幻影の焔~核~
「陸遜は一度死んだという話だ」
「……どういう事だ」
さあな、私にもわからん。鍾会は両手を軽く広げて呆れたような姿勢を取る。だが、尚香や他の将兵はそういう噂があった事は覚えているらしいと鍾会は言う。
「我々は文帝に命じられ、陸遜の事を調査していた。その上で我らは陸遜の周辺に妙な噂があるのを突き止めた。それが、鍾会殿が告げた事だ」
「噂では一度死を賜っているそうだ」
「死を……?」
孫権から処断されているらしい。それも定かかはわからん。鍾会はそう告げる。姜維はその言葉に、柱へ身体を預けると口元を覆うように手で隠した。
そうだ、孫権は人間不信に陥っている。処断を繰り返し呉の国力低下を招いている。丞相である陸遜がそれを受けていてもおかしくはない。なら、何故生きている。何故、他の将兵達は陸遜が生きているように振る舞う。
あの陸遜は――何者だ。
「わかった。情報の提供、感謝する。貴様らは曹叡の護衛に戻っていろ」
「姜維殿、我々も何か手伝う事は――」
「必要ない。あまりに人数が多いと動きにくい。それに、貴様らは護衛の仕事があるだろう。こっちは私に任せておけ」
姜維はそれだけ言い残し部屋の中へ戻った。蔡琰が、酔った孫権に絡まれている。どうやら気に入られたらしい。曹丕にバレたら鉄槌ものだぞ。姜維はそんな事を考えつつ、孫権の元へ向かえば、蔡琰の腕を掴んでは立たせると己と場所を入れ替える。
「孫権殿、私がお相手致しましょう」
蔡琰に視線を送ると彼女は一礼し、護衛の任務に戻る。姜維は孫権の杯に酒を注いでいく。此処なら孫権の護衛も何とかなるか――と納得し、酒臭い孫権に悪態を吐きながら部屋を見渡した。
ずらりと二列に並んだ席。三国の高位官吏達が宴を愉しんでいる。孫権は入口から北東の位置に席を持っており、その両隣には劉禅と曹叡だ。護衛は少し距離を開けて後ろに控えている。姜維は孫権に杯を勧められ、飲むふりだけをしつつ杯に口をつけた。
もし、此処で暗殺を実行するのなら――今を狙う他ないだろう。狙うとしたら人々に隙が生まれた時。だが、それを生み出すにはどうする? 蜜蝋の火を消すか? それで一時の暗闇は生まれる。しかし、万全で望むには、この宴を使うだろう。
「そんけ――呉帝、あなたが襲われた時はどのような手法が使われたのですか?」
「そうだな、主に物理だな。剣で狙われたり……だ。ああ、毒殺もされかけた」
「毒殺ですか」
そう言えば陸遜だったか、言っていたか。だから練師が疑われた可能性もあるのだろう。毒殺なら自らの手を汚す事はない――そこで姜維は気付いた。
もしかして、利用するならこれを。
杯に注がれた酒を一口含む。舌に走る痛み――酒の味ではない。口内の酒を吐き出した。そして己の隣でそれを飲もうとしている男。
「ッ、待て! 孫権!」
手を伸ばし、孫権の腕を掴む。だが時既に遅し。孫権は杯の酒を一気に飲み干していた。瞬間、彼は胸を押さえ苦しみ悶え、その場に倒れ伏す。室内は騒動と化す。
「なっ、テメェ殿に何をした!!」
「私じゃないッ!」
孫権を護衛していた甘寧によって両腕を押さえられ、姜維は理解する。
嵌められたと。敵の狙いはこれだ。まるでこちらの手をわかっているかのような――。
そして姜維は見た。周囲が騒ぐ中、その中を通り抜けていく陸遜の姿を。
姜維は甘寧を振り払い立ち上がり、蔡琰と趙雲に任せると一歩足を踏み出した。何故、陸遜が。いや、陸遜――ではない。あれは、核か。
「姜維!」
趙雲から持っていけと槍を受け取れば、姜維を捕らえようとする兵士達をくぐり抜け、趙雲達の助けを得ながら空中に飛び上がって避けては部屋の外へ出る。そして遠くに見えた陸遜を追っていく。
追手は来ない。趙雲達が押さえてくれているのだろうか、それとも孫権の安否が先か。姜維は一先ず目の前の陸遜を追う。城内を駆け回り、姜維は陸遜を中宮――つまり練師の屋敷へ追い詰める。彼はじっと、こちらを見つめていた。
「陸遜――いや……核だな。貴様が孫権を狙った犯人か」
「……へえ。やっぱりわかるんですね」
陸遜は目を見開くと姜維に感心したような言葉を贈る。だが馬鹿にされているようにしか見えない。否、そうである。
「だけど――私は核じゃありません。私はただの“力”ですから。姜維殿」
「何……ッ」
目の前の陸遜が光の粒となって消えた。そして背後には殺気。振り向き距離を取るが少し遅かった。姜維は右肩を貫かれる。その姿は。
「……歩、練師……」
「あら、外してしまったわね」




