幻影の焔~偽りの平和~
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陸遜は頭を下げた。深々と。申し訳ありません、騙していました――と。
趙雲達と別れた姜維はあの後すぐに陸遜の屋敷へ向かった。すれば屋敷の前には陸遜が立っていた。彼はわかっていたのか頭を下げた。申し訳なさそうに。そして告げたのだ、全ては呉のため、あなた方を騙すしかなかったと。
「全て知っていたと。それで私達を騙した、か。流石夷陵で劉備様を陥れただけはあるな、陸遜。今度は我々を陥れるか。平和を謡う、呉の将兵が」
「……返す言葉もありません。ですが、これも呉のため、三国のため。私は均衡が崩れる事こそ平和の終焉。それだけは避けたかったのです」
「そのための布石か」
過ぎた事に今更怒るつもりもない。劉備を釣ろうとした事も、暗殺も、何もかもわかっていた。彼は知っていた。それを怒ってもどうしようもない事である。情で動けば身を滅ぼす。そんな事知っている。夷陵で劉備が経験した事だ。姜維は一息吐き「此処からは勝手にやらせて頂く」と告げる。
「あなたは私達に情報を提供しろ。己が身を省みる事なく、だ。でないと国も何も救えない」
「承知、しました」
戦乱の時代なら攻め込まれている。攻め込んでやりたいが、今はその思いを隠そう。いつか来るだろう北伐の時、その時に、呉を使うまで。
「……陛下を狙ったのは孫和派の誰か――だと噂されております。ですが私にはそれが誰かわかりません。これは本当です」
じっと見つめる、瞳が泳ぐ。まだ隠している。いや、違うな。隠しているというより、それが真だと疑っていないのだ。まるで操られているように。こういう違和感を何と表現するのか姜維はわからなかった。確かにこの違和感は何処かで抱いた事のあるものだ。
「なら簡単な話だ。私が孫権の護衛につく。そこであなたは孫権の護衛全てを一度離させろ。誘き出し、私が捕まえよう。――ただし、その犯人の無事は保証しない」
私は武官だ。手加減の方法を知らないのでな。と姜維は断言し、陸遜は首を縦に振って頷いた。彼の心に何があるのかわからない。知りたくもない。しかし、今だけは協力しよう。蜀のために繋がるのなら陸遜に手を貸そう。
姜維は陸遜と城へ向かう。しかし、陸遜は孫権と面会を許されておらず、孫権の部屋には行けない。となると使えるのは――歩練師か孫魯班だが、後者は孫覇派のため使うのは止した方がいいだろう。ならば歩練師しかいない。
「歩練師殿が居るだろう」
その歩練師は今中宮――屋敷だったか。姜維は腕を組み考えていれば、城から蔡琰と練師が出て来ては、姜維と陸遜を手招きする。二人に近付けば「孫権への謁見を通しておいた」らしい。流石、蔡琰だ。彼女に礼を告げ、姜維は陸遜を練師の元へ留め置き、蔡琰を連れて孫権の部屋へ歩んでいく。
「どうでした、練師殿は」
「そうですね……。やはり、何処か、おかしいですね。心此処に非ずという感じです。それと、練師殿の侍女から聞いたのですが……練師殿も一時期処断を推奨していた時があったそうです。彼女はどちらかと言えば孫覇派なので」
「ですが、練師殿がするとは考えにくいですよ、蔡琰殿」
だから、それが練師殿の言う「記憶の無い期間」でしょう。夢遊病とは違う、記憶の無い自分が他人に何かをしては、他人が己を蔑んでいる。だから孫権を暗殺などそんな話が出る。
まるで操られているようだなと姜維は呟いた。
「――……核、だとしたら……元姫殿が気付かない訳がない、か」
だが元姫曰く、核は大まかに分けて三種類。戦闘系でなければ、その気配を消す事が可能である。ならばそれも、恐らくは。
「姜維、無駄に色々考える前にまずは目の前の事を実行していきましょう。あなたの癖は昔から直りませんね」
「わ、わかっています」
子供扱いされた気がして姜維は少し戸惑った。懐かしいが、今はそんな感情必要のないものである。姜維は未だ続いている前夜祭の会場へ蔡琰と向かう。孫権に話が通っているため、彼はすぐに受け入れてくれた。そして孫権の後ろに蔡琰と共に控える。
魏からの高官が入れ替わりに孫権へ挨拶にやって来る。姜維は彼らの顔をじっと見ていた。誰もが同じ目をしていたが、その中で二人ほど色の違う瞳をしていた。
「姜維殿。文帝の様子は如何か?」
孫権の後ろに控える姜維に話しかけてきたのは鍛えられた肉体を持つ男。曹叡の護衛だ。すぐにわかった。文官なら文官の服を着ているからだ。姜維は「問題ない」と返す。
「私の優秀な護衛がついているので、すぐに動けるようになるはずだ。で、あなた、名は」
「む、これは失礼致した」
男は拱手し、軽く一礼する。その所作は綺麗で整っていた。見惚れるほどだ。それなりの家の出だろう。すぐにわかった。
「我が名は鄧艾と申す。戦乱の時代に、あなたとは何度も戦い、あなたの北伐を防がせて頂いた。諸葛孔明殿の北伐もだが……」
「貴様が……鄧艾」
姜維より遥かに高い身長。屈強なる身体。三十代前半あたりの男――何もかもが負けていた。そうだ、己は十代で成長が止まった。中身はそれなりの年齢でも、外見年齢は成長しない。この世界の人間は誰もがそうだ。中身も成長しない。それが現実。十代で止まった成長を、諸葛亮は意味があると言ったが――姜維はわからなかった。
「それと、耳に入れて頂きたい情報があるのだが」
「何だ」
「……此処では少し話しにくいのだが、外でいいだろうか?」
護衛中なのだが。思えば蔡琰にもこんな感じで連れ出されたなと思いつつ、同じく孫権の護衛についている蔡琰に視線を送り許可を取る。劉禅の傍には趙雲も居るし大丈夫かと姜維は鄧艾と共に外へ出た。部屋のすぐ外には鍾会も居た。
「初めまして――ではないな、姜維。私は鍾会。文帝から貴様達の事情は聞いている」
鍾会。姜維とは顔見知りである。天才であるが、その才能ゆえに周囲からは疎まれている。それを仲介しているのが鄧艾という訳だ。曹丕が今回の事情を話していたのは驚きだが、大方自分が狙われる事を踏んでいたのだろう。鍾会は腕を組み、姜維を見下すような視線を向けては話を続ける。
「陸遜の事だ。孫尚香から奇妙な話を聞いた」
「奇妙な?」
そうだ、と頷き鄧艾に視線を送っては口を開く。




