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姜伯約の北伐政策  作者: はくりなのい
第二章 蔡文姫の知略
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幻影の焔~混迷する思惑~

 いや、本当に理解が追いつかない。姜維は右手を胸に添え、左手を軽く広げ趙雲に説明を求めた。趙雲も、話を聞いた元姫も難しそうな顔をしている。

「宴の場で孫家の方々と話をする機会があったの。どうやら孫権殿がもう争いに飽きているらしく、末弟の孫亮を皇帝にしようと考えている――と孫権殿の側室から聞いたのよ。それを聞いた尚香殿やその周囲の人々が“じゃあ劉禅を呉の皇帝に”って盛り上がっちゃって」

 お酒が入っていたから私も趙雲殿も冗談だと思ったの。呉ではこういうのが歓迎なのかと思ったのよ。でも後々、孫権殿直々に「劉禅殿の件、劉備によろしく伝えておいてくれ」と言われて彼は本気で劉禅殿を奪おうとしているのよ、と元姫は腕を組み盛大な溜め息を吐いた。彼女の少し大きめな胸が強調された。

「他国の皇帝を奪うなんて……本来なら許されるはずがないのですが」

「確かに。蔡琰の言う通りだ」

 曹丕は寝台の柱にもたれ、腕を組み一息置いて話し出す。

「が、呉蜀の関係が悪化し、蜀が呉に悪影響を及ぼすような事をしたとしよう。それも許されないような事を。そしたら呉は言うだろうな」

――劉禅か劉備を寄越せ、と。

曹丕の漆黒の目が姜維達を捕らえる。その目に麗しき明日はない。僅かに見えた皇帝の面影に姜維は畏怖した。

「……蜀にとっては劉備が居なくなる事の方が国家の危機。お前達は劉禅を呉へ引き渡さなくてはならなくなる。そしたら、劉禅は呉の皇帝へ立てられる」

「そんなの孫和派と孫覇派が許さないはずだ。主公の命が狙われるに決まっている」

「姜維、喧嘩両成敗という言葉を知っているだろう。正にあれが実行されるだろうな。どちらかが良くて幽閉、片方は死亡が良いところではないか?」

 そもそも劉禅は皇帝を蜀でやっている。経験値がある。呉の内情も、周囲の支えがあれば善政は敷けるだろう――と薄い笑いを携えて告げる曹丕。付け足すように「まあ、私の想像の範囲内でしかないが」と告げて。だが、それが、妙に現実を帯びていた。

「そっか。提案者が孫尚香殿だから、覆せない力がある。更に尚香殿は劉備殿の奥方だった……蜀を従わせる事も可能という事……。だけど、もし、劉禅殿が呉の皇帝になったら……劉備殿と争う事になるわね」

「それも呉の狙いなのでしょうね、元姫殿。劉備殿はお優しいお方だと聞いております。子供に手は出せない。ならば、蜀を服従させる事が出来る――と」

 なら何故初めから劉禅と曹叡の命を狙うなど――。そこで姜維は気付いた。そういう事か、と。それならば、最初からこれは仕組まれていた事。姜維達は見事に嵌まっただけだ。

「……魏蜀の皇帝暗殺と思わせ、この祝宴を使って呉へ来させる。その間に私達には太子廃立争いの話、孫権暗殺未遂の話、協力を持ちかけて警戒を分散させる。自体が混迷としてきたところで劉禅殿の呉への皇帝の話――私達は最初から嵌められた、か」

 趙雲は憎々しげに顔を歪め眉間に皺を寄せる。だが疑問だった。諸葛亮がこれに気付かない事が。いや、諸葛亮なら気付いていてわざと放っていた? わからなかったとしても、彼なら違和感に気付くはずだ。なら、やはり気付いていたのだろう。

 室内には静寂が訪れ、誰もが口を開かず考える。追い詰められているこの状況、姜維は深く溜め息吐くと口を開いた。

「優先はまず、主公の安全。そしてその次に孫権の暗殺未遂、太子廃立――だ。孫権さえ、死ななければ主公が呉に奪われる事はない。主公と曹叡が守られれば、孫権が死のうが太子廃立されようがどっちでもいい。陸遜への言い訳は何とでもなる」

 孫権も廃立争いに飽いている。そして自ら帝位を退こうと考えている。そのための太子だったが彼らが争うため、孫尚香からの提案も聞き入れた――というところだろう。孫権にとって次の後継者さえ決まればいいのだ。

 だがそれも恐らく――。姜維は考えている事を今は頭の隅へ押し込んで、これからする事の提案を出した。

「趙雲殿は今まで通り主公の護衛を。曹丕、貴様は餌だ。敵に動けないと思われた方が都合もいい。餌にもなる。そして元姫殿、あなたは餌である曹丕の護衛。蔡琰殿は練師殿の元へ。……私は陸伯言に話を聞いてきましょう」

「姜維殿、一人で平気?」

「問題ない。それに私が動かなければ何もわからないからな」


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