幻影の焔~暗い溝の底で何を思う~
そうか、彼女が核だったか。姜維は右肩を押さえる。痛みは走るが動く。頬に散った血を拭い彼女に槍を向ける。だが彼女は孫権の妻、容易に傷付けられない。どうするか。いや、そもそも彼女は本物なのか。姜維では判別出来なかった。
「貴様が核か」
「さあ、それは自分で確かめるものでしょう?」
「そうだったな」
「私はただ、あなたを排除するだけよ」
瞬間、何を思ったか練師は自身の右胸を持っている剣で貫いた。そしてその場に崩れ落ちる。何だ、何が起こっている? 姜維はただその場に立ち尽くした。すれば大勢の足音。追手が来た――ああ、そういう事か。
「ッ、奥方様ッ!」
嵌められた。陸遜の、いや、核の狙いはこれだったのだ。己の後ろには大量の兵士達。それを率いるは甘寧。此処は抵抗する――よりは、従った方がいいだろう。姜維は槍を手放し、降参のように両手を挙げた。血のついていない趙雲の槍はその場に落ちる。
「賢明な判断だな、姜維」
「馬鹿ではないからな。――そう、貴様みたいに」
「言ってろ。テメェはすぐに斬首だ。劉備も、陛下を殺すような家臣を生かしはしない」
姜維は甘寧の兵士達に連れられその場を後にする。だが、姜維は諦めてはいない。諦めるべきではない。身を張った答えは、きっと趙雲達が導いてくれる。目を布で遮られ、腕を拘束されれば何処かへ移動させられる。
どれほどの時間が経っただろうか。数十分経ち、瞳は解放される。目の前に広がるのは一面の壁。見上げれば窓、高さは三メートル、それ以上だろうか。今歩いてきた道は大きな岩によって遮られる。
「あなたも陛下に逆らったのですか?」
「貴様は……」
穴の奥には人影――陸遜が居た。両手を縛られ、汚れた衣服を纏い、痩せた頬。姜維が見た陸遜とは違っていた。数日はこの穴、牢獄の中に居るのだろう。
「初めまして、私は陸遜。字は伯言と申します。呉の丞相で――」
「知っている。私は姜維だ。字は伯約。私は、私達はあなたの贋物に騙されて呉の内情に手を出す事になった」
「私の……。ああ、だから私が生かされているのですね。……伯約殿、私も騙され、此処へ入れられました」
陸遜――恐らく本物の陸遜は言う。孫和を蔑ろにし、孫覇を立てようとした孫権を諫めたら死刑を突きつけられ、この牢獄へ入れられたと。姜維は外で起こっている事を全て伝えた。もちろん核の事は濁してだが。
「なるほど……。ならばもう、太子廃立も陛下暗殺も関係ありませんね。何者かが私の贋物を語り、更に練師様に危害を与えているとなると、それを取り除かないと呉は滅ぶでしょう」
「陸遜、私達に協力しろ。私の仲間は外に居る。必ず、練師殿も助けてみせる」
「姜維殿、あなたは呉を助ける理由がない。何故ですか? 劉禅殿を救うのならそれだけに熱中していればいい。我が国を救う理由もないでしょう」
確かにその通りである。劉禅を助けるだけならば突っ込む義理も理由もない。だが核が関わっているのなら、放っておけない。姜維は少し考えて陸遜に核の事を話した。
「……なるほど、あなたは核を止めるために、呉を救うと。その身が滅びるかもしれないのに、核のためとはいえ、他国に干渉するなど……あなた、お人好しですね。それでいて、大事な情報を呉の私に話すなど、真面目過ぎる。いえ、愚直というところでしょうか」
馬鹿にしているのか貴様。姜維は少し鋭い視線を向けると陸遜は小さく笑う。贋物とは大違いの対応だ。彼は「いいでしょう」と立ち上がり、靴の中に仕込んでいた刃物で姜維の手を拘束している縄を切り、姜維は彼の手の拘束を取り除いた。
「その前に、此処からの脱出だな」
容易ではない、だが超えられない事はない。姜維は陸遜と共に天井を見上げる。三メートルはある高さ。これを乗り越える。一人なら難しいところであったが、二人なら可能だ。
「では、脱出作戦と参りましょうか」
■■■■
孫権が毒によって倒れた。呉では宴が中止され、魏と蜀の面々は呉からの監視がつき、室内に監禁される。それでも待遇はただ部屋を自由に出られないというだけだったが。劉禅は孫権を見舞い、孫尚香と共に彼の元へ向かっている。護衛には元姫がついた。核の事を調べたいという彼女の希望だ。そして今、この部屋には趙雲と曹丕、蔡琰が留まっている。魏帝の曹叡は別室で護衛をつけて待機している。
「姜維ではないな」
少し回復した曹丕が寝台の上に座って断言する。趙雲もそれには同意した。そもそも姜維がそんな事をするとは思っていないし、出来ないだろう。姜維は真面目だ。劉禅が望んでない事はしない。
「だが呉は姜維を処断するつもりだな」
「殿の許可なしでそんな事が出来るはずがない」




