結晶の囚人~その願いは呪いとなって戒める~
「では策だが……敵の弱点は火だったな、元姫殿」
「はい、劉備殿。仰る通りです。……ですが氷の世界、火は存在しないに等しいでしょう。だけど、生み出す事は可能です。二人の武器は鉄から生み出されている、それを使えば可能でございましょう」
発火法の一つで火を起こす。それは想定内だが、先ほどの火計のように巨大な火は起こせない。一部を燃やす、溶かす程度なら可能だろうが。姜維は右手に持っている戟のような槍を見つめる。どうにかして突破口を見つけられないものか。火を使う策、火計は準備も必要だがこの場所なら、溶かす程度なら問題はない。それをジエジンがさせてくれるとは限らないだろう。そもそも火を起こす時点で防がれると考えていい。
「……姜維、何か策でも?」
「ああ、いえ……火を使う――という事ですが、その火も恐らく起こさせて貰えないのだろうと思いまして」
「そうだな、防がれるだろう。何か策はあるか?」
「そうですね……」
姜維は口元に手を添え数秒脳内を巡らせた後、口を開く。
「戦でなら火計するにも人が必要ですから、私が防ぐ側なら兵を派遣し殺させます。地形も関係してくると思いますが、此処は一面平坦な場所。火計するにも隠れる場所も何もありません。と、なると、利用出来るのはこの濃霧でしょう」
「濃霧、か」
「はい。この濃霧、お互い近付かないと目視が出来ないほどの霧です」
姜維は二人が濃霧で見えなくなるまで後退する。それは僅か数歩にしか過ぎなかった。歩幅の間隔もあるが、一メートルにも満たない。
「此処まで来ればお互いが目視出来ません。つまり、この濃霧は隠れる場所と成り得る」
姜維はすぐに二人の元へ戻り話を続ける。
「火計するより、恐らく、奇襲の方が成功率は上がるかと。その上で火計なら……――」
「成功する可能性がある、という事だな」
姜維は静かに首をゆっくりと下ろして頷いた。だが此処でこうやって相談など長くさせてくれない。それも理解しているつもりだ。もちろん火計と奇襲だけじゃ、突破は出来ない。つまり臨機応変に対応するための策が必要だ。
「元姫殿、あなたは移り変わる状況に対応してくれ。策を提示して欲しい。つまり、あなたは司令塔だ。絶対に倒れてはならない、だから私と劉備殿で守る」
「わかったわ。姜維殿と劉備殿は?」
「――実は、少し考えている事が」
二人とも耳を。そう告げ、二人は姜維へ片耳を寄せる。劉備は元姫の小柄な身長に合わせて腰を折った。姜維は二人に合わせて耳元へ口を寄せ考えている事を語り、話し終えれば二人は姿勢を戻した。
「なるほど。だけど、それでは姜維殿が……」
「問題ない。私はかの諸葛丞相の傍で学んできた。政治も、戦も。必ず突破してみせる。だから元姫殿は劉備様を頼む」
「――わかったわ。じゃあ一つだけ……魏の人間である私が、元魏の人間である姜維殿にお願いを、頼み事をしていいかしら」
問おうとすれば元姫は答えすら聞かず姜維の空いている左手を両手で握り締めた。そして、彼女は黒曜石の瞳で姜維を見上げ、告げる。
「死なないで」
僅かに手を振るわせ己を見上げる元姫に、少し鼓動が高鳴った。幼い頃、生まれた村で知り合った女の子を初めて見た気持ちに似ている。彼女に魅せられたのだ。美しく、気高く、強い彼女に。姜維は表情を変えず、眉一つ動かさず「わかっている」とだけ零す。それ以上の語りは無用。時間の無駄だ。元姫から手が離される。少し寂しさを感じた。
劉備に「では、頼んだぞ」と彼の思いを託され、拱手し、彼は元姫と共に濃霧の中へ消えていく。その後ろ姿を見ながら姜維は自分自身を心中で鼓舞する。
「……さて、と……踏ん張りどころか。――見ていてください、諸葛丞相。私は、あなたが守り抜いた先帝を、国を、守ってみせます」
諸葛亮邸で療養中のかつての丞相へ姜維は思いを馳せる。そして、再び自分自身に渇を入れると濃霧の中を歩き出す。
まず、姜維がやるべき事は陽動、つまり囮である。外で劉備が行った役目と同じだが、今回は長期に渡る、未知の場所で担わなくてはならない。元姫や劉備が策を準備している間、姜維はジエジンという核と戦う。攻撃の手法も、相手がどんな手を使ってくるかわからない状態で戦う。他に策はあったのか? 最善策は? そう考えている余裕もなかった。城を出て既に一時間は経過している。哀姫の身体が心配である。一刻も早く、彼女を救わなくてはならない。
囮、姜維が実行するには敵を引きずり出さなければならない。誘き出す。ジエジンの嫌いな火を用いて、彼を誘引する。そのためにやるべき事は決まっている。
姜維は懐に入れていた小さな短刀、匕首と火打ち金を取り出し、匕首の火打ち金に打ち付けるように素早くこすり合わせ発火を試みる。匕首はいざという時のために火打ち石と同じ材料で作られたものだ。火を起こすことに何ら不自由はない。
「よし」
火打ち金に火が灯る。戦で火矢を使ったり、松明を使ったりする時に必要だと思って持ち歩いていたのだが懐に入れておいて良かった。姜維はその火打ち金に、自らの帯紐を僅かに匕首で切り落とし、燃やしていく。火は先ほどより強くなるがまだ弱い、まだ足りない。
「あ、ああ、アアアアアッ!」
風を切る音、叫び声。姜維は振り返り槍を構えるも相手を目視する事すら出来ず、槍ごと吹っ飛ばされた。氷の地面に左手をつくと、空中で一回転し勢いで滑りつつも着地する。目の前には白い人物、ジエジン。男か女かは不明だが、姜維の中では一応男と断定していた。
「……ようこそ、我の世界へ。改めて紹介しよう、我が名は結晶。氷を司る核だ。我の、今宵の、夜の相手は貴様か」
姜維は立ち上がりジエジンを見据える。意思疎通が出来るのかとか、当たり前の事を問うつもりはない。此処が彼の世界なら、望めば簡単にできる事だ。
「私は蜀の将兵、姜維。今から貴様を討つ」
「ほう、何のために?」
「国と、陛下と皇后、そしてこの中国大陸に住まう全ての民――そして未来の中華に住まう人々のために」
ジエジンを討たなければ蜀も、魏も、呉も、この中国大陸も終わる。そしてそれは即ちこの先、何十年、何百年、いや、何千年後の未来も潰す事だ。未来の中国大陸に住まう子孫達を殺す事。未来がどのようになるなんて姜維にはわからないが、今あるべき事、やるべき事は決まっている。姜維は眉間に皺を刻み、鋭くジエジンを睨み付けた。
「……今と、未来のためか……おかしな奴だな、貴様は」
ジエジンは白い瞳を最大限に開き、口角を釣り上げて煽るように嗤った。
「貴様が今、世界を救って何になる。未来は今より不幸だ。たくさん人が死に、たくさん争い、人は繰り返す。何百万、何千万という人が死ぬ。自分達で自分達を殺すのだ。助ける価値もない。――この乱世より不幸だ」
「確かに、そうかもしれない。私達は過ちを繰り返し、失敗し、失って、それでもまた争う。愚かで凡庸、貴様らからしたら私達は同じ事を繰り返す、愚か者だ。――だけど、だからこそ、人は儚く、意味を持つ」
過ちにも意味を持ち、繰り返す事にも意味がある。姜維は静かに、淡々と、ジエジンを瞳に入れつつ告げた。
確かにこれから先、未来は壊れるかもしれない。たくさんの人が死に、また争い、同族道士で殺し合うかもしれない。だけどそんな未来ばかりではない。きっと、そんな未来も、いつか過去として語り合える。そんな過ちを糧として未来の子孫は進める。
だがそんな未来など、姜維はどうでもいいのだ。理由の一つでしかない。
姜維にとって大切なのは――国を守り、劉禅達を守るという事。
「……ふん、貴様、とんだ道化だ」
ジエジンは表情を変えず、相変わらず死人のような色の顔を見せる。腰に手を添え見下すように怜悧な視線を向けた。しかし、彼――には少し違和感がある。
「しかし……、まあ、いいだろう。貴様が守りたいというのなら、守ってみせよ。我から全て――奪ってみせよ」
ジエジンは身体を濃霧に溶かし消えた。すれば濃霧は薄くなり、周囲一帯が晴れる。濃霧が晴れたのは姜維の周りだけだ。遠方を見れば濃霧はまだ残っている。
空を見上げれば氷柱でも振ってきそうな、曇天――のような薄暗い氷が空を覆っていた。氷の床には何かの紋様が記されている。左右には長い階段が二カ所。何処かへ続いているようだったが、濃霧の中へと続いており不明だ。
そして中央には、姿を変えたジエジンがそこに浮いていた。
長い髪をなびかせ、豪族の着るような青い豪勢な服に身を包んでいるジエジン。とんでもない程の威圧感。畏怖に似た気を感じる。だが退けぬ、負けられぬ。姜維は槍を構え、真っ向から向かって行く。槍を振るい、相手の首筋へ振り下ろす。防御も何もしないジエジンに疑問を抱きつつもそのまま肉を裂く――はずだった。
肉が裂けない。刃は弾き返される。だが怯んでいられない。伸ばされた右腕を避け、ジエジンの肩に左手を乗せ飛び上がると彼の後ろへ移動。その真後ろから槍を振るい右肩から斜めに斬り捨てる。が、やはり斬れない。弾き返され、体勢を崩し数歩後退する。
未知の存在、それくらいはわかっている。予想外の事も起こるだろうと想定している。だから、このような事も理解していたつもりだ。が、姜維は元姫のように力を持っている訳でも、ジエジンのように不可思議な能力がある訳ではない。だからこそ、突破しなければ、ジエジンを破らなければならない。一人で。
「――重い、責任だ」
「……怖じ気ついたか、若造」
「ふん、誰が。寧ろ楽しみだ、貴様という不可思議な存在を討てるのだからな」
姜維は再び氷の地面を蹴ると、姿勢を低くしジエジンの懐に入った。
出会った直後だったか、元姫と共に天水を脱した時言われた事を思いだした。
――私達の力は万能じゃない。核もそう。それは神通力でも、魔法……――仙人の力でも何でもない。私達はあるべきものをあるべきものに、失われたものをあるべきものに。それくらいしか出来ないわ。
つまり、突破口はある。ジエジンの力も万能じゃない。必ず隙が生まれる。姜維はジエジンの右脇腹を槍で突き、毒が塗られた匕首を懐から取り出し彼の喉へ突きつける。匕首は簡単に折れ、先端は宙を舞う。槍は相変わらず貫くような事はしなかった。左手が突き出され、右頬が裂ける。肉が抉れ、血が滴り落ちた。それでも姜維は止まらない。
何処か必ず隙がある。欠点のない生物などいないのだ。氷が炎で溶けるように、結晶が力を加えれば壊れるように――。




