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「本当に家まで送って行かなくていいの?」

水族館からの帰り道、待ち合わせの場所と同じところで降ろしてもらうことにした。

もうすぐでその場所に着くというところで聞いてくる亘さんに、私は頭を振って遠慮した。

「大丈夫です。うちの周り道狭いですし、駅ビルで見たいものもあるんで」

私は今アパートで一人暮らしをしている。亘さんはアパートの場所を知らないし、私だって亘さんの住む場所を知らない。

私は意識的に話題にしなかったし、亘さんも話そうとしなかった。

所詮はその程度の間柄なのだ。

私が教えていないのは、最初の頃はいくら想い人で許嫁といっても私のアパートは女性専用なのでペラペラとしゃべるのはどうなのだろうと躊躇していたのだが、今ではそれに加えて、お別れする相手に教えても意味がないという思いも理由になっている。

例え教えたところで亘さんは来ようとはしないだろうし、余計な心配だと思うが。

車が見慣れた場所へと近づいていく。

夕暮れで赤く染まりつつある街中を窓越しに眺める。

もうあと五分もすればたどり着いてしまう。

今までで一番長くいたのに、不思議と今までで一番あっという間に時間が過ぎていった。渋滞にはまればいいのにと思ってしまう私の心とは裏腹に、車は順調に流れていく。

「卒業式、いつだっけ?」

ふいに、亘さんが口を開く。予想外の質問に私はパチパチと瞬きをした。

ちょうど信号が赤になり車が止まる。私の方を向く亘さんは少し子供っぽく口をとがらせていた。

「来月卒業だろ? せっかくだから休みでもとろうかと思って」

「・・・っ」

とっさに、言葉が出なかった。

呼吸の仕方すらも忘れてしまったように息が詰まった。

なんで、最後の最後でこんなにも幸せがいくつもいくつも舞い込んでくるのだろう。

せっかく覚悟を決めたのに、このまま亘さんの好意に甘えてしまいたいと考えてしまう。

亘さんはただ、許嫁という立場からいってくれているだけなのに。

「い、忙しいんですから無理しないでください」

「別に、一日くらい休めるさ。最近は有給使えってうるさいぐらいだし」

「今日、手帳忘れちゃったんで、後で確認しますね」

「ん。やっぱり卒業式は袴?」

「そうですね」

「楽しみにしてる」

楽しそうな亘さんの声が耳に入ってくるけれど、私にはとてもその顔を見る勇気がなかった。どんな顔をしていても、私の胸は締め付けられて、そのまま止まってしまうかもしれない。今だってこんなに痛いんだから。

「ひかり」

亘さんが私の名前を呼ぶ。

いつからこれが当たり前になったのだろう。

きっと私たちは、近づきすぎたんだ。いや、私が亘さんに近づきすぎてしまった。

そばにいられればそれでいいと思っていたのに。一生片想いなのは分かっていたのに。私はもう、それでは満足できなくなってしまった。

亘さんの全てが欲しい。

子供のような我が儘は、膨れに膨れ上がってもう破裂しそうだ。

「そこの道に車つけるから。気をつけて帰れよ」

「はい。今日は、ありがとうございました」

「こんなんでよかったらいくらでも」

車が止まる。

ここでお別れだ。

まだ亘さんの顔は見れなくて、ドアを開けて外に出る。ちょうど冷たい風が駆け抜けていって、熱の上がった頬を一瞬にして冷やしてくれた。

気持ちも少しは落ち着いて、これで亘さんの顔が見れる。

助手席側の窓が開いていて、運転席の亘さんが私を見て手を振ってくれている。私はもう一度ありがとうございましたと頭を下げて、笑顔で手を振り返した。

これで亘さんと会うのは最後だと思うと泣きそうになるけれど、亘さんの前では笑顔でいたい。私の意地だ。

路上駐車なのだから、あまり長く留まっていられない。

窓がせり上がって、車が動き出していく。

窓が完全に閉まりきる直前、亘さんの横顔が見えた。

亘さんの横顔が好きだ。

一目惚れをしたあの日から、一番好きなパーツといっても過言ではない。

見る度に胸が締め付けられる。

私には届かない人だと思い知らされるようで。

車が遠ざかっていく。

戻ってくることは、もう、ない。

触れることすら満足にできない、近くて遠い、私の片想い。

自然と、目が潤んでくる。

いっそのこと、身体の関係があればよかったのだろうか。そんな浅はかな考えまで浮かんでしまう。

手しか触れたことのない、曖昧な熱の交換は、憧れだけを強くして、恋い焦がれる気持ちをいたずらに加速させていく。欲求は果てしなく無限に湧き出てくる。その一つ一つが未知で、ふわふわとしていて、甘い綿菓子のような想像しかできない。

そんな綺麗なものではないと認識していれば、この思いとうまく決別できたのかもしれない。

「さようなら、亘さん」

涙と共に言葉がこぼれた。

好きです。大好きです。

一番の想いは、最後まで心の中に閉じこめたままだった。

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