幻影の焔~既に亡く、鳴く、無く~
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孫呉――蜀の南に位置する国である。三国鼎立を提唱したのも、不可侵条約を掲げたのも孫呉である。諸葛亮が引退し続けて蒋琬、費禕など劉備時代に蜀を支えた者が引退。姜維が北伐を慣行し蜀と魏は絶える事のない争いを続けていた。孫呉は「天下統一」の意味、「三国鼎立」での「天下統一」唱えた。双方の皇帝はそれを飲み、現在は戦厳禁となっている。
まあ、魏と蜀の間で小競り合いは絶えないが。
そもそも孫呉自体、己の土地を領有する事しか目にないとも言える。
劉備に見送られ数日、劉禅の護衛という名目で姜維、元姫、趙雲――そして魏からの来訪者である曹丕、蔡琰は孫呉へと入っていた。馬に揺られ、呉を目指す。
「姜維殿、無茶はしないようにね」
元姫からの珍しい心配に姜維は寒気がした。何か企んでいるのだろうかと思うが、馬に揺られている彼女を見ればそうでもなさそうだ。
「あなたは無茶するから」
「なら、無茶はさせないで欲しいものだな、元姫殿。……だが、どうしてあなたまで着いてきた? 核は今回関係ないが」
劉備に命令されても断ればいい。元姫は蜀の人間ではないのだから断れば劉備も行かせる事はしなかった。姜維の護衛であるから――という役目も、今は必要のないものだ。元姫は「月英殿に頼まれたの」と告げた。
「月英殿に?」
「ええ。姜維殿はすぐ突っ走るから、止めてあげて欲しいって。あと今回は曹丕様も居るでしょう? 仲悪そうだから、愚直に突っ走りそうだと私が思ったからよ」
月英に言われたのなら仕方ない。彼女の言う通り突っ走る癖はある。ならば此処は月英の顔を立てるためにも自重していかなければ。姜維は月英のためにそう誓う。
「でも、姜維殿と子桓様……文姫殿が仲良いなんて初めて知ったわ」
「……魏では戦で親を亡くし苦労している家の子供を曹操が自分の城で女官達に育てさせていたのだ。それ以外に、将兵の子供も、だ。将来魏のためになるからな」
「初めて聞いたわ、そんな話。私の旦那はそんな事言わなかったから」
「だろうな。基本的に親と離されて暮らす事になる。魏の内部では反発する者も多かった」
姜維の家は天水で有名な豪族だった。だが父の死で貧しくなり、それを拾い上げてくれたのが曹操だ。その時に曹丕と会い、曹丕付きの女官である蔡琰に育てられた。曹丕とは兄弟のように育ったのである。
だがこの育成方法を知っているのは魏でも曹操の身近な将兵くらいだ。選ばれた将兵のみが子供を曹操の城に預ける。故に元姫が知らなくてもおかしくはない。
「ちなみにあなたの夫、司馬昭と、その兄司馬師も一緒に育ち教育を受けた」
「そうなの?」
「ああ。曹丕の側近が司馬懿だからな。ついで……みたいなものだろう」
子供は幼い頃から将兵の手ほどきを受ける。次代を期待されて曹操の下へ集ったのだから当然だが。そのため、姜維は魏の聡明な人材に教育を受けた。司馬懿に郭嘉や荀彧――、武では張遼を初めとした将軍達に。故に知勇兼ね備えた武官となったのである。
「では、子桓様と姜維殿は幼馴染みね」
「気持ち悪い事を言うな! 私と曹丕はそんなものじゃない。敵だ、敵。あいつは私の母上を殺したのだからな」
姜維は少し離れ、前方で蔡琰と共に馬に揺られる曹丕を睨み付ける。
曹丕が太子であった頃に姜維は蜀に捕まり捕虜となり、完全に蜀に寝返ったと思われたのか母を曹丕の手で殺された。故に姜維は曹丕を嫌っているし、控えめに言って殺したいくらいである。乱世だから仕方ないと言われればそれまでだが。
「でも、子桓様だって好きで殺した訳じゃないでしょう? 好きで人を殺す人なんていないもの。誰だって殺しは嫌いよ」
「元姫殿、あなたは綺麗だな」
姜維は馬の手綱を握り、護衛でやって来た数百人の兵士達の行軍を見ながらそう呟いた。元姫は軽く頬を染めては「何よ、いきなり」と漏らし顔を逸らす。
「この乱世、戦が大好きな人間なんてたくさんいる。人を殺して喜ぶ輩も」
「子桓様がそうだって言うの?」
「さあ、私にあの男の気持ちはわからないが――曹丕はあなたが思っているほど優しくはないというという事だ。……だが私とて、母上を殺した男を好くほど軽い男ではない」
俯いては手綱を握る手に力を込めた。幼い頃から苦労をかけた。母と幼い頃に引き離され、曹丕達と育ち、役人となり、蜀に降った。最後に生前の母と最後に会ったのは随分と昔。曹操の下へ送られる前――十にも満たない歳だった。やっと会えたと思えば、それが墓前だったなんて憎しみが生まれない方がおかしい。




