絞首台へ至る廊下
軽間雁蔵に対する死刑執行の命令書を受け取ったのは6月のとある朝だった。刑務官として職務に就いて10年あまりになるが、私が命令書を直接受け取るのは初めてのことだ。
最近は、死刑執行の当日まで刑務官に伝達があるわけではない。事前に知らせてあると、担当の刑務官がその情報を外部に漏らす危険があるからだそうだが、本当のところはわからない。正直なところ、この決まりごとは気持ちのいいものではない。相手は死刑囚と言え、今日突然、その人物が『死ぬ』ことを知らされるわけだからだ。
6月に入って、昼間の気温は高くなった。外を歩けば少し汗ばむ陽気だ。しかし、朝はまだそれほどではなく、湿っぽい冷たさを感じる。私はその命令書を受け取ったとき、部屋の温度はひんやりとしたものだったが、額に流れる汗を感じながら命令書の文面を見つめた。ついに来たかという冷静な思いと、これからひとの死に関わるのだという緊張感がない交ぜになった奇妙な感覚である。どこかふわふわして、現実味が感じられない。
「しっかりと務めるように」
所長の声は事務的で抑揚のない調子だった。粛々と、何の感情も交えずに職務を遂行せよ、ということだ。しかし、どこか上の空だった私はきちんと返事をすることも忘れて無言でうなずいてしまった。
今日、死刑が執行される軽間のことはあまり詳しく知らない。直接関わることが少なかったからだ。そんな者が執行当日の担当になることは別に珍しいことではない。大きなストレスを抱える仕事だけに、やはり当日の担当者はいろいろと条件が考慮されている。当人が通院中など健康状態に不安がある場合はもちろんだが、妻が妊娠中であるとか、親族に不幸があって、喪中あるいは忌中である者は外されている。日頃関わってきた者が担当するとは限らないのだ。
もちろん、拘置所へ送られる人物について詳細の資料は渡されるし、目も通している。とは言え、いずれ死刑に処される人物を詳しく知りたいという気持ちになれず、深く読み込むことはしていない。情が移る……などということは起こらないが、それでも、その人物のことを深く知れば、その人物の死に何か思うところが湧くかもしれない。この仕事を続けていくのに、そんな感情が湧くのはいただけない。私はあくまでドライに接していこうと考えていた。
さっき、軽間のことはあまり知らないとしたが、もちろん、何の事件で送られてきたのかよく知っている。軽間は『尼崎隣家殺人事件』の犯人だった。
『尼崎隣家殺人事件』は、今から3年前の11月15日、尼崎市内で、とある一家が全員惨殺された事件だ。被害者は50代の男性とその妻、20代の長女と10代の次女の4名である。事件発生時の深夜零時過ぎ、被害者宅の前を警ら中の警察官が通りかかったことが事件発覚のきっかけである。被害者宅の玄関は開け放たれており、そこから明かりが漏れていたことを警察官は不審に思った。この日は11月でも特に冷え込んでおり、玄関を開け放しているのは不自然だった。さらに、あからさまに不用心である。警察官は念のための確認に玄関の中をのぞいてみた。すると、玄関から続く廊下にひとりの男が血まみれの状態で横たわっている。警察官が慌てて飛び込んで男のそばに駆け寄ると、男は寝息を立てて眠っていた。深刻なケガをしている様子もない。警察官は安どのため息をついたものの、警戒心を解くことなく辺りに注意を払った。男が血まみれになっていた理由の説明がついていないからだ。警察官は男から続く血の跡をたどって居間に足を踏み入れた。そこで死体となったこの家の夫婦を見つけたのである。
警察官はすぐに応援を呼び、廊下で眠っていた男は駆けつけた警察官たちによって拘束された。この男が軽間雁蔵である。軽間はこの被害者宅の隣にあるアパートで独り暮らしをしていた。事件当時は40歳で、大阪市内の梅田にある排水管工事の会社で働いていた。勤務態度の評判はあまり良くない。たびたび遅刻をする、ケンカ腰ですぐ周りともめる、など素行に問題があったのだ。当然、重要参考人として軽間の尋問が行われようとしたが、その尋問はすぐには始められなかった。当時、軽間は泥酔状態で、意識も朦朧としていたのである。軽間の酔いが醒める間に、警察は被害者宅の詳しい捜査を行なった。その結果、さらに夫婦の娘が2階の自室で殺されているのが見つかったのである。全員、鋭利な刃物でメッタ刺しにされていた。凶器のサバイバルナイフは被害者のひとりである男性のそばに落ちていた。特殊なナイフで一般に出回っているものではない。あらかじめ用意されたものと思われた。
その後、酔いの醒めた軽間は警察から厳しい取り調べを受けた。軽間は事件当夜のことをまったく覚えていないと答えた。その日は会社を出て、近くの居酒屋に立ち寄ったことまでは覚えているが、それ以降のことはまったく記憶にないと主張したのだ。
警察が軽間の主張を信じなかったのは言うまでもない。軽間の足跡――被害者の血によって生じたものだが――は居間から続いていた。軽間は被害者たちが倒れている居間を通って台所に足を踏み入れていた。そこから再び居間を通過して廊下に出ていたのである。いくら酩酊状態でも、かたわらの遺体を気にも留めずに通過できるものだろうか? 警察は厳しく追及した。
捜査が進むにつれ、軽間には疑わしい点が続々と見つかった。軽間と被害者との間にはトラブルがあった。正確には被害者のひとりである長女とである。軽間は彼女に交際を迫っていたが、彼女は断り続けていたのだ。粘着質なところが気味悪がられたようだ。ただし、ストーカー行為と言えるほどではなかったようで、長女を含め被害者から警察に相談はされていなかった。この事実は長女の友人や妹の友人から証言が得られた。この事実が後に軽間の動機とされた。交際を断られた軽間の身勝手な怨恨によるものであると。
警察が軽間を疑ったのは動機からだけではない。事件発生時の軽間の行動にもおかしな点が見られたのだ。軽間は被害者宅の台所に足を踏み入れていたが、それが台所にあった酒を飲むためだったとわかったのである。軽間は血まみれで倒れている被害者たちを横目に、ウイスキーを瓶ごとラッパ飲みしていた。ウイスキーの瓶に、軽間が口をつけた痕跡が見つかったのである。
ここで、警察は事件の状況を次のように推察した。軽間は事件当日、会社帰りに居酒屋へ寄った後、被害者宅へ侵入した。時刻はおよそ20時半ごろ。遅くとも21時までには侵入したと思われる。これは被害者の死亡時刻から割り出されたものだ。軽間は2階の自室にいた長女を襲って殺害した。さらに隣の部屋の次女を殺害。軽間はそこから階下に降りて、居間でテレビを観ていた夫婦を襲ったのだ。被害者の死亡時刻に多少のずれがあることと血痕などの痕跡により、そのような順序で犯行が進んだとみられる。犯行後、軽間は台所へ侵入し、ウイスキーを大量に飲んだ。そして、酩酊状態となって廊下で眠っていたのである。それは自分の犯行を計画的なものではなく、酒による意識喪失下での過失致死に見せかけるためと考えられた。当然、『記憶にない』という軽間の主張は、罪を軽減させるための嘘であるとされた。
軽間の裁判は早く決着した。軽間には動機があり、あらかじめ凶器が用意されていたことから殺意は明確である。また、自分の犯行をごまかそうとした痕跡が残っている。犯行は極めて残酷であり、ごまかしをはかった行為は悪質とされた。一方で弁護側は被告の無罪を主張した。被告が真犯人であるなら、被害者が誰ひとり騒いでいなかったのはおかしい。犯行時刻、近所に住む誰も事件に気づかなかった。犯行は深夜ではなく、多くの者が起きていた時間帯である。つまり、被害者たちは軽間に襲われたとき、誰も助けを求めず、声をあげることすらなく殺害されたことになる。被害者は4人もいるのだ。そういうことがあり得るのだろうか? たとえば、被害者の男性は左腕を何度も斬りつけられ、腹部を刺されたあとに頸動脈を斬られて絶命していた。その間、男性は叫ぶことすらできなかったのだろうか? 犯行は長女、次女、夫婦の順だが、軽間はなぜ、階下の夫婦を後回しにして2階の長女を一番に狙ったのか? それより、階下の夫婦に見とがめられずに2階まで侵入することが可能だったのか? 歓迎されていない軽間を夫婦自らが家に入れたとは考えられない。まとめれば、軽間に犯行は可能と言えるのだろうか? 結果的に、これら弁護側の主張はすべてしりぞけられた。事件現場に血まみれの状態で見つかったのは、犯行を目撃されたに等しかったのだ。
裁判の判決は死刑だった。弁護側は控訴したが、軽間がそれを取り下げて確定した。こうして軽間はこの拘置所へ送られたのである。
日本では死刑の判決が下ると、一定の期限までに執行されなければならない。しかし、この決まりは事実上守られていない。執行には法務大臣の承認が必要で、それなしで刑が執行されることはない。死刑判決を受けたにもかかわらず何十年も拘置所に留め置かれている者がいるのはそういうわけである。大臣によっては速やかにハンコが押されることもあり、軽間の場合は比較的早く承認されたほうである。世間ではストーカーによる殺人事件が増加しており、軽間はこうした傾向に対する警告と『見せしめ』のために刑の執行が急がれたのかもしれなかった。
たしかに世の中にはいろいろと事件が起こっている。犯罪の抑止力として『見せしめ』が必要なこともあるだろう。人間はそれほど道徳的な生き物ではない。悪いとわかっていても倫理観から外れた行動をするものだ。それは私だって例外ではない。ただ、私の場合はひと言で『不貞』と呼ぶものだ。犯罪とは異なる。
私は数年前に、「サリ」という女性と不倫関係にあった。サリは高校時代の元カノである。高校を卒業して間もなく別れて、それぞれ別々の者と結婚した。私の妻は厳格な性格で、正直なところ辟易させられるところがあった。サリの夫は優秀な医者だが、何事も淡白で面白みのない男であるらしい。数年前の同窓会で再会した私たちは、そんなお互いの夫婦間の不満をぶつけあった。それがふたりで会うことになったきっかけである。不倫の関係になるのに時間はかからなかった。まずいことをしているという自覚はあったが、この背徳感には甘美なものも感じられた。それは彼女も感じていたらしい。私たちはこの『麻薬』に酔い痴れ、身体を重ね合っていたのである。
しかし、その関係は長く続かなかった。私たちが会っていたのは、私の勤務シフトが早番で、彼女の夫が夜勤の日に限られていた。私たちの逢瀬は月に2回ほどである。それも勤務体制の変更で会うことが難しくなり、ふたりの関係は去年の暮れを最後に自然消滅的になくなった。私は何食わぬ顔で現在も今の妻と夫婦生活を続けている。心の底に後ろめたさがないわけではない。しかし、私の場合は刑法に触れる犯罪ではないのだ。隠していたところで何の罪になると言うのだろう。私の沈黙で夫婦間の平穏は保たれる。それでいいではないか。罪の大きさには大小がある。小さい罪に対しては多少の『お目こぼし』は許されてもいいのではないだろうか。
軽間の部屋へ通じる廊下を歩きながら、私はそんな自己弁護的なことを考えていた。この拘置所に送られた者たちは死刑に値する罪を犯している。自身の命でしか贖えないほどの大きな罪を。しかし、一方でこれが少し理不尽なものであるとも感じていた。自分自身の犯した過ちに対する罪悪感が、重い刑に対する抵抗感を生んだのかもしれなかった。大小の差こそあれ、誰だって罪を犯すことはある。そんなに重い刑がなくてもいいではないか……。明らかに保身の気持ちから湧く考えである。
だが、そんなことは口に出すことはもちろん、おくびに出すこともしない。私の仕事は罪と罰のバランスを考えることではないのだ。日本の刑罰のシステムに異議を唱えるのではなく、システムに則って粛々と務めを果たす。それが私の役割なのだ。
私は気持ちを切り替えると軽間の部屋の前に立った。しっかりと通る声で軽間を呼ぶ。部屋の外へ出された軽間は大人しく私の前に立った。坊主頭で、だいぶ痩せた男だ。食事はきちんと摂っているから顔色は良く、健康的に見える。ただ表情はどこか虚ろで覇気がなかった。軽間はその力の無い目を私とその背後に向けた。すると軽間の表情がみるみる強張っていく。私の背後には数名の屈強な刑務官が立っていた。これまでにはなかったことだ。ここで死刑執行の通達はされないが、このただならぬ光景を目にすれば、少し鈍い者でもこれから処刑されるのだとわかる。刑務官が数人で死刑確定者にあたるのは、最後の抵抗に備えてのことである。自分がこれから死ぬとわかってもなお、無抵抗でいられるとは限らないのだ。
実際、軽間は自分の両腕を刑務官に取られると、それを振りほどこうとするそぶりを見せた。弱々しいものではあるが抵抗の気持ちを見せたのである。こちらにとっては想定内のことなので、私たちは軽間の両脇をがっちりと押さえて抵抗をやめさせた。軽間はすぐ大人しくなって、がっくりとうなだれた。私はそのとき露わになった首から入れ墨が彫られていることに気がついた。伝統的な日本風のものではなく、白い髑髏が口を半開きにして、そこから舌を出した洋風の入れ墨である。毒々しいながらもポップさを感じさせるものだ。私はその入れ墨に視線が吸い寄せられた。この独特な入れ墨に見覚えがあったからである。反射的に私は軽間の右手の甲に目を向けた。軽間の右手の甲にはXの形をした傷跡があった。ミミズがX状に重なったような盛り上がった傷跡である。
――私は軽間と会ったことがある――。
瞬間的に私は思った。いったいどこで、いつ? この男の生活圏は尼崎から梅田までの阪神間だ。私は勤め先の都島と自宅のある天王寺が主な生活圏だ。近いようでまるで違う。この男との接点は同じ関西に住んでいるという一点だけだ。これまでの経歴や交友関係にもまったくつながりがない。私が軽間と遭遇する偶然、しかも見覚えがあるほどの出来事があったとは思えないのだ。いや、排水管工という軽間の仕事から、生活圏とは関係なくどこかの現場で遭遇する可能性はある。私はいずれかの現場で軽間を見かけただけなのではないか?
私は心の中で首を振った。それでは首もとの入れ墨と右手の甲の傷跡に見覚えがあることを説明できない。至近距離で、しっかりと認識できるほど目にしなければそういうことにならない。つまり、私と軽間との間に何らかの接触があったのだ。
私は心の中に突如湧いた疑問に戸惑いながらも、軽間の腕をとって廊下へ出た。この廊下は刑が執行される刑場へ続いている。小さな拘置所なのですぐに着いてしまうが、それでも部屋から刑場まではそれなりの距離がある。死刑確定者は刑場に着くまでの時間、これからのことを思いながら歩くことになるのだ。短くも長い時間である。
――何だ。この不安な気持ちは? いったい、なぜ、こうも不安になる?
単なる記憶違いということだってある。それなのに、私の心は執拗に記憶の奥を探ろうとしていた。一方でそんなことをするなと制そうとする気持ちとがせめぎ合っていた。そのせめぎ合いに勝ったのは前者だった。
私は不意に、ある記憶が蘇ってきた。頭の中でパチンと電気を入れられたような唐突な感じだ。私は全身が凍り付いたようになって、思わず立ち止まってしまった。背筋を襲っているのは戦慄だ。そうだ。間違いない。軽間はあのときの男だ。私は軽間と偶然に出会っていた。それもあの殺人事件のあった夜に!
3年前の11月15日。私は心斎橋でサリと会っていた。この日は彼女の誕生日だからよく覚えている。
「会えないかな」
彼女は甘える声で電話してきた。「せっかくの誕生日に、ダンナは夜勤だって言うの」
私は快く応じた。そのころはお互い積極的に逢瀬の時間を作ろうとしていたのだ。
私が心斎橋の駅を降りたのが晩の8時半ごろ。彼女はすでに来ていて、私を見つけると嬉しそうに手を振ってきた。それから裏道を通ってホテルへ。そのホテルはふたりの気に入りで、すっかり行きつけになっていた。
ホテルの前に着くと、私は顔をしかめた。ホテルの脇に電柱が立っている。その電柱に抱きつくような恰好で、ひとりの男が座り込んでいたのだ。
「もう酔っぱらってる」
彼女は面白そうに笑ったが、私は面白くなかった。まったく見知らぬ者であろうと、誰かに見られてホテルに入ろうと思えなかった。自分が不貞行動をしている……。その後ろめたい気持ちを気づかされてしまうからだ。
「時間をずらすか、場所を変えないか」
私は彼女に囁いたが、彼女は首を振った。「平気でしょ、こっち見ていないんだし」
男はうなだれたままこっちを見る様子がない。電柱の明かりで首もとの入れ墨がよく見えた。白い髑髏が口を半開きにして舌を出しているものだった。意味のない唸り声をあげている。そっとしておけばこちらを見ることもないだろう。
「そうだな」
私はうなずくと彼女の肩を抱き寄せて入り口へ歩いた。そこで彼女と甘い時間を過ごし、ホテルを出たときには夜もふけていた。目の前の通りを歩くひとの姿もまばらになっている。
「やだ、あのひと、まだ寝てる」
彼女が私の肩をつかんできた。彼女が指さす方向には、電柱に抱きついていた男が同じ姿勢で座っていた。
「ほんとだ。もう終電が近いのに。大丈夫か?」
私が呆れた声をあげると、その声で起こされたように男が顔を上げた。いかにも寝ぼけているような表情で、自分の状況をわかっていないようだ。男は自分の頭をぼりぼり掻きながら立ち上がると、ふらふらした足取りで私たちに近寄ってきた。私は彼女を自分の背後に回した。仕事上、私は武道の心得がある。酔っぱらいが変な絡みかたをしても対処できると思っていた。
「お兄さん、ちょっと聞いてもええかな?」
男は寝ぼけ顔のまま尋ねてきた。呂律の回らないものではあったが、その声に危険なものは感じられなかった。
「何です?」私は努めて平静に応じた。
そのとき、男は自分の右手で左手首を指さした。右手の甲にX状の傷跡が浮かび上がっていた。
「今、何時ですか?」
手首を指さしたのは、腕時計のことを示したつもりらしい。私は苦笑いすると、自分の腕時計に目をやった。「今、11時です」
私の答えに、男は目を丸くした。
「あかん、もうそんな時間か。お兄さん、ありがとう」
男は手を振ると私たちに背を向けた。しかし、すぐ振り返ると、「ここ、どこです?」と聞いて来た。自分がどこにいるのかもわからなくなっている。酔いがまるで醒めていない様子だ。私は仕方なく男を駅まで連れて行き、そこで別れた。男は何度も礼を言って地下鉄に乗り込んだが、無事、自宅に戻れるか怪しいものだと思った。完全な千鳥足だったし、呂律も回っていないままだったからである。
男を見たのはそれが最後である。翌朝、私はテレビであの事件の報道を見たのだった。
私は軽間の横顔を見つめていた。この拘置所に送られてきたとき、軽間はすでに坊主頭で、記憶の男と様相が違って見えた。直接顔を合わせる機会はほとんどなく、軽間の顔を観察することもなかった。実のところ、軽間の顔をじっくりと見たのはこれが最初だった。そのせいで、これまであのときのことを思い出せなかった。
私は頭の中で急いで事件について整理した。事件が起きたのは20時半から21時にかけて。犯行はそれから少なくとも1時間以内で行われた。警察官が事件を発見したのは午前零時を過ぎたころである。一方、軽間は20時半から23時にかけて心斎橋で寝ていた。つまり、軽間には事件当日のアリバイがあったのだ。心斎橋から尼崎まで、車でも30分以上はかかる。たとえ高速道路を利用しても21時までに事件現場に入るのは難しい。さらに、犯行後に心斎橋に戻って私と会話しなければならない。そんな手の込んだアリバイ工作をするのであれば、そのことを口にしない理由がない。堂々と自分のアリバイを主張すればいいのである。だが、軽間はそれをしなかった。警察で供述した通り、軽間はその夜の記憶がまるで残っていなかったのだ。
「おい、どうした?」
私が硬直したように動かないので、同僚が不審そうな声で話しかけてきた。そう。粛々と、何の感情も交えず、私は軽間を死刑執行の場へ連れて歩かなければならないのだ。わかっている。しかし、私はその一歩さえ踏み出すことができなくなっていた。
私の頭の中は混乱しつつも、それでもどこか冷静に事件のことを考えた。軽間は事件当日、被害者の家に侵入したのはまったくの偶然の出来事だった。酔っぱらった頭で被害者宅に乗り込もうと考えたのかもしれない。もし、玄関が施錠されていたら、軽間は家に入ることができず、諦めて自室に帰ったことだろう。ところが被害者宅は施錠されていなかったので、軽間は侵入することができた。軽間はまっすぐ長女の部屋まで上がり込み、そこで死体を見つけた。
酔っぱらって正常な思考ができなかった軽間の行動を説明するのは難しい。しかし、軽間は隣の次女の様子を確認し、1階の居間で倒れている夫婦も確認している。酔っぱらっているものの、軽間は相当動揺したようである。彼は辺りを見渡し、台所のウイスキーを見つけた。それをラッパ飲みしたのは自分を落ち着かせようとしたからではないか。しかし、アルコールを口にして落ち着けるものではない。軽間は急なアルコールで目を回し、廊下で倒れて眠ってしまったのである。
それでは、あの一家を殺害したのは誰なのか。
あの裁判では、弁護側がある仮説を出していた。被害者の男性は左腕にいくつか切り傷があった。あれは自分の手首を切ろうとしたからではないのか。つまり、自殺をはかって付いた傷ではないかと指摘したのだ。男性は何らかの事情で一家心中をはかり、まず長女を、続いて次女を刺殺したのち、階下の妻を殺害したあと自らの命を絶ったのだ。家族の誰もが声をあげなかったのは、父であり夫である男性に不審を抱かず、その接近を許したからで、声をあげる間もなく殺害されたからではないか。犯行を終えた男性は手首を切って死のうとしたがうまくいかず、腹部を刺して死のうとした。しかし、それでも死にきれなかった男性は最後に自分の喉をかき切ったのではないか。裁判では検察が相手にしなかったこともあり、この仮説はまったく争点にならなかった。しかし、軽間が無実であるとわかれば、弁護側の仮説は被告を無罪にするためにでっちあげられたものではなく、正鵠を射た推理だったのではと思える。
「おい、いったいどうしたと言うんだ?」
同僚は苛立ちを抑えた声で話かけている。私は自分が次にどう行動するべきかわからなくなっていた。
軽間の無実を証明するべく、身体の向きを変えて所長や立ち合い検事に掛け合う。彼らは驚くだろうが、軽間の犯行に疑義が生じた状態で死刑の執行は行なわれないだろう。結果的にどうなるかわからないが、一旦は中止されるはずである。しかし、その場合、私は事件当日の私自身の行動を明らかにしなければならない。自分の不貞行為が明るみになってしまうのだ。通常であれば、一般人でしかない私の不貞行為が衆目を集めることはない。しかし、事態が事態なだけに、このことは大きく報道される可能性がある。妻に知られるだけでなく、世間全般に私の行為が曝されるのだ。おそらく、私は多くの非難を世間から浴びることになる。当然、妻からは離婚を切り出されるだろう。職場にも居づらくなる。強制ではなくとも退職を迫られる可能性だってある。自分の人生がむちゃくちゃになるのが目に見えてわかる。とても受け入れられることではない。
私の隣で軽間が嗚咽をあげ始めた。覚悟をしつつも、それでも自分の死を素直に受け入れられないのだ。本人は自覚していないが、犯していない罪で死ぬことに。このまま刑が執行されれば、私たちはひとりの無実の男を殺すことになる。いや、「私たち」ではない。この場合、軽間を殺すのは「私」ひとりなのだ。私の沈黙がひとりの人間を殺してしまうのだ。それは、私に取り返しのつかない大きな罪を背負わせることになる。刑法に触れない小さな罪を隠すために、私が背負う十字架は量り知れないほど重い。私はその重みに耐えられるのだろうか。それに殺すのは人間ひとりの命だけではない。そのとき、私の中にある「何か」も死ぬことを意味するのだ。
廊下には同僚の苛立った声と軽間の嗚咽が響いている。私はそれを聞きながら、自分の足がどちらに向けて歩き出すのか、その答えを出せないまま、死刑執行の刑場へ続く廊下の真ん中で立ち尽くした……。
この作品のレシピ:
F・R・ストックトンの『女か虎か?』に代表されるリドル・ストーリーをものにする。この物語はそれを目標にしたものだ。リドル・ストーリーは結末が明らかにされず、読者に委ねられているものだが、ひとによっては結末が明らかな場合もあるだろう。実際、この物語は倫理観や、背負う罪の大きさを考慮すれば、主人公である「私」の行動は一択である。しかし、人間の持つ保身の感情は、目の前の倫理観を簡単に覆してしまう。平気で嘘をつき、平気で他人を陥れる。世にさまざまな犯罪がはびこるのは、まぎれもない『自分可愛さ』からである。だからこそ、「私」の決断は謎になりうる。僕が描いた、この『皮肉』は、リドル・ストーリーとして成立すると考えるのである。