序
一目惚れだったのです、といったらあなたは笑うでしょうか。
なんでもいいからそばにいたい。
そう、思ってしまったのです。
私はあなたの許嫁でした。
今時珍しいと思うでしょう。そんなものがまだ存在するのかと思うでしょう。
私も最初に聞いた時はそう思いました。
たった一人の孫娘が心配で仕方がない祖父が、「こいつは放っておくとどんな男を連れてくるか分からない。自分が相手を見つけてやらないと」とつれてきた男性があなたでした。
随分な言いぐさです。失礼しちゃいます。
けれど、あなたが私を見てくれないと分かっていながらあなたと共にいる選択をした私ですから、祖父の考えもあながち間違っていなかったのかもしれません。
八歳年上のあなたからすれば、高校を卒業したばかりの私など、さぞ子供に見えたでしょう。
年が離れているから、年相応の恋愛をした方がいいと遠回しに断るあなたの意見はもっともでした。しかし私はそれを拒否しました。
大人との恋愛に憧れていたともっともらしい嘘をついて。
上司である祖父の頼みと、あなた自身の弱みを私は知っていて、それを利用しました。
最初から私はあなたが他の恋愛をする気がないのだと知っていたので、ならば私と恋愛ごっこをしましょうと誘ったのです。
きっとあなたは気づいていなかったでしょうけど。
許嫁など形だけで、実際私たちはただ健全な交際をしていただけでした。交際ともいえないものだったのかもしれません。
会って、ランチをして、暗くなる前に帰る。
いくら私が未成年だからといっても健全すぎるつきあいでした。
私がねだるようになってから、手を繋いで歩くようになりましたね。
そんな些細なことが私は嬉しかったんです。
あなたは優しい人でした。
言葉数はそう多くなかったけれど、いつでも話題を出してくれて、私のくだらないであろう話もちゃんと聞いてくれて。それだけ気を遣っていたんだといわれてしまえばそれまでですが、それでも私は嬉しかった。
最初は他人行儀だった口調もくだけてきて、名前を呼んでくれて、連絡も取ってくれて。
なんて幸せな日々だったのでしょう。
好きになってもらおうと考えなかったわけではありません。むしろ何度好きになってくれたらいいのにと思ったことか。
でも、多くは望まないように心に蓋をしてきました。
だって、私が本気なのだと知れば、あなたは困ってしまうでしょう? あなたは私が飽きるのを待っていたのですから。
だから私は、そばにいればそれでいいなんて、自分に嘘をついていたのです。いえ、その気持ちは嘘ではありませんでした。本当はもっと欲張りだっただけです。
本当に、私は子供ですね。
こんな子供の私が、あなたの隣に立とうだなんて、そもそもが大きな間違いだったのです。
出会った頃の私は、このまま仮面のままで夫婦になるのもいいと思っていました。
我ながら幼い考えをしていたものです。
けれど、四年近くの月日が流れ、これではいけないと気付きました。
優しくてきっと素敵な旦那さんになるだろうあなたが、愛のない家庭を築くなんて、あんまりです。
過去の私は自分のことしか考えていなくて、あなたの幸せのことなんて見ていなかった。こんな当たり前のことに気付くのに何年もかかるなんて、バカにもほどがあります。
私を好きになってもらうのは、とうの昔にあきらめました。いえ、最初から期待していませんでした。
だって私は、あなたの恋愛対象外でしたから。
あなたはもうすぐ三十になります。ちょうど私も大学を卒業し春からは社会人になるので、今この時を潮時というのでしょう。
四年前は恋愛をする気のなかったあなたでも、家庭を持つのが現実的な年齢となれば心変わりもあるでしょう。
その相手に立候補するには私は幼くて、第一、こんなにも長い間私欲であなたを縛り付けてしまっていた私にそんな資格はありません。
だから最後に、私のわがままをかなえてください。