結晶の囚人~崩れゆく深淵~
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――数十分前、兵の詰所。
劉備が開発予定地に向かっている時、姜維と元姫は兵の詰所に居た。成都の守りを担う軍師である、楊儀。彼は統括する部署もないため劉禅から東の守りを任されていた。姜維と元姫が訪れれば、兵士達は手を止め拱手する。元姫はともかく、姜維は彼らよりも地位は上だからだ。黒髪の短髪を持つ中年の軍師、楊儀は姜維の前に立つと腕を組んでは姜維を見下ろした。そして姜維も彼をじっと見上げる。
「これはこれは姜将軍、こんなところまでご足労ご苦労様。今日は元姫殿も伴って逢い引きですかな? 字を持たないあなたが敵国の令嬢、それも既婚者と逢い引きとは作法も礼法も知らないのですなあ」
楊儀と姜維は折り合いが悪かった。いや、仲が悪かった。姜維と仲の良い将兵なんて、姜維の立場上いないが、それでも楊儀はトップクラスに仲が悪い。
「楊儀殿、今はそんな事どうでもいい。兵を五百ほど動かしたい」
「ほう、何故?」
姜維は元姫に視線を向ける。元姫は姜維を僅かに見上げた後、再び楊儀へ視線を戻した。口を開こうともしなかった。つまり、話さなくていいという事だろう。話したところで信じて貰えるなどという事はない。
「こちらの仕事だ。文官であるあなたが知る必要はない」
「ちょ、姜維殿――」
「ほう、魏の若造風情がよく言う」
あなたも同じ元魏の人間だろう。そもそも年齢なんて飾りだ、関係ない。姜維殿、貴様は国が武官だけで回っていると思っているようだな。誰がそんな事を言った、私は急いでいる。兵を貸して欲しいだけだ。
そんな言い合いが五分続いた頃、小柄な元姫が姜維と楊儀の間に入って二人を突き放す。
「二人ともいい加減になさい! 姜維殿もそういう言い方しないの。楊儀殿も煽るような事しない。大人でしょう?」
あと、元々魏の将兵だったのは二人とも同じ。文官も武官も、どっちが偉いとかはないわ。こんな事をして陛下や先帝が喜ぶとでも思っているの?
元姫に諫められ、姜維は黙り込んだ。そもそも最初に喧嘩を売ってきたのは楊儀である。自分が悪いとは思わない。顔を背けた姜維の右腕を元姫は肘で小突く。傷口の上だったのでかなり痛み、姜維はしゃがみ込んで腕を左手で押さえ悶絶した。元姫は深く溜め息を吐いては楊儀を見上げる。
「……すみません、楊儀殿。実は皇后――哀姫様が体調を崩されまして、その体調を崩された理由が毒を盛られてしまったそうなのです。そしてその犯人を捕まえる予定なのですが、陛下は内密にこれを処置したいと仰られています」
「な、皇后が!?」
「はい。それで先帝、劉備様も協力して頂いて、劉備様が今犯人を追い詰めています。敵はとても強く、私達だけでは敵わないので、火計を用いて追い詰めたいのです。そのため兵をお貸し願えますか?」
「それは大変だ。承知した、この楊儀、貴殿に兵を託そう。五百ほどで如何か」
「ええ、十分です。……ほら、姜維殿あなたもお礼を」
「結構。私は元姫殿に託すのであって、姜維殿に貸すのではない」
ああ、そうですか。元姫はそれ以上何も言わなかった。姜維は立ち上がり、無表情に楊儀を見据える。
「では、この私も先帝の補助に――」
「楊儀殿それは結構。あなたが来ては私達の仕事が増えるだけ。あなたは残りの兵と此処の守りを頼む」
姜維はそれだけ言い残し、楊儀の元を去ると彼の部下へ策を託していく。部下の方が楊儀より才能があるのに、何故楊儀なのか。いつか罪を犯しそうだなと思った。
「開拓予定地に兵を進軍させて欲しい。処分予定の廃材で囲み、火をそのままつけてほしい。中心には劉備様と元姫殿が居るがそのままやってくれ。脱出路は気にするな」
「は、わ、わかりました」
「それから外側から火柱をだが……月英殿が作った兵器があるだろう。あれを動かして東西南北にとりあえず四つほど」
「馬を模した火を噴く車ですね、了解しました」
すぐに手配し進軍致しますと兵士達が動くのを確認し、元姫が楊儀に頭を下げているのを視界の端で見ていれば彼女はこちらへ戻って来た。そして目的の場所へ向かって走り出し、元姫に最初の策の指示を任せる。その後は姜維の役目だ。
「……冷えてきたな」
「ええ、核が暴れているからよ」
元姫は走りながら上空を指さした。上空には大量の氷の塊――いや、氷の剣か。早く向かわないと劉備が危険だ。元姫と視線を合わせ頷いた姜維は、彼女と別れて西の道を走っていく。姜維の役目は奇襲。奇襲するには存在をバレてはならない。劉備が引きつけてくれているのなら、隙を突ける。数十分後、姜維は目的地に辿り着き、炎の壁が張られている場所の外側から敵を見据える。兵はしっかりと仕事をこなしてくれているようだ。元姫は既に核と対峙していた。劉備と元姫が戦う中、姜維はじっと待つ。じっと、息を潜める。
「合図をしたら火柱を出せ。私が突っ込む」
「周りの火は消しますか?」
「いや、そのままでいい」
姜維は手に持った槍に力を込める。元姫と事前に決めた合図である彼女が発した声が聞こえ、姜維は軽く手を上げ合図し、兵士達に馬を模した車で火柱を射出させた。後は己が突っ込むだけだ。姜維は一歩下がる。
「火は強めていい。私の事は気にするな」
そう告げて、地面を蹴り火の壁を通り抜け、中央の火柱の中へ突っ込んで行く。前方には核である敵が見えた。弱っている、こちらに気付いていない。戟に似た槍で敵の心臓を貫く。核は大量の紫、核にとっての血液を散らせば僅かに姜維へ顔を向ける。
「核――いや、ジエジン。貴様はこの私が討ち果たす。我が蜀漢の平和のために」
そうして今に至る。
握る槍に核の血液が伝う。貫かれる痛みは理解出来ない訳じゃない。姜維とて戦場で何度も死にそうになったことがある。だから、わからないわけじゃないのだ。
「h,hhhaaaaagggaaaaaaッ!」
突然叫び出した核、ジエジン。囲んでいる火柱が凍り始めた。嫌な予感がする。槍を引き抜こうとした瞬間、一気に腕ごと凍り付いた。抜けない。
「ッ姜維殿! 逃げて!」
元姫の叫びと、劉備が核へ向かって行くのが見える。逃げろと言ってもどうすればいい。腕を斬り落とすか? いや、ダメだ、ならどうすれば。
元姫が姜維の腕へ匕首を投げつけるも、それは核によって弾き返される。危険だ、危険。脳内に警鐘が鳴り響く。離れろと言っているようだ。氷は肩まで覆い尽くし、取れない。槍も凍らされてしまった。ジエジンは劉備の攻撃を交わし、彼の首を掴み上げる。
「ッ、劉備様ッ!」
「――Venm」
ジエジンがそう発した瞬間、ぶつり、と途切れたように意識は朦朧とし姜維はその場に崩れ落ちた。そして最後に見たのは、元姫の焦燥感溢れる顔と、周囲を包み込む濃霧の存在だった。




