結晶の囚人~若き日々の願い~
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「……う……」
寒い、痛い、冷たい。ゆっくりと重い瞼を開ける。咳き込めば血が溢れ出した。冷気に混じって白い息も吐き出される。朦朧とする意識の中、激痛だけが現実なのだと教えてくれる。痛みが走る左手で目の上を拭えば、決して少なくのない量の血液がこびりつく。何があったかと脳内を整理するまでもなく、視界に入る無数の氷剣で理解した。
「……そうか、私は――」
確かジエジンの刃の雨を受け、回避しようとした。槍で攻撃し防御しようかと思ったが止めた。いや、出来なかった。圧倒的、数の多さに。それならば此処は回避し少しでも体力を温存していた方がいい。そう思い、己の身体能力を信じて回避を続けた――のだが、回避する場所など殆ど存在しない。そのため貫かれ、姜維は一度意識を手放した。
思えばそれが防衛本能だったのかもしれない。腹には二本の剣、左右の腕は貫かれ太股も身体を支えるように貫いている。心臓を避けられたのは奇跡か。姜維は右足に力を込めて剣を抜こうと試みるが、今の姜維では力が足りなかった。
「――流石に死んだか、姜維」
剣の要塞の外からジエジンの声が聞こえる。嘲笑するような、自分の力を過信しているかのような声だ。確かに、此処で死んでいたら楽だっただろうな。姜維は心中でそんな事を考えるが数秒でそんな思考は飲み込んだ。
だが此処で、立ち止まる訳にはいかない。このままだと本当に死ぬだろう。これが戦であれば何とかなっただろうが、これは一人の人物との戦い。戦の経験はあまり活用出来ない。ならば己の武力を信じるしかないのだ。
瞼を閉じれば映し出される。かつて、五丈原という戦場で病に倒れた諸葛亮の事を。いつも危険な状況だと彼の事を思い出す。
――いいですか、姜維。あなたはまだ若い、何でも吸収し、何でも実行しなさい。あなたは魏の将兵でしたから立場は弱いかもしれません。なら、己の実力で黙らせなさい。あなたの才能は何よりも価値があるものです。
――私の傍で見てきた全て、あなたは既に諸葛孔明の全てを持っている。型に囚われてはいけません。柔軟に対応しなさい、あなたの才能を私は信じています。
ああ、そうか、そうですね、諸葛丞相。私は忘れていたようだ。
姜維は目を開く。そこに悩みに悩んだ男などいなかった。居たのは諸葛亮から策を託され、その才を託され、後事を行う諸葛亮の後継者を支える男――だ。
「あ、ああ、ああああああッ」
足に、手に、身体に力を込める。握られたままの槍に血が伝う。腰まである長い髪に血が染みこむ。肉の裂ける音、血と血が混ざり合う水音、ぐちゅり、と氷の刃が身体から抜けていく。少し前のめりになればすぐに剣の切っ先が身体に刺さる。剣のない場所などなかった。安全地帯などない。それでも姜維は、動く。
蜀のため、先帝のため、劉禅のために。
左から右へ己の槍を震う。肉に刺さるのも気にせず、ただ震う。氷刃が無惨にも砕け散る。視界は晴れやかになり、何度も何度も刃を破壊すれば瞳に映されたのはジエジン。姜維は刺さった刃を引き抜き、足の甲を貫いている刃を槍で折って足を進める。ジエジンは右側の口角だけ釣り上げ、眉間には数本皺を刻み、口を開いた。
「……これでも死なないか、姜維」
「死ねないだけだ、私はこの国を担っているのでな」
「ならばこの国諸共貴様を消してやろう。――貴様は何も守れず、何も救えない。そんな未来を我が見せてやる」
「そんな事はさせない。この姜維がいるうちは、我が蜀に手出しはさせぬ」
ほんのお遊び。そう窺える。ジエジンはまだ本気ではない。本気で姜維を脅威と思わないうちはきっと哀姫を取り戻す事も出来ないだろう。だが、そのための、劉備と元姫だ。
姜維はジエジンに斬りかかる。いつの間にか変えていた氷の剣で槍を受け止められた。力を込めれば傷口が痛み、姜維は僅かに顔を歪める。
「所詮降将。何故そこまでこだわる?」
「確かに私は降将だ。蜀は私を救ってくれた」
「騙されて降るしかなかったのに救ってくれただと? 全て諸葛孔明の罠だ」
随分昔、姜維は魏の将兵だった。諸葛亮と北の地で戦い、彼の罠に嵌まり蜀へ降った。いや、降るしかなかった。上官に見放されたからである。そんな姜維を蜀は受け入れ、中々心を許さない姜維を誰も殺そうとはしなかった。母親の事が気がかりであったため魏へ戻る事を望んでいた姜維だったが、魏は姜維の母親を殺害。姜維は魏に戻る価値なしと見なし蜀へ忠誠を誓う事にしたのだ。
つばぜり合いが続く。刃のかすれる音、お互い退かないという意地。姜維はジエジンの額目がけて強烈な頭突きを食らわせる。相手が怯んだのを確認すれば足払いをし、右肩を狙い彼の腕を斬り捨てた。
紫に近い血が舞う。ジエジンの腕が宙を舞い、後ろへ落下する。ジエジンは驚いた表情と、痛みと苦痛が混じった、悔しさ溢れる顔を見せた後、右腕があった場所に氷の腕を瞬時に形成していく。だがそれも姜維によって無惨に破壊された。




