幻影の焔~本当の正義は何処にあるのか~
「な……ッ」
扉が開け放たれ入ってきたのは元姫だ。人間ではないという彼女。司馬懿から聞いた事があったが、それは本当だったようだ。彼女は曹丕の数歩後ろに控え孫権を見据える。
「さあ、孫権。交渉をしようではないか」
「私はまだ負けていない!」
「呉の民を、貴様の妻を元姫の力で凍らせてもいいのだが」
元姫はそんな事をするわけがないし、彼女の力はそんな事出来るほど万能ではない。今の彼女では、だが。しかし孫権には効果はあったようだ。
「……ッ、まだ、負けていない! 貴様を殺せなくとも、我が部下が劉備を殺すだろう。そうすれば貴様達は負けだ。我が呉が勝利となる」
確かに、劉備を失えば負けになるだろう。だがそんな心配をしていない。劉備はああ見えて強い。きっと曹丕よりも、姜維よりも、誰よりも。そんな彼に対抗出来るのは父である曹操くらいだ。それほどに乱世を初めから渡り歩いた男達は強い。
「劉備が簡単に撒けるとでも?」
そんな男なら早々に曹操が下している。それだけは評価している。そしてそれを証明するかのように、部屋の冷気が外へ逃げていく。振り返れば、開け放たれた扉。そこには水と魚――劉備と諸葛亮が立っていた。傷一つつけていない身体で。劉備は一歩ずつ足を進め、孫権の前に立つ。諸葛亮から剣を受け取れば彼を見据えた。
「孫権。私はあなたが嫌いだ。我が義兄弟の明日を奪った。彼らは戦場で散る事を望んでいた。それを奪い、武官としての命を奪ったあなたが嫌いだ。――だが呉の民には罪はない。だから、孫権、刃を引いてくれ。私も呉の民のために、刃を引こう」
「引かぬと言ったら、どうする」
劉備は剣を両手で握り締め、告げる。
「貴様を此処で殺し、戦乱の時代に戻るだけだ」
孫権がそんな事望んでいないのは知っている。彼は愛する妻のため、戦乱を終わらせるために一時の不可侵条約と不戦の条約を提示したのだから。孫権は刃を手から離し劉備もまた刃を下ろした。それを合図に、元姫は凍らした兵士の氷を解く。
「――孫権、我々はまだわかり合える。我々は獣ではないのだからな」
曹丕はそう、呟いた。孫権はその言葉が突き刺さったのか「わしが、間違っていたのか」と一言紡ぎ、絶望の色を見せていた。
いや、それは違うだろう。孫権は間違っていた訳ではない。ただ正義をはき違えただけだ。各々の正義があり、正しさがある。曹丕は力を示す事こそが正義だと思っているし、姜維は漢王室の復興こそが正義だと思っている。呉はどんなに犠牲を払っても平和を作り上げる事こそが正義だと思っている――各々の正義は違うのだ。
「これでやっと……終わりましたね」
全てが終わった訳ではない。呉はこれから国内の安定を図らなければならない。民の信頼を取り戻さなければならない。それに、事の始末をつけなければならない――最早均衡は崩れたも同然。だからこそ曹丕は心配だった。
「――北伐、か」
胸に感じた不安の種。思い出すのはかつての親友。それが当たらなければいいが――と祈る。だが今は、目の前の事だけに目を向けようか。きっと、そんな時代は、戦乱の時代は遠くはないけれど乗り越える事が出来るだろう。そう信じて。
こうして呉での戦いは幕を閉じた。




