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嫁ぎ先のすぐ隣の領地にいるのも辛いだろうと、両親は私に王都の別邸で暮らすことを勧めてくれた。
私としても貴族の集まる王都のほうが、いろいろと都合がいい。
別邸には弟もいるけれど、弟はまだ独身で爵位も継いでいないし、一カ月のほとんどを王立魔道技術院で寝泊まりしている。実質ひとり暮らしのようなものだった。あ、侍女や使用人はいるわよ?
好奇心旺盛で噂が好きなおしゃべり雀たちは嬉々として私をお茶会に招いてくれた。
今日もとある子爵家のお茶会に招かれている。
一方夫は、相変わらず辺境で魔獣退治の日々を過ごしていた。
いや、元夫だ。
闇市で遺跡から発掘された怪しげな魔道具でも買い込んで使っているのだろうか。一年ぶりに会った元夫の体にはいくつもの傷があった。買い替えるお金がなくて着ている古臭い礼装から覗く肌は、どこか薄汚い。……以前なら魔獣に反撃されることなく一撃で倒せていたのに、弟の作った魔道具なら小さな傷をその場で癒す付与効果も付いていたのに。
「お久しぶりです、閣下」
「……ああ、久しぶりだな」
元夫は怒りを押し殺した声で言った。
もっと早く来ると思っていたわ。
武勇の誉れ高い侯爵家と褒め称えられるのを当然に思い、社交界に顔を出して人脈を作るのを怠っているから、流れる噂に気づくのが遅れたのでしょうね。いいえ、先代侯爵があの女の配偶者である先代男爵のところへ怒鳴り込んで憤死した件が、今も面白おかしく語り継がれているからかもしれないわ。王家から授かった神具を売り払われたことを隠すため、わざと不倫のことだけ強調して噂を広めたのは侯爵家のほうだけれど。
「今日は聞きたいことがあってきた。お前は……「コホン」」
私の後ろで執事が咳払いをする。
離縁した以上私と夫は他人同士だ。
いくら身分の高い侯爵家であろうとも、他家の令嬢を気安く呼ぶことは許されない。もちろんふたりっきりで会話するなどもってのほかだ。私の隣には侍女、元夫の隣には侍従もいる。
「失礼。……伯爵家のご令嬢は、お茶会で流れている噂をご存じではないか」
「お茶会では様々な噂が流れますわ。噂を好む方々がお茶会に集まるのですもの。閣下がおっしゃる噂とはどのようなものでしょうか」
「俺のケツ……」
「……はい?」
「わっ、私の臀部に関わる「ゴホン、ゴホン、ゴホン!」」
私は持っていた扇で口元を隠し、元夫から視線を逸らした。
「申し訳ありません、閣下。元夫婦といっても今は他人。そんな尾籠な話を私にされても困るのですが」
元夫が頭を抱えて溜息を漏らしたとき、部屋の外にだれかが来た。
執事が確認して、元夫になにかを囁いた。
彼の顔色が変わる。元夫と違って、私のほうは三日と空けずお茶会に通っている。数日前元夫と一緒に王都へ来たあの女が、とっくの昔に絶縁されている婚家に毎日押しかけて息子である現男爵に会わせろと騒いでいることくらい知っていた。
「……もう行かないと約束してくれたのに……」
元夫が漏らした呟きに苦笑がこぼれる。
魔道具のため、侯爵家存続のために仕方がないのだと何度説得しても、あの女は私たちの寝室に入り込んできたじゃないの。
あの女のなにが信じられるというのかしら。あなたが幼いときに亡くなったお母様は自分の息子と同い年の子どもを誘惑するような方ではなかったと思うわよ?
「こちらから押しかけたのにすまないが、今日はこれで帰らせてもらう」
「ええ、どうぞ。『真実の愛』は大切になさらなくてはいけませんわ」
元夫は泣きそうな顔をして侍従と出ていった。
なにが悲しいの?
『真実の愛』という言葉は初夜の晩、あなた自身が私におっしゃったことなのに。
──侯爵家のため、跡取りは君に産んでもらう。だが、俺の真実の愛は彼女にある。
あの後あの女が乱入してこなかったら、あなたは驚愕で頭が真っ白になっていた私を抱いたのかしら?
思いながら私は、子爵家のお茶会へ向かう準備を始めた。
元夫との対面を受け入れたときに到着が遅れるという書状は送っている。