ジョーデン・エルワイスの後悔
『シャイファー・エンブリアに起こった出来事』の国王視点?
「……はぁ」
エルワイス王国国王、ジョーデン・エルワイスは執務室で盛大に溜息を吐き出した。
彼は今、後悔をしていた。
理由は愛しい娘の婚約者を公爵家長男から公爵家次男に変更したことだ。
*****
エルワイス王国は今現在、周辺各国との関係は良好であり、特に外交に力を入れずとも平穏が保たれていた。
そのためか、国王は末の姫の結婚相手に悩んでいた。
これが関係の強化が必要な環境であれば他国との政略結婚をする選択肢があったが、彼は末の姫を特に可愛がっていたために国内で相手を見つけると決めていた。
しかし、愛する娘の相手に相応しい相手を決めるのが中々踏ん切りがつかなかった。
何せ娘は妖精のように愛らしく、正に目に入れても痛くないほどだ。
そんな娘に苦労はさせたくないし、何よりすぐに会える距離にいさせたい。
選定は難航を極めた。
男爵、子爵は論外。伯爵家でも多くの家は凡庸で、残りの家は裕福ではあるが国王の目からすればどこか物足りず。
侯爵家は早々に自分たちに有用な婚約を結び、その早さに国王は王族との縁を軽視していると苛立ちを感じ、侯爵家は駄目だなと見切りをつけた。
さて残りは公爵家となったが、こちらもほとんど変わらない印象で、国王は自国の貴族に失望を禁じえなかった。
けれど他国は問題外なので、一応はマシな部類に入る家をいくつかピックアップした結果、王女と同じ歳の嫡男がいるエンブリア公爵家に、渋々決めることにした。
エンブリア公爵家は代々広大な領地を持つが特出した成果もなく安定した経営をしていたので、飢えることも生活水準を落とすこともないだろうと。
ただ、当主のワイファー・エンブリアは無能で、全て部下任せであるというのが気に入らなかった。
もう少し安心できる要素はないのかと調査した結果、公爵家の嫡男が厳しい教育を受けているというので、まぁそれならと公爵を態々王城に呼び出した。
「おお、王女殿下との婚約ですか。愛しの息子とのものであれば、光栄というものでございます」
「うむ。貴公の息子、シャイファーといったか。次期当主として勉学に励んでいると聞く。ならば我が娘を不幸にはせなんだと悩みに悩んだ結果だが、まかせる」
何やら不満気な表情を一瞬浮かべたのを見逃さず、叱責してやろうかと思ったが寛大な心で許してやろうと思い、その場は無事に話が纏まった。
さっそく顔合わせの場を設けてその結果を王女に確認した国王は、娘の満更でもなさそうな態度と感想に公爵嫡男に対して怒りを覚えた。
娘の関心を買う人間に対し、国王は大人気がなかった。
それでもやっぱり娘の笑顔は何よりも代えがたく、娘の笑顔のために、娘に相応しい待遇をと願われたので王子の側近候補に混ぜた。
王子たちからも公爵の息子は出来がいいと報告があり、王女も喜んでいることから国王の機嫌は連日良かった。
それも数日で終わりを告げた。
婚約者との交流ということで公爵家に王女を送り、何か不埒な事をすればすぐさま処刑する命令書を書き上げつつ待っていたら、娘が憤慨して帰ってきた。
すぐさま慰めつつ、あの餓鬼に何をされたのかと聞きだせば、何と可愛い顔をした公爵家の次男を話も聞かずに追い出そうというではないか。
すぐに処刑しようといきり立つ国王だが、そんなことをしては駄目だと王女に止められた。
王ならば寛大な心を持つべきだと。
王族として立派に育っている娘の姿に感動し、娘がそういうならば猶予を与えようと考える。
それからというもの、公爵の息子が城に来るたびに配下の者に監視をさせれば、王女は公爵の次男のことをよく気にして話題に上げ、公爵家の長男がそっけない態度なのに心を痛めているようだ。
なので公爵に連絡し、長男に同行させるよう手配すれば、王女は輝かんばかりの笑顔になった。
国王は考える。
王女は公爵家の次男を気に入っているようなので、長男はいらないのではないかと。
その考えはやがて確信に至る。
命令通りに兄弟そろって城に来た二人だが、侍従たちの話を聞けば長男が態々城内に来てまで次男を泣かせていたという。
まだ十に達していないとはいえ、貴族家の教育を受けた男児はちょっとやそっとでは泣かないものだ。それが人目を気にせず泣きじゃくるなど酷い暴虐があったに違いない。
夕食時、王族全員が集まった際に王女に公爵家の兄弟について聞いてみれば、長男に対して怒り狂っていた。
これは処刑だなと心の中で決めていると、王子がそれは早計だと苦言を呈してきた。
王女が不満を言っているのだから、排除するのは当然だと言い返せば、王子たちは裏付けをとると宣言した。
王子たちもいくら幼いとはいえ、貴族としての教育を施されているはずの次男が泣き喚く事態を重く見ており、自分たちの納得いく調査をしたいという。
それならばと任せてみれば、やはり公爵家の長男は信じられないいい訳ばかりを繰り返していたとの報告が上がった。
弟は甘やかされてばかりで、教育など何一つ受けていないと。
顔はいいが、それだけしか取り柄がないと。
国王は激怒した。
家族を愛する彼にとって、家族を悪し様に罵るような人間は許せるものではない。
国王はすぐに餓鬼の排除をする書類を書き上げた。
処刑するには手順が複雑で、王女から速やかな排除を涙目で懇願されたので国外追放の刑に処する。
さらに公爵を呼び出し、王子や王女も含めて話し合った結果、次男の方へ婚約者を変更することを決定。
そこで公爵に長男の廃嫡と国外追放の刑に対する同意書を提示してサインをさせた。
王女はそれはもう飛び上がって喜び、話し合いは慈愛に満ちた雰囲気のまま終わりを告げた。
ついにやってきた運命の日。
公爵家の長男は騎士に引っ立てられてきたが、ふてぶてしい顔をしていたのが国王の怒りを煽った。
最後の慈悲として王女の口から婚約者の変更を告げられたというのに、自分は悪くないとまったく悪びれない長男へ、その場にいた皆が怒りを向ける。
泣いて許しを請えば辺境に追放くらいに軽くしてやろうと思っていた国王も、公爵家の長男の態度に慈悲の必要なしと、国外追放を言い渡し、騎士にこの餓鬼を捨ててこいと命じた。
荷物のように運ばれているにも関わらず、表情一つ買えない餓鬼を見送り、やはりアレは排除して当然だったと自画自賛しつつ、満面の笑みで涙を浮かべる公爵家の次男を抱きしめる王女がこれから迎える幸せな生活を予想して満足げに頷いた。
*****
「あぁ……どうしてこんな事に。お父様、わたくし、どうしたらいいの」
「……そのような顔をするでない」
愛しい娘の嘆きに、国王は困り切った顔でそう言うしかなかった。
公爵家の長男を排除してから早数年。
当時はこれから素晴らしい人生が王女には待っていると夢想したが、現実はそうではなかった。
婚約者として毎日王女に会いに来る公爵家の次男──いや新しい嫡男。彼が王城で傍若無人な振る舞いをしていると報告が上がってきた。王女からも婚約者の振る舞いが目に余ると。さらに王子たちからも相談された。
最初は王女の婚約者という立場を妬んだ誰かの暗躍を疑ったものだが、毎日のように上がる不満の声に調査させようとした矢先。
執務室に忍び込んだ上に機密文書に落書きをされ、当然のように叱責すれば絶叫するように泣き喚き、さらには物を投げ散らかし、執務室を荒らされたことで国王はようやく公爵家次男について調査を命じた。
そうして上がってきた報告に、国王は愕然とした。
公爵家で行われたお披露目パーティーで初対面の娘に抱き着くという、貴族子息にあるまじき所業。さらにその商人の店に赴き、店を荒らすという野盗まがいの行い。
その商人は王家とも取引があり、なおかつ国外にも影響力があるために国王といえども無下にはできない程の大商人であった。
大商人の店を荒らしたことで公爵家は莫大な賠償を求められたが、王女が王家の権力を使ってなんとか穏便に話を収めたという。
ただこれは悪手だった。これにより大商人には王家は店を荒らす者の味方だと判断され、取引を渋られ始めた。
これだけでも頭が痛いのに、城内で働く者たちからの苦情の詳細が山のようにやってきた。
城内に飾っているものを壊す。仕事の邪魔をする。その上で怪我をさせる。
さらには王子たちの執務室に侵入して書類を駄目にし、王妃お気に入りの花壇を踏み荒らし、着替え途中の王女の部屋へ忍び込もうとしたという。
報告書を投げ捨て、怒りに我を忘れた国王は今日も城へ来ているという公爵家の餓鬼に王家の威光を思い知らせようと探しに部屋を飛び出した。
が、途中で国王以上に激怒した王子に呼び止められる。
曰く、婚約者から送られた置物を壊され、我慢の限界を迎えた王子が公爵家の餓鬼を殴り、城から追い出したという。
二度と城に来るなと命令もつけて。
再び王族全員が揃って話をすれば、あれだけ公爵家の餓鬼を受け入れていたにも関わらず、今ではもう関わりあいたくないと言う始末。
あれだけ婚約を喜んでいた王女ですら嫌がった。
「……以前は、純真無垢で可愛いと思っていました」
「素直で、失礼だけど愛玩動物みたいだと」
「……弟ができたみたいで、やっぱり可愛くて……」
王子も王女も、公爵家の餓鬼の可愛らしさに目が眩んでいたと後悔していた。
国王もそれを見て、詳しく調査せずに王女との婚約を整えたことを後悔し始めた。
これではまずいと動き出した国王だが、ここで大反対にあった。
ただでさえ十二歳の子供をよく調べもせずに悪人に仕立て上げ、宰相や大臣に相談無く国外追放の刑に処するという外道な行いを敢行したのだ。
権力を乱用して断行した婚約者の変更を、嫌だからという下らない理由でまた行うなどあり得ない。
臣下たちの国王への信頼はすでに地に落ちていた。
臣下たちの冷めた眼差しに、国王は血の気が引いた。
渋々、王女と公爵家との婚約は続行させ、公爵に息子の再教育を厳命させた。
しかし、公爵家の餓鬼はいつまでたっても変わらなかった。
契約締結時に公爵家の息子が成人を迎えたら婚姻を結ぶと決めていたので、厳しく再教育すれば何とかなるだろうと考えていた国王だが、いつまでたっても泣き喚くしか能のない餓鬼に苛立ち。
そんな男と婚姻を結ぶ未来を嘆き、泣き暮らす娘の姿に胸を掻きむしった。
どんなに足掻いても、臣下たちが断固として国王を許さず。
さらには追放したはずの公爵家の元長男らしき人物が隣国でかなり高い立場にいるという噂が入ってきた。
最初は鼻で嗤ったが、外務大臣が隣国との話し合いの場で国王の外道の所業について知っていると匂わせてきたことで青ざめた。
調査した結果、公爵家の元長男は隣国の王子に重用されており、非公式だが王女との婚約の話も出ているという。
これを聞いた王女は国王に泣きついた。
彼を戻せないかと。
宰相と外務大臣に相談すれば、呆れ果てられたが、一応は、ということで隣国に伝えたが、そもそもそんな人間はいないと断じられた。
そんなことはないだろうと再度話をしようとするが、これ以上恥を晒すなと丁寧で迂遠な表現で窘められた。
それでも足掻いた国王が、臣下を通さず金で雇った者を通じて隣国に返還要請を送れば、そもそも公爵家の子息が何故わが国にいるのか? 納得のいく説明をしろと正規のルートで返信が帰ってきたせいで外務大臣に知られた。
もう、苦言すら言われず、宰相から公爵家の元長男が病死したという書類に有無を言わさずサインさせられ、二度とこの話題を出すなと言われた。
国王はさすがに、その言い方はなんだと怒鳴ったが、宰相や大臣たちの冷たい眼差しに押し黙らざるを得なかった。
王女と公爵家子息の婚姻の日が約一か月後に差し迫っても、公爵家の子息は衣装合わせの場ですら落ち着きがなく、大人しくさせようとすれば全力で泣き喚き、式の進行の確認の場でも悪戯をして窘めれば泣き喚く。
王女はこんな男と結婚したくないと泣き暮らし、ストレスで痩せこけてしまった。
国王がどんなに足掻いても、もはやどうにもならない。
臣下たちはこの婚姻を強行する気満々で、国王に態々、この婚姻を取りやめた場合の負債額を記した書類を見せ、これを挽回するためにはこれだけの事をしなければならないと一覧表を提出した。
この責任をとれるのかと問われれば、いくら国王でも押し黙らざるを得なかった。
荘厳な結婚式の場でも落ち着きがなく、神官からの問いを無視して欠伸をして、我慢できなくなった王女が苦言を呈せばなんでそんなこと言うのー! と泣き喚き、周辺各国の来賓たちの前で醜態をさらす。
娘の幸せを願った行動の結果がこれか。
国王は崩れ落ちた。
・国王
娘のためなら権力を乱用することも厭わない、暴君。
長期的な視点ではなく場当たり的な行動の結果、娘を図体の大きな餓鬼に嫁入りさせた挙句、周辺各国に恥を晒すはめになる。
・王子や側近
愛玩動物的に公爵家の次男を可愛がり、長男を悪だと断じたせいで優良物件を捨てて不良債権を抱え込むはめに。
自分たちが教育を受けてきたから他もそうだろうと思い込んだのがいけなかった。
人生の授業料は思いのほか高かった。
・王女
我儘で外面でしか物事を判断しなかったのと、周囲の大人が役に立たなかったせいで不幸な結婚を強いられることに。
恨むなら父親を恨め。