幻影の焔~不信感~
■□■□
「あら、わたくしのところまで挨拶に来てくださるなんて。流石、蜀の人間は違いますわね」
「お褒めに預かり光栄でございます、魯班殿」
魯班の住む離れの城。劉禅達が居るであろう城からは少し離れている。煌びやかな調度品、装飾――彼女がどれほど贅沢をして過ごしているのかわかる。姜維は趙雲に頼み、劉禅の力を借りてすぐに魯班と約束を取り付けた。すれば彼女はすんなり会ってくれる事になった訳である。流石、趙雲と言うべきか、劉禅と言うべきか。
孫魯班。孫権の妹である。孫覇派である彼女は、孫和を蹴落とすために孫権に諫言を様々告げ、孫権の寵愛を孫和から奪ったそうだ。そして孫覇が今、孫権に寵愛されている。この女をどこまで信じて良いものか――姜維は作り笑いを漂わせながら魯班に案内され、一室へと入った。元姫は己の数歩後ろに立つ。
「姜維殿、彼女は?」
「この方は私の護衛です。私が非力なもので」
どの口がそれを言うんだ。元姫から信じられないわとでも言いたげな視線が姜維の身体を貫いたが、姜維は何も言わなかった。
「あら、そうですの。孫覇と一緒ですわね、あの子も非力なもので」
「私も強くなりたいものです。……ところで、魯班殿は最近何かにご執心と聞いたのですが」
魯班の目が鋭くなった。流石に直球過ぎたか。
だがその心配は無用だったらしい。
「その様子だと廃立争いはご存じかしら」
「はい。蜀に居ても耳に入ってきたもので」
陸遜に聞いた事だという事は黙っておく。そんな事を言えば陸遜が死を賜りかねない。
「そう、そうなのよね。姜維殿は孫覇が相応しいと思うわよね?」
「そうですね、私はお二方に会った事がないので何とも。ですが、魯班殿が仰るのならそうなのでしょう」
「そう、そうよね。孫和なんて皇帝に似合わない。父上の後を継ごうだなんて、甘いですわ」
怒りが、憎しみが見えた。いや、それとはまた別の――何だろう。やはり何処か、既視感がある。でもそれが何かなのかまではわからなかった。姜維は「まるで憎悪でもあるようですね」と魯班に尋ねる。すると彼女はすんなり口を開く。
「実は、皇后に王夫人――孫和の母を立てようという話が出ているのです。我が母、歩練師を差し置いて! そりゃ、母は身分が低いですが……」
ああ、それで魯班は孫権に様々な事を諫言し、孫和の失脚を狙うようになったのか。姜維は瞬時に理解した。
「そうですわ、姜維殿! あなた、王夫人を殺してくださらないかしら? あなたが殺せば我が母は皇后になれますの。蜀の将兵であるあなたが手を出せば、呉が荒れる事もない。父上も母を皇后に立ててくれますわ!」
「魯班殿、それは……蜀と呉で争いが始まります。我が主公はそれを望んでいないので」
手をかける事など出来ない。そんな事をすれば姜維とて己の身が危ない。他国の夫人を殺したとなれば降格だけじゃ済まない。下手したら死刑だ。
「ですが殺したいのであれば――暗殺の手練れを使えばよろしいかと。ああ、そう言えば呉帝はお命を狙われたとか……」
少し引っかけてみる。引っ掛かるかどうか――というところだったが、それも不要な心配であったようだ。魯班は怒りを見せつつ、拳を作っては床に振り下ろした。小さな音が響き、部屋の外に居る女官達が小さな声を上げたのが耳に入る。
「そう、そうなのよ。誰かはわからないのだけれど、噂では我が母が放ったとか言われているし……全く迷惑な話ですわ!」
でも、わたくしも母を全て信じている訳ではありませんのよ。魯班は俯いて悲しそうに表情を歪めた。その顔に姜維は疑問が残り、尋ねる。
「実は……母が、夜な夜な中宮……屋敷を抜け出しているという噂がありますの。その次の日に限って父が襲われる。だからわたくしも周囲も、無視出来ないのですわ」
「それは……誰かが目撃したのですか?」
姜維はじっと魯班を見据える。彼女の真意を定めるためだ。彼女はそんな姜維の思惑に気付かず、ただ感情に任せて口を滑らせる。
「妹の魯育ですわ。この政争の中、誰を信じていいかわからない状態。……ですので、信じる価値があるかどうかは不明なのですが、尚香の叔母上や、叔父の孫策も目撃しておりますの。そもそも母のような側室が夜な夜な抜け出す事がおかしいと」
魯班の言う事は一理ある。側室である練師が屋敷から抜け出す意味は、何だ? この状況なら孫権を亡き者にしようという見解。だが彼女が孫権を殺して何の得があるのだろうか。練師は孫権に多大な愛を受けており、皇后のような扱いを受けている。証拠があっても、動機まではわからない。姜維は口元に手を添え深く考え込んだ。
「もし、練師殿が呉帝の暗殺を企てたとして、動機は?」
「動機……そうですわね。母の立場から考えるには……皇后になれないから、とかでしょうか」
「練師殿の性格からしてその可能性は低いですね」
嫉妬を知らぬ性格だと聞いている。他の女性を孫権に勧めるくらいだ。そんな彼女が皇后になれないからで暗殺。全く考えられない。練師の線は有り得ない――と考えても良さそうだ。
「もし、私が練師殿なら、考えられる可能性としては政争を始めたから皇帝として責任を取らなきゃいけない。そのために殺し、己も死ぬと思います。私は呉帝でも練師殿でもないので、本当の気持ちはわからないのですが」
一番は練師殿に聞くのが早いでしょうね、と姜維は言葉を終わらせた。しかし、夜な夜な外へ出ていた――不可解な行動は気になる。
「なら、姜維殿、あなたが母の行動を探ってくださる? わたくしはそれさえわかれば、安心出来ますの」
「では呉帝に許可を取り練師殿と会えるよう取り次いで頂けますか? 魯班殿がそれをしてくださるのなら私は練師殿とお会い致しましょう、彼女を探りましょう」
ただでやるつもりはない。変な事をして、孫権に目をつけられたくはない。いざとなれば劉禅や趙雲が何とかしてくれるだろうが、あまり迷惑はかけたくはない。目の前で悩む魯班を見据えつつ姜維は返答を待つ。
「そうね……出来るかしら。いえ、やってみせますわ。わたくし、母の無実を証明したいの」
では許可が取れた暁には是非ご連絡を。姜維はそう告げ小さな笑みを見せた。滅多に笑わないため口角が釣りそうだ。




