幻影の焔~核~
そういう病は華佗から聞いた事があるが、練師には病に罹っている特徴は見られない。こういう奇妙な事は元姫の担当だ。彼女を連れて来た方がよかったかと姜維は少し後悔した。だが元姫を思い出した事で「もしかして」と可能性に行き着く。
もしかして、核ではないか、と。
核本体ではないとしても核に影響を受けている、哀姫のように核の温床にされているのならそういう事も有り得るのではないだろうか。
「……練師殿、あなたの苦しみ私にもわかります。この蔡文姫、あなた様の心の靄を払えるよう誠心誠意尽くしましょう」
蔡琰は練師の両手を握り締め頷く。「だから、悩まないでください」と蔡琰が彼女へ捧げた言葉は届いたようで、彼女の心は溶かされたように瞳から涙が流れていく。一人で抱え込んでいたのだろう、一人で背負っていたのだろう。誰にも迷惑を掛けたくないのだと、相談すら出来なかったのだろう。その気持ちは、少し理解出来た気がした。
「ありがとうございます……ッ」
「ええ、ですから、ご安心を。私達が必ず練師殿を助けます。だから私と姜維を信じてくださいますか? 私達はあなたを裏切りません。あなたを信じます」
頷いた練師に、蔡琰は口角を上げて柔和に聖母のような笑みを漂わせる。昔から誰かを支える事、励ます事が蔡琰は上手い。一種の特技だろう。だから、姜維も蔡琰には何度も絆されている。それは曹丕とて変わらない。
「と、なると協力が必要だな。練師殿は誰かに見てもらった方がいいだろう」
「なら姜維、私が練師殿と一緒に居ます。子桓様にはそうお伝え願えますか?」
「曹丕の命を聞かなくていいのですか?」
「ええ、大丈夫でしょう」
そうですか、わかりました。では一度趙雲殿達の元へ戻ります。そう告げ姜維は立ち上がる。そんな時だった。無礼にも部屋に飛び込んで来た侍女が一人。練師は不愉快を顔に表わす。
「無礼な。お客様の前よ」
「無礼は承知です! ですが、その一大事です! 魏からやって来ていた文帝が何者かに襲われた――と」
姜維と蔡琰は顔を見合わせる。蔡琰はゆっくり立ち上がっては床に崩れ落ちた。顔には絶望の表情、青ざめた顔色。瞳には涙が浮かんでいる。
「わた、私が……子桓様の傍に、居れば……ッ」
蔡琰は曹丕の護衛係だ。曹丕のお世話係兼教育係であった司馬懿が出世し、魏国内を動き回るようになったため彼の代わりに昔からの知り合いである蔡琰が入った。つまり、曹丕を守る事は彼女の使命。そして司馬懿の面目を保つ事も意味する。曹丕を傷付ける事、それ即ち司馬懿の顔に泥を塗る事である。
だが、蔡琰にとって一番辛いのは曹丕を傷付けてしまったことだろう。
姜維は蔡琰の手を掴み立ち上がらせた。彼女は傷が痛んだのか顔を歪めるが気にしてやらない。泣いている暇なんてないからだ。
「練師殿、すまない。私達は曹丕の元へ行く。曹丕の様子を窺ったら私達はまたあなたの元へ戻ってこよう」
「ええ、文帝を気遣ってあげてください。私は待っています」
姜維は練師に一礼し、哀しみに暮れる蔡琰の手を引き曹丕の元へ向かう。城へ戻れば宴はまだ続いていた。曹丕の事は恐らく一部だけにしか知らされていないのだろう。そのためか、会場には趙雲も元姫もいない。その代わりに劉禅の護衛が増やされている。姜維は近くの女官に趙雲が何処に居るか尋ね、そちらへ向かう。
階段を上ってすぐの荘厳な部屋。中へ駆け込むと趙雲と元姫、そして寝台の上には曹丕が横たわっていた。
「ッ、子桓様!」
蔡琰はすぐに駆け寄り、曹丕の手を握る。曹丕は額に汗を滲ませていた。姜維は曹丕の元へ近付いていく。
「曹丕、何があった」
「――核よ」
曹丕の額を濡れた布で拭う元姫はそう答えた。やはりか。姜維はそう言葉を漏らした。曹丕は目を閉じ、元姫の声に耳を傾けている。珍しい、彼が喋らないのは。
「でも、反応が見られない。核の反応が全くしないのよ」
「……それでも核なのか?」
ええ、と元姫は曹丕の額から手を引いて姜維を見上げる。
「説明した通りの支援系。気配を隠したのよ。そうなるとジエジンより厄介ね。戦闘系はすぐに姿を見せてくれるけれど、支援系は姿を見せない。人の中に潜り込み、機会を窺っている」
魯班殿につけていた監視の力も消されてしまったわ。元姫は溜め息を吐いて、肩をすくめるように呟いた。ああ、そうだ、忘れる前に言っておかなければ。
姜維は練師から聞いた事を全て話した。核かと問うも元姫はまだわからないと口元に手を添える。彼女は自分で見ないとわからないらしい。




