幻影の焔~我が役目~
「わかった。伯言殿、あなたはどうする?」
「私は陛下に嫌われてしまっているので、無闇に動けません。水面下であなた方を支援致します。また、劉禅殿、曹叡殿の暗殺を企てている将兵もおります」
そう言えば諸葛亮がそんな事を言っていたなと姜維は思い出した。そして出立前に彼から言われた事を思い出す。
――本来なら、他国の皇帝を弑する事など言語道断。戦も免れません。ですが、孫呉がもし、もしそういう手に出るという意味は……、恐らく孫権の考えかと。
諸葛亮はこれを読んでいたのだろう。流石、諸葛孔明。劉備を何度も救った知者だ。
「それも、孫権殿の指示?」
元姫の問いに陸遜は「そこまでは……」と申し訳なさそうな顔をする。だが正常な判断を失っている孫権だ。有り得なくはない。
「わかったわ。では、私と姜維殿は建業の民や将兵から情報を収集し、趙雲殿達と情報の共通を図るわ。子桓様は如何なされますか」
「私は琰と共に城へ参る。孫権への挨拶もしなくてはならんからな。調査は、最初は琰に任せておく。私は後ほど合流しよう」
曹丕は先帝のためこういった事も欠かせない。そのために蔡琰を連れて来たのだろうと姜維は理解した。彼女は昔から曹丕のお付きではあるが、曹丕とて彼女を危険な場所に連れて来る事をよしとしなかっただろう。
「では私と元姫殿は先に調査する。後ほど合流しよう」
姜維は立ち上がり、陸遜に別れの挨拶を済ませ元姫と共に陸家の屋敷を出る。兵士が持ってきた馬に跨がり手綱を握れば、屋敷から蔡琰がやって来た。
「姜維、待ってください」
「蔡琰殿」
やって来た蔡琰を馬上から見下ろす。改めて見ると、彼女とは数年ぶりの再会だ。久しい気持ちはあるが、今はそんな感情を斬り捨てた。
「……民衆の中にも、呉の将兵が紛れ込んでいます。陛下と呉へやって来て、陛下の命令で呉内部を調査した使者が五人斬られているのです」
「つまり、敵は魏に喧嘩を売ったという事ですか。戦になるのでは?」
「しかし、陛下がそれを不問としました。探った我々にも非があると」
「曹丕ならすぐに呉を焼き尽くすでしょうに」
胸に手を添えて痛ましい表情を見せる蔡琰。彼女もこの現実を嘆いているのだ。姜維は溜め息を吐いて「わかりました、気をつけましょう」と言葉を述べた。
「それと、姜維、わかっていると思いますが……陸遜殿に頼まれたからと言って深入りはしないように。此処は呉です、あなたの国でも何でもありません。私達が昭烈帝(劉備殿)から託された仕事は「皇帝陛下の守護」です」
あくまで建前、陸遜の話を受け入れたのはそういう事。蔡琰は静かにそう告げた。痛ましい事件で同情の余地もあります。解決して差し上げたい……その気持ちもあります。ですが、陛下の命が脅かされるのなら陛下の命を優先で考えるべきでしょう――と蔡琰は陸遜を難なく切り捨てた。
意味も、理由も、わかる。そして蔡琰は疑っている。己が何か邪な事を考えていないかと。姜維は「わかっています」と言葉を蔡琰へ突き返した。
「私は馬鹿じゃありません。わかっていますよ。……蔡琰殿こそ、曹丕の手綱をしっかり握っていてくださいよ。あの傲岸不遜な馬鹿野郎はいつも私の邪魔をするから」
握っている手綱を引いて馬を走らせる。元姫が後ろから着いてきているのを確認しては、前を向いた。小さく漏らした咳も馬が駆ける音で、かき消えていく。
建業の城内へ入り、馬を預ける。侍女達から劉禅の部屋を聞いて客間へと案内された。荘厳な扉の前には武装した蜀兵。姜維の姿を確認すると拱手し扉を開け、姜維は元姫と共に室内へ入っていく。
「主公、趙雲殿」
「姜維か、どうした」
「はい、情報の提供をと思いまして……」
「そうか、では私が聞こう」
趙雲は劉禅の様子を目線で示す。呉の美人な女官を侍らせ見知らぬ高官と酒と食事を愉しんでいる。完全に酔っている。以前劉備が「禅は似て欲しくないところが私に似てしまったな」と劉備が言っていたのを思い出した。
「おや、そちらの若い方もこちらへどうぞ。今劉禅殿と昭烈帝の話で盛り上がっていたところなのだ」
「いえ、私は結構」
「まあ、そう言わずに」
劉禅の相手をしている高官は女官達に命じ姜維の元へ。三人の女官は姜維の身体に触れ、腕に身体を密着させる。姜維は溜め息を吐くと懐から匕首を取り出し女の一人に向けた。
「胴体から首を離したくなければ離れろ。私は、手加減などせぬぞ」
「も、申し訳ございませぬ……ッ!」




