幻影の焔~忘却の彼方~
蔡琰は寝台の上から感謝と謝罪をする。同じく姜維も彼女に礼を告げた。しかし、練師は少し訝しげな表情を見せる。感謝や謝罪についての反応ではない。蔡琰が告げた後半の言についてだ。それ以外有り得なかった。
「気になった、って……」
姜維は蔡琰に漆黒の瞳を向け、頷くと練師へ目を向ける。
「練師殿。私と蔡琰殿――……いえ、魏に呉の内情を知らせてくれたあなたの救援要請で我々は呉にやって来た。呉帝暗殺未遂、廃立争い、そして我が主公と曹叡殿が狙われているという事……――。そして陸伯言殿の懇願で今、問題を解決しようと魏と蜀は動いている」
まあ、練師のお陰でやって来た訳ではないが、そこは誇張表現。気にする事はない。どうせ後で助けるのなら、同じだ。
「陸遜の……」
「その中で私達はどんな小さな事も見逃す事は出来ない。情報を収集する中で、あなたの言動、行動がおかしいと言っている人が出ている。あなたが孫権殿を狙ったという輩も」
――何か、おかしい事があなたに起こっているのではないか?
そう問うてみた。もちろん、敵意を向けられる可能性もある。だから、賭けだった。練師が敵だった場合も考えている。故に警戒は解かなかった。練師はそんな姜維と蔡琰を交互に見つめる。そして自分を抱くような立ち姿をした後、彼女は姜維の両肩を掴み姜維を見上げた。
「ッ、姜維殿、蔡琰殿――恥を承知で、お願い。私を、助けて……っ!」
切羽詰まった練師の言葉。彼女は瞳から涙を流しながらその場に崩れ落ちる。姜維は彼女の前に膝をつくと手を取り、彼女の身体を抱き締めた。そして涙で濡れたその瞳を視界に収め、口を開く。
「練師殿、詳しくお聞かせ願えますか?」
■□■□
「もうずっと前、数年も前だったと思います」
姜維と蔡琰は一室に招かれた。蔡琰にはまだ寝ておいた方がいいと勧めたが、彼女は同席すると言って聞かず結局この場に居る。調子が悪くなったら言うという約束でだが。椅子に座り、俯きながら離す練師から目を離さずにいた。
「少しずつ、体調を崩す事が多くなったわ。時期で言えば……夷陵の戦いが終わってからだった」
夷陵の戦い。劉備が呉に、というか陸遜に大敗した戦だ。多くは語らずとも誰もが知っている大規模な戦である。
「そこから、少しずつ、私は緩やかに意識を失う事が多くなったの。気がついたら、寝台で寝ている。孫権様からも心配されて、娘達にも心配をかけて……」
「理由は?」
尋ねれば、練師は首を左右に振って「わからない」と告げた。原因もわからず、それは未だに続いているという。
「気付いたら違う場所に居たり、見知らぬ事を誰かから話される。夜な夜な私が出ているという話もあったり……私は自分が、怖いのです」
「記憶がないのか? 練師殿は」
「抜け落ちているみたいに……私は覚えていないのです」




