよ。こんな浅い場所にあるなんて、かなり珍しいな」
アレンのステータスボードに表示されていたレベルは168。先ほどまでは167だったので罠によって1レベル上がったことになる。
それだけを聞くとラッキーな罠のようにも思えるが、このレベルアップの罠には命の危険は全くないが落とし穴があるのだ。そのせいで死亡するような罠を除けば、冒険者に嫌われている罠の代表格と言っても良かった。
発動するまで罠の存在が外見上わからないなどの理由もあるのだが、嫌われる最も大きな理由としては、レベルアップにより上昇するステータスがすべて1で固定されてしまうことにあった。
通常であるならレベルアップ時には1~10の数値の間で能力が上昇するのだ。それが全て1になってしまうということはレベルアップしたのにもかかわらずほぼ成長していないのと同義。嫌われるのも当然だろう。
ちなみに通常のレベルアップ時に上昇する数値はそのレベルアップをするまでの行動によっておおよそ決まっていると言われ、戦士であれば攻撃力や防御力が、魔法使いであれば魔力や知力が上昇しやすくなっている。
上昇する数値を平均すると4から5程度だ。
もちろんレベルアップによる恩恵を最大限に受けるために上昇する数値に条件等がないか研究もされているが、経験則以上のことが判明したなどという事は冒険者生活の長いアレンも聞いたことがなかった。
「ははっ、いっそのこと上限まで上げちまうのも手だな」
少しやけになりながらアレンがそんなことを言う。なぜならアレンのステータスはレベルの割に低く、平均的でどっちつかずのものだったからだ。
年の離れた弟や妹を食べさせるために冒険者になったアレンは、長い期間家を離れることが出来ないため固定のパーティを組むことが出来なかった。
そのため単独もしくは臨時パーティを組んでここまでレベルを上げてきたのだ。
臨時パーティを組む時は、その要望でアレンの役目は戦士、魔法使い、斥候と様々に変わった。
それが出来るからこそ色々なパーティに呼ばれたのだが、逆に言えば同じレベル帯の者からすればアレンのステータスは良く言えば平均的、悪く言えば中途半端で使えないというものになってしまったのだ。
そしてそのことを十分アレンは自覚していた。ある意味ではコンプレックスになってしまっていたとも言える。
半ば本気でそうしようかと考えつつもアレンは調査を進め、最奥のボス部屋でこのダンジョン最強の存在であるヒュージスライムをあっさりと倒し、すべての部屋を回り終えた。
宝箱が出ることもなかったし、新たな地下への階段が出来ており階層が増えた、などということもなかった。
なんてことのない変化だったなと少し落胆しつつ、アレンは一応ボス部屋の調査を行う。
とはいえボス部屋に罠があることは基本的にはない。自ら罠を張るようなボスもいることにはいるがヒュージスライムはそういったことをするようなボスではない。
帰ったら何を食おうか、そんなことを考えつつアレンが壁を調べていたその時だった。
入り口近くの壁の隅、アレンでも注意深く見なければ気づかないほどかすかな違和感がそこにはあった。アレンが見つけられたのははっきり言って偶然。そんなレベルのものだ。
アレンが緊張した面持ちで壁を調べ、見つけた稼動する壁を慎重に押す。
すると、ゴゴゴゴという音とともにアレンを奥へと誘う隠し通路が目の前に現れたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
本作は読みやすさを優先するため、この1話以降の前書き、後書きについて更新後しばらくしたら削除していきます。
感想などお待ちしておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
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