結晶の囚人~神に選ばれた人々~
姜維達がジエジンと戦っている時間、成都城の空気はひんやりと冷やされていた。ジエジンの力じゃない。たった一人の人間によって冷やされていたのだ。精神的に。
「で、俺の主君は何処に行ったんですか?」
法正、字を孝直。劉備を導き、彼を王たる人間と評価した軍師である。その法正も病で倒れてから前線を引退し、現在は劉備の補佐兼護衛に努めている。成都城の玉座の間で劉禅と共に職務にあたっていた諸葛亮の妻――赤毛の醜女、黄月英は視線を逸らした。
「あら、殿は外に趙雲殿と鍛錬していたはずですが……」
「その趙雲殿も殿を探しているそうですが」
月英は「そうですか、おかしいですね」と飄々とした態度で言葉を返した。そんな態度に深い紺色の長髪を揺らしながら法正は軽く舌打ちをする。
月英は事前に劉備から事情を聞いていた。夫である諸葛亮に言おうと思ったが、劉備は黙っていて欲しいと言うので口を閉ざしたのだ。核という存在、それを姜維と元姫と共に追っている。先帝がする事じゃないだろうにと思うが、劉備も帝位を辞した存在。彼がやりたいのなら自由にやらせてやるべきだと思った。諸葛亮や法正など、劉備が皇帝として国を仕切っていた頃に仕官していた将兵達がこれを知れば彼らは絶対に止めるだろう。いや、確実に止める。何せ彼らは劉備を敬愛以上の愛で見ているのだから。それは月英も同じだが。故に、隠居した彼らは劉禅を「主」ではなく「主の息子」と認識している。強ち間違いではないが。
「劉禅殿、殿は何処へ行かれたかご存じありませんか?」
「知らぬなあ。私は此処で月英と執務に当たっていたゆえ」
「そうですか。それは失礼致しました。他をあたってみる事にします」
そう告げて法正は拱手し、背を向け玉座の間を出て行こうとする。それを見て月英は劉禅と視線を合わせて安堵の息を吐いた。
「ああ、そうそう、これは先ほど王平殿から聞いたんですが――東の詰所で姜維が兵を動かしたとか。しかも成都の開拓予定地に進軍させて、火計を起こしたそうです。そして、兵によると劉備殿が見知らぬ敵と戦っておられるとか」
法正は振り返り、月英に詰め寄る。鼓動が高鳴った。男性に詰め寄られ、心を高鳴らせる乙女とは違う。肝が冷えたのだ。バレないかという緊張で。
「元姫殿や姜維も向かっているとか。そして王平殿はあなたに内密にするよう言われたと言っていたのですが――月英殿?」
王平への口止めは失敗したようだ。そりゃそうかと月英は心中で納得する。法正と言えば報復する事で有名。つまり性格最悪なのである。徳性などなく、私情で勝手に他人を殺すような輩だ。こんな男が劉備を慕い、劉備を大切に思っているのだからまあ、彼の才能だけは評価に値するが。
「月英殿」
月英は額に手を添えて考える。法正の瞳は「言わないと報復するぞ」と言っていた。女でも容赦ないのはわかっている。諸葛亮の妻であるため殺される事はないだろうが。
「……実は哀姫殿が――」
月英は法正に全てを話した。核の事、劉備が姜維達に協力しそれを追っていった事。そして劉備から口止めを頼まれていた事も。法正は人相の悪い顔を更に人相悪く眉間に皺を刻んだ。「あのお方は……」と苛立ちを瞳に見せ溜め息を吐いた。
「月英殿、諸葛亮殿にお伝えください。“お前の妻が俺に嘘を吐いたから明日お前の靴にムカデ仕込んでやるからな”と」
「地味に嫌な報復ですね」
子供か。子供か。
月英は二度心中で突っ込んだ。劉禅は少し困った顔をしながらこちらへ駆け寄ってくる。
「すまぬ、法正。私が頼んだのだ」
「いいえ、劉禅殿は悪くありません。そもそも我が殿は放浪癖のあるお方。――ちょっと躾し直さなくてはいけないようですね……あなたの父君は」
月英は劉禅と揃って背筋に悪寒を走らせた。舌なめずりを艶めかしくする法正。劉備の明日は大丈夫だろうか。いや、そこは知らないふりをしておこう。
「……まあ、姜維が居るなら俺は心配してませんよ。アレは我が殿に傷を負わせるような奴じゃないでしょうし。万が一劉備様が傷を負って帰ってきたら俺は姜維を三分の二くらい殺すけど」
いや、それほぼ死んでるんですけど。月英は心中で再度法正に突っ込んだ。
「にしても核とはまた面妖な」
「法正殿、ご存じで?」
「いや……――似たような不可思議を俺も体験しただけですよ。……まあ、劉備様が何処に居るかわかればこちらも支援が出来ます。趙雲殿達を動かして外部から支援します」
「しかし被害を広げる訳には……」
「ああ、ご安心を。どうせ三人ともこの成都にはもう居ません」
どういう事かと月英は首を傾げ劉禅と視線を合わせた。そして視線を法正に戻しては口元に手を添え考える。相変わらず軍師であった彼の言う事はよくわからない。
「どういう事だ、法正。父上は、姜維達は……」
「元姫殿が普通じゃない事くらい俺達はわかっています。劉備様も中々不可思議な体験をなされていますからね。……そして核という国を、世界を滅ぼせるほどの存在。まさに兵器と言っても過言ではないでしょうね。そんな存在に立ち向かえば無事では済まないでしょう。それに、そもそもおかしい事があります」
そう言って法正は腕を組んでは偉そうに、煽るように言葉を発する。法正はこういう性格なので劉禅も気にはしていないようだ。
「核は力を持っている。なら何故わざわざ劉備様達を相手にするのか――」
「父上達が邪魔だからではないのか?」
「力があるなら、相手にする必要はないでしょう。時間の無駄だ。戦と同じです。ですが、核は劉備様達を相手にしている――……つまり、これは仮説ですが、核は世界を滅ぼしたり、国を潰したりするほどの力はないのだと思いますよ」
そういえば元姫殿が言っていた事がある。核は滅ぼすつもりはない、と。姜維達が戦っているのも皇后である哀姫のためだ。
「じゃあ何故哀姫を……」
「力を得るためでしょうね。人の生命力が力となるとかなんじゃないですか? 俺は詳しい事知りませんが。核はきっと別の目的があるのでしょう。だけど、そのためには、力が足りない。なら、他から得るしかない。……俺ならちょうど近くにいる敵を狙いますね」
月英は気付いた。はっとした。そうか、核は最初から力がなかった。だから餌を自ら呼び込んだのだ。哀姫という皇后に取り憑いたのも、餌を――姜維達を食らうため。じゃあ、核の目的は。
「……最初から核の目的は姜維殿達だった、という事ですね」
「ええ、でしょうね。だから劉備様達はわざわざ罠に嵌まりにいった訳です。……まあ、殿や姜維はともかく、元姫殿が傍に居ながら気付いていない――という事は少々疑問が残りますが」
「わざと元姫殿は向かった可能性もあると?」
法正は少々腹が立つような、人を見下した顔をしつつ両手を左右に軽く広げ「さあ」と疑問を見せた。
「そこまではわかりませんね、俺は元姫殿じゃありませんし。ですが、あの才女の事です。何か考えがあって罠に嵌まった可能性もありますよ。所詮魏の人間ですから、信じるのも俺はどうかと思いますがね」
「――それで姜維殿達が、成都にいないというのは?」
「成都に居れば核に敵対する者は現れる。じゃあ別の、隔絶した場所なら来る事はない。俺の予想としては別の場所に既に移動しているんじゃないかって事です」
別の場所とは何処だと問えばそこまではわからないと告げる法正。だが予想でしかない、まだ戦っている可能性もある。なら、すぐに支援に行きたいが劉備から成都城と劉禅の守りを任されている以上、城から出る訳にはいかない。
そんな時だった。玉座の間に駆け込んで来た一人の顔見知り。何十年も昔、赤子の劉禅を助けるために単騎駆けした槍使いだ。紺に近い黒髪を右耳の下で束ねた髪を纏め、腰まである髪を流している偉丈夫、趙雲は劉禅の前に跪き拱手する。
「陛下、ご報告がございます。開拓予定地で戦っていた殿と姜維、元姫殿が姿を消した、と」
ほら、俺の言った通りだ。法正は、驚き腰を抜かしたように座り込む劉禅を見つつ嫌らしく口角を釣り上げた。
「……じゃ、我が君のために人肌脱ぎましょうかね」
「法正殿……助け出す方法があるのか」
「ええ、ありますよ、趙雲殿。ま、俺と月英殿、それに趙雲殿が居れば道を切り拓く事が出来るでしょう。性格の悪い俺にお二人が従ってくれればですが」
選んでいる必要も、悩んでいる必要もなかった。劉禅の期待と、哀姫の命が掛かっている。月英は「もちろんです、法正殿」と返答し、趙雲も同じく言葉を返した。
「法正、頼んだぞ。父上達を……」
「ええ、お任せください、劉禅殿。必ず助けてみせます。劉備様を教育しなければなりませんし、姜維には俺の劉備様を傷付けた礼をしなくては……」
いや、お前の劉備殿じゃないから。趙雲の真っ直ぐとした目はそう語っていたが、月英は口に出さず背を向けて歩き出した法正と趙雲に着いていく。己の役目は劉備達を支援する事、それ以上余計な事は考えない事にした。冷静に、対処するだけだ。
「ところで趙雲殿、先日倭国から菓子類を取り寄せましてね。甘くて美味しいのですが、よろしければお一つどうですか?」
「……おお、それは頂こう。この趙子龍、法正殿から頂けるとはありがたき幸せ。甘い物は身体を溶かす。私も好きだ。しかし、私が先に食べるというのも無礼。法正殿が先に食べるのなら、私も頂こう」
法正が他人に何かをあげるなんて有り得ない。報恩でなければ有り得ない。もちろん劉備は別だ。故に趙雲は「お前、何か入れたんじゃないだろうな」と疑っている訳である。彼の見通すような真っ直ぐの瞳に、法正は嘲笑するような表情を向ける。
「全く、これだから趙雲殿は面白くないんだよ……」
「貴殿こそ、この異常事態にふざけるとは何事か」
「ふざけてませんよ、これでもしっかり考えてますよ? 劉備殿の躾を」
「貴様――ッ」
これは危ない。月英は両手で音を鳴らし「喧嘩している場合じゃありませんよ!」と二人を止めた。昔からこの二人――というより法正は、誰とも合わない。唯一合うのは劉備くらいか。劉備は軍事の面で法正を重用していたし、勇猛果敢な趙雲を信頼していた。つまり、当時の劉備にはどっちも欠けてもダメだった訳だが――仲はお察しの通りである。
城内を走り、城を出ては成都の町を駆け抜けて行く。月英はまだ言い合いをする二人を見て心中で溜め息を吐いた。
――孔明殿、私はどうすればいいのでしょう。
家で養生しているであろう己の夫に心中で呼びかけた。
「わかりましたよ。じゃあ殿に差し上げる事にします。殿、甘いものお好きですし」
「……おい、待て、法正殿。何故あなたは殿が甘いものをお好きだと知っている?」
趙雲の目が鋭く光る。面倒なスイッチ入ったとでも言いたげな法正の目が月英へ向く。そんな目を向けても助けないぞ、自分で何とかしろ。月英はただいつも通り微笑を漂わせ、目的の場所へ足を進める。見慣れた光景ではあるが、子供じゃないのだからそろそろいい加減にして欲しいところである。将兵同士の言い合いを鎮められるのは劉備だけ。彼が戻れば自然と戻るだろう。なら、早急に彼を取り戻さなくては。
月英は己の使命を改めて認識し、兵の詰所へと急ぐ。空は午前と代わって曇天。雪でも降りそうな、寂しい空だった。




