結晶の囚人~悲劇なんかじゃない~
「――ああ、忘れていないぜ。元姫、なんたってお前が一番厄介だ」
まずい、そう思った。姜維は劉備に視線を向け、彼は瞬時に判断し元姫の元へ駆けていく。それすらも罠だったのだろう。いや、どっちが狙いだったのかわからなかった。
氷の床から出現する剣。予備動作もなく、突然のため僅かに反応が遅れ姜維の右脇腹を貫いた。血が口から滴るも、次々と出現する剣を避ける。今は壊す暇などない。元姫が――危険だ。そう、何故かそう思うのだ。姜維は剣の側面を足場とし空中へ飛び上がれば、上空からジエジンへ斬りかかる。
その時、姜維は見た。嫌なほどの笑みを。
高らかに上げられた右手には氷の巨大な弓。引かせてはいけない。姜維は弓を破壊しにかかる。上空へ向けられた弓。姜維はすかさず左手で氷の鏃を掴み、弓を破壊した。
「残念だったな、姜維」
「ッ――!」
刃と刃が交じり合う音が聞こえる。振り返れば元姫と劉備の前にはジエジンの分身。嫌な予感がする。そして弓は引かれた。劉備と元姫の目の前で。嫌な予感――違う、これは既視感だ。受けた事のある攻撃。
瞬間、氷矢の雨が降り注ぐ。元姫とてこの数を風であしらえまい。姜維は己の身を守るために弓を槍でいなしつつ、元姫と劉備の元へ後退していく。一本、一動作、間違えば蜂の巣にされる。間違い一つ犯せまい。だがジエジンは今までの報復とでも言わんばかりに自らの背後から剣を生み出し、それを降り注がせていく。
「ぐ……ッ」
矢が右肩を貫く。それと同時に目で追う事すら難しい刃と矢は降り注いでいく。轟音を立てて床に突き刺さっていく刃。姜維はそれを回避し、心臓に刺さらないようにいなしていく事しか出来なかった。
刺さる刃、氷矢。血が溢れる、傷が開く。腹部の臓器が悲鳴を上げていた。もう休め、休んでくれと言われているようだった。それでも動かないという選択肢はない。ただ己の役目は、姜維達の役目はただ一つ。
悟られないように動くのみだ。
■□■□
「……ッ」
怒濤に降り注いだ矢と氷の刃。僅かに鼻孔を刺激する鉄のにおい。血だ。やられたのかと額から血を流しながら、元姫は身体を起こした。目の前には矢と剣の山。そして――、己は何故か氷矢と氷剣の山を外側から見ていた。
いや、守られたのだ。劉備によって。
あの時、三人共蜂の巣になる予定だった。でも違った。姜維がジエジンと奮戦する中、劉備は元姫に守られ、間一髪のところで突き飛ばされた。矢に右太股と二の腕を貫かれただけの怪我で済んだのは彼のお陰だ。
「く……ッ」
元姫は己の力で自らを貫いている矢を消滅させる。まずはあの二人を救わなくては。そう思った瞬間に剣と矢の山が崩れ、より一層血の臭いを強くした。
中から現れたのは血塗れの劉備だった。右脇に剣と矢で身体を貫かれた姜維を抱え、身体を剣と矢で貫かれたまま一歩一歩進んでくる。脇の姜維は意識を失っているようだった。
「ッ、劉備殿ッ!」
元姫はすぐに二人へ駆け寄る。劉備は元姫を見ると安堵したような優しげな笑みを漂わせた。この状況でも微笑む劉備は、やはり神なのだろうか。
「無事、でよかった。元姫殿」
「私などッ……! それより劉備殿と姜維殿が……」
「私は大丈夫だが……姜維は危うい。意識がない」
攻撃で解かれた腰下まである髪を劉備はなびかせながら、自らの帯紐の一つを解くとそれを髪に巻き付け纏めた。
「……元々、最初から大怪我をしていたから……私が……ッ」
「元姫殿、悲観するな。姜維は生きている、大丈夫だ。……あの攻撃の中、私が攻撃に飲まれた時、姜維は攻撃を避け、いなしながら私の元へやって来た。そして私を守ってくれたのだ。私が元姫殿の元までたどり着けたのは、姜維のお陰なのだ」
「そう、なのですね」
血に塗れた髪が散らされた姜維を見つめる。元々怪我が酷かった。それでも彼は動いた。ならば今度は己の番だ。元姫は姜維の頭に手をかざすと僅かに生命力を分けた。これで死ぬ心配はないだろう。
「劉備殿、哀姫様を引っ張り出します。私に策があります」
「おお、それは真か」
「はい。ですが、それをするには武力が、必要です」
元姫はか弱い。だが、戦場で守られているだけの女ではない。己も矢面に立って戦うくらいの力はある。二人が守ってくれた命、必ず繋いでみせる。
覚悟の籠もった黒曜石の瞳は劉備を射抜く。彼は頷き、姜維を床に寝かせた。
「まず、何をすれば良いのだ?」
「はい。まずは――」
途轍もない殺気。劉備も気付いたようだった。元姫は劉備と共に姜維を守るように立ち、短刀を取り出し構える。以前、正室の司馬昭から貰ったものだ。
何処だ、何処から来る。元姫は額に汗を滲ませる。戦場に立った経験がない訳ではないが、こういう戦いは初めてだった。
「――ッ、劉備殿、東に三十度!」
元姫の合図で劉備は駆けていく。東三十度の空間を劉備は斬り裂く。姿を見せるジエジンだが霧となって消えていく。恐らく、次も同じか。再びの反応に元姫は合図し劉備を走らせ、彼に斬り裂いてもらった。やはり、結果は同じ。斬って、逃げられ、斬って、逃げられ、斬って、逃げら――その繰り返しだ。
だが、何かを狙っている。それだけはわかった。
元姫は姜維の前に立ちながら、短刀を握る手に力を込める。劉備が戦っている間、彼を守る。そう覚悟して。
「――ッ!」
その瞬間、己の頬から血が滴った。右頬に触れると傷が一筋。何だ、攻撃されたか? 振り返って姜維を見ても、彼の身体には今の傷はない。先ほどまでの攻撃で受けた傷はあるが。まるで紙や糸で切ったような傷だ。見えず、気付いたら傷が生まれていた。
そこで元姫は気付く。もしかして、と。
「劉備殿、すぐに下がっ――」
糸を弾くような音が聞こえ、地面から巨大な刃が次々と生え元姫を狙う。右肩を貫かれ、元姫は力で刃を消した。揺れる地面に体勢を少し崩すも刃を左へ避け、姜維を気にかけ、短刀を放り捨てれば彼の身体を抱えて地面の刃を回避する。劉備は、問題ない。気にする必要はないだろう。
世界が、床が揺れる。亀裂が入る――まるで世界が壊れていくような感じがしていた。ジエジンが自ら怖そうというのか、それとも何者からの介入か。元姫は脚を貫かれながらも、姜維を抱え、劉備の元へ足を一歩進めた時だった。
「な……ッ」
頭上に氷塊。刃、矢――と先ほどの悲劇が訪れる。劉備を助けなくては。だが回避しながらの移動は、位置的に難しいだろう。ならば、己の力で助けるしかない。そう思った時だ。
突然、腕の中の姜維に蹴り飛ばされる。意識があったのか――ではなく、また、また、守られる事に申し訳なさしかなかった。姜維は己で立つと蹴り飛ばされていく元姫を一瞥もせず、ただ呟いた。血塗れの赤い背中で、告げた。




