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姜伯約の北伐政策  作者: はくりなのい
第三章 王元姫の奪還戦線
33/141

結晶の囚人~新たな始まり~

■□■□


「北東四十五度!」

 濃霧が深い。お互いの場所でさえも離れすぎればわからなくなる。だが声だけ届けば大丈夫だ。姜維は元姫の声で血に塗れた槍でその空間を斬り裂いた。濃霧が裂かれ哀姫の顔をしたジエジンが姿を現す。氷の剣で受け止められるが、剣は折れ右肩を斬り裂く。

「ぐ、あ、ッ」

 防御もしない、攻撃も。シージエの破壊で力が失われているのだろう。好機、これを逃せば哀姫は助けられない。哀姫に残された時間は少ない。成都城で劉禅に誓ってから一時間は過ぎている。早く、助けなければ。

 姜維は手を休める事をしなかった。即座に腹部へ槍を突き刺す。ジエジンから吐き出された血液が姜維の顔にかかる。

「な、めるなッ若造ッ!」

 右胸に折れた剣を刺される。だが負けてたまるか。此処で、負けたら、終わる。全てが。姜維は痛みに顔を歪ませるも耐え、ジエジンの身体を貫き続ける。シージエは音を立てて亀裂を生み出していく。地団駄を踏むようにジエジンは右足で氷の床を叩きつける。すれば近くの空間から無数の長い氷刃が姿を見せ姜維を貫く。氷の床からも出現し腹部を貫かれる。だが姜維は血を吐いただけで槍は手放さない。そんな状況で、姜維は、貴重な笑みを見せた。

「き、さまッ――!」

 氷の匕首を左手に現したジエジンはその手を振り上げ、そして姜維の首目がけて振り下ろ――したはずだった。だが僅か数ミリの場所で手は止まる。

「な、なん、ッ……ッ何でッ」

 身体の自由が利かないのだろうか。それには姜維も想定外だ。ジエジンの力が関係しているのか、それとも別の理由か。

「――姜維。迷わないで、やりなさい」

 ジエジンから発された言葉。哀姫の口で発されたその言葉は、誰なのかすぐにわかった。黒い瞳に力強い意志を込め、鋭く光る刃のような輝きはまさしく燕人張飛そのものだ。

「御意」

「ッ、き、さま、我に、俺に逆らうつもりかッ!」

「返して貰うぞ、哀姫様の御身を」

 ぐ、と槍を握る手に力を込め、刃を埋め込んでいく。

その口で、その声で、その顔で、その人を穢すな。我らの女神を、穢すな。

静かな怒りを携えてただ目の前の敵を追い詰める。ジエジンの胸元に浮かび上がるのは黒と白の八卦の紋様。

「あ、が、この、我が、貴様らなんかにィイイイイッ!!!」

 ジエジンは姜維の首を掴もうとするも、掴めない。哀姫が止めているのだろう。八卦の紋様は光を帯び、そして。

「砕け散れ」

 元姫の静かな声が聞こえ、目の前のジエジンは光の粒となり砕け散った。それと同時にシージエも巨大な音を立てて砕け、氷の結晶が周囲をたゆたう。姜維に刺さっていた氷の刃もまた、霧散して消える。濃霧が晴れ、成都の景色が見える。だが此処はまだ異空間である事を示すように、開拓地に留まる兵士、それに楊儀は姜維達に気付かない。

 振り返ると八卦の紋様が地面に浮かび上がっており、氷の粒が収束し哀姫の身体がそこに現れる。姜維が傷付けた傷はそこになかった。血も、付着していない。姜維に劉備達はすぐに駆け寄り、劉備は彼女を抱き起こした。

「哀姫ッ!」

「……ッ、玄徳、さま」

 黒い瞳を開けた哀姫。姜維達は安堵で胸を撫で下ろす。

「すまぬ、こんな汚れた手で」

「いいえ、途中から意識が戻って……見ていました。姜維が、玄徳様が、元姫殿が……助けてくれるのを。だから私も、お手伝いをしたかったのです。……最後に手伝えてよかった」

 哀姫は姜維に目を向け、姜維は拱手する。

「ありがとう、姜維。あなたのお陰で助かった」

「いえ、褒められる事では……。あなたを助けるために、私はあなたを傷付けました。本来なら処断も免れぬ行為です」

「いいえ、あなたは私を助けるためにやった事。それに処罰というのなら玄徳様もそれを受けなければいけないけれど。もちろん、元姫殿も」

 それを言われ、姜維は少し言い淀んだ。流石に皇帝代理を処罰させる事も出来ず、更には魏の将軍の妻を処断など出来ない。行えば戦が始まるだろう。不可侵条約など関係なく。

 姜維は少し困った顔をすれば哀姫は劉備の腕の中で小さく笑う。ああ、やはり、彼女には笑みが似合う。

「ふふ、冗談よ。……姜維も、玄徳様も、元姫殿もありがとうございます。お陰で私は帰って来れた」

 姜維と元姫は再び拱手する。彼女に忠誠を誓うかのように。これで一先ず安心か。そう思えば力が抜けた。姜維は拱手を崩してしまい、その場に座り込む。

「す、すみません……」

「帰りましょうか。哀姫殿を早く劉禅殿へ見せてあげなくては」

「うむ、そうだな。して、帰る方法はどうする?」

 法正殿を起点として使用します。転送装置のような……此処から法正殿の居る場所へ一瞬で移動出来るのです。と元姫は説明する。

「ただ、ジエジンもまだ回収出来ていません。新たなシージエはすぐに作られないと思いますが、此処に長く留まるのは危険です。まずは哀姫殿から転送し、その後に劉備殿、姜維殿、私という風に移動します」

 普段なら一気に移動出来るが今は力を使い過ぎたため、それが出来ない。とりあえず狙われる危険性が高い順から転送する――と元姫は立ち上がった。それに姜維達は了承し、頷く。その際に狙われても困るという事で姜維と劉備は周囲を警戒する。

 元姫は哀姫に手をかざし八卦の紋様を再び浮かび上がらせる。すれば彼女は光に包まれて消えた。これで法正の元へ戻れたそうだ。

「では次は劉備殿――」

 突然元姫の身体が体勢を崩し、劉備の胸へ預けるように倒れる。何だ、まさかジエジンか。姜維は槍を強く握り締めるも、視界が霞んでいく。あれほどの攻撃、耐えている方がおかしい。だが、此処で倒れる事は出来ない。

「……身体を奪われるとはな、予想外だ。いいぜ、本気を出してやる。認めてやる、我と互角に戦う存在だって」

 白い髪、白い服、白い肌――ジエジンは最初に出会った姿で現れた。両腕を上空へ高らかに突き上げ、何かを捧げるように、彼は目を閉じた。

 危険だ、させてはいけない。本能がそう告げた。

 姜維は瞬時にジエジンへ迫り槍を彼の胸へ――。だが突風で吹き飛ばされ、地面を転がる。ジエジンの身体は氷によって凍らされ、その氷は霧散する。周囲の景色も次第に変貌し氷で包み込まれ成都の景色など見えなくなった。四方八方氷に囲まれ、凍えるような寒さで気温が低下する。氷に包まれた世界の中心には氷に凍らされた一本の刃。刃の氷は一瞬で砕け散り、その中から現れたのは白い肌を持つ美女。血色の悪い肌を露出させ、白と水色の中東風の洋装を見せた。

 あれはジエジンなのか、それとも彼の力なのか。姜維は身体を起こし、劉備に視線を送る。彼は意図を理解し、元姫を抱えては後退した。

「――嬲って、いたぶって、辱めて、屈辱を与えてやるよ」

 神々しい。そう言えるほどのジエジンは怪しく笑った。姜維は口元の血を拭い、彼――もとい彼女を見据える。脳内に響く警鐘を押さえ込んだ。恐怖も、痛みも、忘れて、ただ彼女を瞳に映す。ただ、敵を倒す。今は国も、命も忘れて槍を握り締めた。

 血に塗れた槍は、姜維に応えるように血を滴らせた。


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