幻影の焔~友よ、過ぎ去りし思い出よ~
曹丕。字を子桓。魏の初代皇帝であり、曹操の息子である。そして、姜維のかつての友であった。
姜維の父は姜維が幼い頃異民族討伐で死んだ。そのため、姜維は幼い頃から苦労を重ねてきた。そんな姜一族を不憫に思ったのか、曹操は姜維を自らの息子や娘達と共に女官達に託した。まあ、他の将兵の子供も一緒であったが。一時期託児所みたいになっていたのを幼いながらも覚えている。
「何だ、数年ぶりの再会だと言うのに随分恐ろしい面だな」
「当たり前だ。何故貴様が此処に居る」
まさか、元姫か。姜維は元姫を見据えるが彼女の目は嘘を吐いているような目をしていない。ならば、何故。だが劉備が許しているという事は何か――事情があるのだろう。
「姜維、落ち着いてください。私と子桓様は重要な外交問題で来たのです」
曹丕の傍に控える茶髪の女性。かつての育て親、蔡琰である。字は文姫。彼女ともまた顔見知りだ。腰まである毛先を輪状にして纏め、白の攘夷にゆったりとした紺の下衣を着用する彼女は真剣な目で姜維へ訴えた。
「……蔡琰殿、あなたがそう仰るなら」
「ありがとうございます、姜維」
外交問題で来た。となると――孫呉か。姜維は魏の二人が此処に居るという事からすぐに察する。そういえば月英が言っていた政争の事か。
「皆集まってくれて感謝する。後日、孫呉で平和記念祝宴が開かれる。それに、皇帝である劉禅、魏帝・曹叡殿が招かれている。もちろん、二人には参加してもらう。曹叡殿は向かっているそうだ。……これには親交を深めるという目的もあるため、将兵達も劉禅に同行してもらうが――」
劉備は少し不満そうな、小難しそうな顔をしている。そこに諸葛亮が口を開いた。流石劉備の水である。諸葛亮は白い羽扇で口元を隠しながら目を細めた。
平和記念祝宴は数年前に結ばれた不可侵条約の平和を祈るもの。盟主である孫権が毎年開き、魏と蜀を招き交流とお互いの国の状況を話す。何故孫呉が盟主なのか。その理由は明白、魏と蜀は別に平和を祈っていなかったからだ。
「今回の祝宴は普通ではありません。政争が起こっている中での祝宴。本来ならば政争の中で他国を招くなど有り得ません」
「……何か、意図があるという事でしょうか。諸葛丞相――……あ、いえ、孔明様」
姜維はすぐに諸葛亮の役職から字へ言い直す。癖で呼んでしまう役職だが、諸葛亮と月英から字で呼ぶよう言われている。諸葛亮は「流石姜維ですね」と小さな微笑みを携えた。
「それと、孫権も何者かに暗殺されかけている。それを踏まえると、政争を我らに止めて欲しいか、政争に我らを巻き込むか、孫権を暗殺するための手駒とされるか――と可能性はたくさんあるな」
曹丕は腕を組み蔡琰に目線を送る。蔡琰は懐から竹簡を取り出すと、劉備へ跪き差し出した。劉備はそれを手に取る。
「曹叡様に送られた竹簡です。蜀帝・劉禅様の竹簡と違うのは、暗殺の事が記されています。それと、政争の事も……」
「ふむ、そのようだな。……孔明、何かわかるか?」
竹簡を開く劉備の傍から、孔明は竹簡を覗き見る。「推測ですが」と彼は話を切り出した。
「魏帝には危険を知らせ、劉禅殿には知らせなかった。これは……“孫呉からのおもてなし”かと」
おもてなし。ああ、そういう事かと姜維は理解する。
「つまり――、皇帝のお二方は孫呉で殺される。それを魏帝の竹簡で危険を示した。私達がこうやって相談すると見越して。……竹簡を書いた方は聡明な方だと存じます」
「じゃあ、それを防がなくてはだなあ。と、なると私と曹叡殿が囮となるのはどうだろうか」
先ほどまで黙って聞いていた劉禅はふと提案する。だが傍に控えていた黄皓は顔を青ざめさせた。こういう突拍子のない事を告げるから劉禅は馬鹿ではないかと思われる事が多い。まあ、劉備と比べられるのは可哀想な気もするが。
「な……ッ陛下何を! 陛下の身に何かあったらどうなさるおつもりですか!」
「黄皓、だが私は戦えぬし、その方が姜維達は裏から何か探れるのではないかと思ってな」
「それでもダメですぞ。そんなの、危なすぎます」
「傍に誰かつければいいのだろう? 大丈夫だと思うがなあ」
いつも通りの間延びした、ゆったりとした声。劉禅は暢気に「良い案だと思ったのだが」と眉を下げた。
確かに、案としてはいいが――そうなると劉禅に人員を割かなくてはならない。そして彼の身の安全のために早急な解決が望まれる。厳しいところではある。
「――黄皓、決断を下すのは私だ。黙っていろ」
普段とは違う、劉備の冷徹な目と怜悧な声が黄皓を射抜く。彼は身じろぎし、小さく了承の声を漏らし拱手すれば黙り込んだ。
黄皓は宦官。卑しい身分の出であるため劉備に取り立てて貰えなかった。劉備は、黄皓が宮中で自由にするのを防いだのだろう。もし、彼が、引退していなければ黄皓が宮中で専横する事はなかったのだが。
「……殿、劉禅殿には私が護衛に回りましょう。その間に姜維と曹丕殿には呉の“おもてなし”を遮ってもらえば……孫呉の悪意を阻む事が出来るでしょう」
「うむ、趙雲、おぬしの言う通りだな。――どうだ、孔明」
「はい。我が君のお考え通りでよろしいかと」
趙雲一人居ればどんな悪意でも阻める。劉備はそう考えたのだろう。
ん? だが、いや、待てよ。
姜維は劉備の発言に疑問を持った。
「よし、では姜維と元姫殿、趙雲は曹丕殿達と共に孫呉へ向かえ。劉禅と共に向かうと良いだろう」
断れる理由もない。姜維は月英が言っていた事が的中し、心中で頭を抱えた。曹丕を見れば、全てを理解していたかのような、煽るような視線を向けてくる。姜維は怒りを抑え、表情を崩さずに劉備へ拱手した。
ああ、これは波乱の予感――だ。




