結晶の囚人~邂逅~
東へ歩き、建物と建物の間を通っていく。民から声をかけられ、少しの挨拶と会話、そして先ほどの事件の話を聞けばやはり知っていたようだ。そして有力な情報を手にした。
「……死体が氷のように冷たい、か。核の可能性は……有り得そうね。人は死んでも氷のように冷たくはならない。誇張表現なら有り得るけれど」
「何にせよ確かめるしかな――」
突然の金切り声。女性の甲高い声だった。姜維は瞬時に声の元へ走り出す。建物と建物の間を抜け、近くから聞こえた声の主の元へ。年配の女性が蹲り、首元を押さえていた。彼女の傍へ膝をつき、労りの言葉をかける。
「ご婦人! どうなされた?」
「きょ、姜維様……ッ! い、いきなり、噛み付かれて……っ」
婦人の首元には肉が抉られたような痕。酷い怪我だ。姜維は己の袖の裾を破れば婦人の首に添える。
「敵はどちらに?」
「西へ、逃げて、行きました……っ」
ぞわり。一瞬の事だった、背筋を凍らすほどの気配。姜維は立ち上がり気配の方へ視線を向ける。そこには。
「――ッ、姜維殿!」
「あれが、核か!」
人間、いや、人間とは違った。氷のような白い髪、真っ白とはほど遠いほどの青白い肌。人間にしては異様に長い手足。真っ白い瞳。全てが人とはかけ離れていた。ソレは姜維に背を向けて屋根の上へ飛び移り、走り出した。
「待てっ! ッ、元姫殿、ご婦人を近くの薬師の元へ! 行けば医者も手配してくれる!」
「ちょ、姜維殿! 深追いはダメよ!」
元姫の助言を受けて、姜維は同じく屋根へ飛び上がり前方を走る白い人物――もとい核を追っていく。細い身体に、背丈が高く、足も長い。非対称の身体に少し畏怖したが、核は攻撃してくるような気配もなく、ただ姜維に追いつかれまいと走っていた。屋根から屋根へ飛び移り、走り、そしてまた飛び移る。飛び移れる屋根がなくなり、核は路地の裏へと下り、姜維も下りては核を見据える。
「……あなたを攻撃するつもりも危害を加えるつもりもない。ただ元姫殿の元へ戻って欲しいだけだ。そうすれば私はあなたを追うのを止めよう」
返答を待った。一分、三分、五分。核は表情を変えずただじっと姜維を見据えていた。対話は出来るとは思っていなかったが、やはり不可能か。姜維は一筋、嫌な汗を頬から滴らせ一歩足を踏み出した。
瞬間、核は自らの胸を右手で貫き、大量の血を吐き出せば胸に空いた穴から何かを取り出した。大きな肉の塊。それは気泡を作るかのように形を変え、人の形へと変化する。少女の姿へ変化し、少女の姿をしたそれはこちらへ駆けて来る。瞳に光も何も映さず、ただ命令を遂行する人形のように。
「致し方ない」
少し大人しくなってもらおう。姜維は懐から小刀を取り出せば向かってくる少女へ向ける。地面を蹴って姜維の眼前に迫る少女。瞳に彼女の顔が映る。すまない、あなたを傷付ける事になる。そう心中で謝罪し、小刀を持つ手に力を入れた。
そんな時だ。
「――ッ」
記憶が逆流するかのように頭に痛みが走る。一気に情報の波が脳内へ入り込む。我こそは、我こそはと主張し姜維の脳を支配した。そこに主張する情報は眼前の少女に関する情報。
そう、彼女は、先日殭屍に殺された民だ。その民が核に遺体ごと自由を奪われているのだ。
姜維は躊躇した。民ならば殺せない。傷付けられない。だからこそ、反応が遅れた。少女の後ろから来る核に気付けなかった。
「待――ッ」
核の手が、少女の胸を貫き姜維の右頬を掠った。ぱっくりと深く抉られ、血が滴る。核は少女を投げ捨て、姜維の右腕を掴み、見据える。
危険だ。脳がそう知らせていた。相手から離れなければ、死ぬ。そう感じた。死を身近に感じたのは初陣の時以来だった。
「Dah Norha Ckyo」
異国の言葉か、中国語か。聞き取れない言葉を発され姜維は恐怖を振り払い、相手を蹴り飛ばし振り払った。肉が弾け飛ぶように痛みが走る。同時に攻撃を加えられたのだと理解した。右腕からは大量の血が滴り、袖が僅かに破れている。血で染みてわかりにくいが袖は焦げていた。まるで火に焼かれたように。
「Kohiy Hfohsiy Oh」
そんな言葉を残し、瞬きの間に核は消えた。残ったのは痛みと、先ほどまで少女が横たわっていたはずの血溜まりだけだった。姜維は血溜まりの傍に膝をつき、血溜まりへ右手をかざす。血溜まりからは有り得ないほどの冷気が醸し出されている。これが核の力とでも言うのだろうか。迂闊に触れるのは良くない。姜維は腰を上げて立ち上がろうとした瞬間、何かに右腕を掴まれた。
「な……ッ」
人の手ではない。氷だ。氷のような、手を模した何か。覆うように姜維の右腕を凍り付かせては、引きずり込もうとしている。このままでは核によって引きずり込まれ、恐らく。いっそこの腕を切り離してしまおおうか。そう思い、小刀を振り上げようとした時だった。
「伏せて、姜維殿!」
声に反応し、姜維は頭を下げる。血溜まりから出ていた氷のような何かに匕首が刺さる。匕首は氷に亀裂を生み出し、姜維の腕を解放した。そして小さな粉となって消えていく。血溜まりは地面の中へ消えていった。
「元姫殿。あのご婦人は?」
「薬師に任せたわ。……怪我をしているのね」
元姫は己の服の裾を迷いなく破り姜維の腕に巻き付けていく。右の股関節辺りまで肌が晒されてしまっているが彼女は気にしていないようだった。
「すまない、女性にこんな事を」
「いいのよ。戦ってくれてありがとう。お陰で色々わかったわ。相手が氷の核なら、弱点は炎や火といったもの。これなら勝機は見える」
「元姫殿、あなたは核と戦った事は?」
昔、一度だけよ。私の力じゃないけれど。
元姫は俯いてそう呟いた。だがすぐに顔を上げて淡々と真実を告げる。
「王元姫として生を受ける前の話よ。別の神器が暴走して、核を放った。私とカミサマは止めるために戦った。――けれど失敗して、その神器は消滅したわ」
「……――安心しろ、元姫殿。私はあなたの事を信用していないが、私は一度決めた事を曲げたりしない。蜀の人間は契りを必ず守る。あなたを消滅させたりはしない」
「……少しときめいたとか言ってもいいかしら」
「迷惑だから止めてくれ。……で、核は何処に居る?」
「――北ね。幽かに反応があるわ」
北と言えば成都城のある方向である。城の近くでなければいいが。とにかく今は追うしかない。あんな猛威を振るわれたら成都なんて一瞬で凍ってしまう。
「でも、今は戻りましょう。あなたの腕を処置するのが先よ」
「何を言っている。放置しておく訳にいかないのなら、先に追うのが――」
「陛下の許可も貰っていないのに勝手に暴れる訳にはいかないでしょう。事件の事を陛下に報告しないといけないし」
元姫に言われ姜維は黙り込んだ。確かにその通りである。しかし、劉禅に言ったところで答えはわかりきっている。ならば後回しでも良いと思うが――。姜維は口元に手を添えて数秒考え、元姫の言葉に同意する。勝手に動いて諸将に恨みをもたれると動きにくくなる。そう考えて、姜維は元姫と共に一旦成都城へと戻る事にした。
成都城へ戻り、女官に処置して貰い、劉禅への謁見を取りつける。劉禅は客人をもてなしているようだった。その客人と言うのは劉禅の親友と言うが、劉禅の友人とは魏の人間だと知っている。部屋に女官以外を入れないとなると、それなりに地位の高い人間だという事が理解出来ていた。
「陛下にいつお時間を頂けるかしら」
「しばらくはかかるだろう」
姜維と元姫は中庭にて劉禅を待っていた。女官に報告して十五分は経つが劉禅が来る様子もない。いっそ勝手に行くのもありか。姜維は深く溜め息を吐いた。以前も同じような事があったが、その時は確か――と姜維は口元に手を添えて考える。隣の元姫も落ち着きのない様子で城の外を見ていた。
「元姫殿、あと少しして来なければ勝手に向かおう。女官には事の次第を伝えてもらうが」
「そうね。早くしないと……被害が広がっては困るわ。攻撃的な核のようだし」
「好戦的なのか、あの核は」
核は大人しいのよ。神器の性格を基盤とするから。でもそれが好戦的――つまり、核は独り立ちして、何かに取り憑いて、取り憑いた物の性格を基盤としている。変化が激しい核は、人に取り憑いたと考える方がいいわ――と元姫は淡々と、黒曜石の瞳を揺らしながら告げた。
「なるほど。なら急がねばならないな」
「ええ、だから、早く報告を済ませたいところなのだけれど……」
相変わらず劉禅は現れない。きりがつけば行くと女官から教えて貰ったのだが。これは勝手に行くしかないか、と溜め息を吐く。すれば、東の方からこちらにやって来る影が一つ。劉禅かと瞳を凝らしたが、違う。
幼い顔つきに柔和で優しそうな微笑み。大徳、仁君、そんな言葉が似合うお方。質素倹約を好み、劉禅とは違い豪勢な事は苦手。民と国を愛し、まずは第一に民の生活を考えるお方。菩薩、聖人、いや――神に等しき人だ。
黒い髪を後頭部で纏め、横の髪は手を加えず垂らしている。ガラス玉のような黒い瞳に、幼い顔つきが残ったお顔。役人のような直袍を好み、簡素な服装をしていた。