操者の陰謀~乱世を掴む~
急激な襲撃のため、対応出来る人間が成都にいなかった。そのため、今回は引退した将兵達に手を借りている。引退したとはいえ、衰えを知らない身体だ。動く事は問題ないだろう。だが天蕩山の急襲、呉軍は一体何処からやって来たのか。それだけが気がかりだ。斥候は様々なところに送っているし抜かりはない。兵士達に偵察にも向かわせている。天蕩山を襲うのであれば、事前に察知していないとおかしい。天蕩山を有している蜀軍はその場所から呉軍が見えたはずだ。
「……黄皓、後方の元姫殿を連れて来てくれ、急ぎはしない」
「元姫殿? 何故ですか?」
「呉軍を撃退するためだ」
訝しげな顔をする黄皓だが、すんなりと言う事を聞き入れ兵士を呼んで戦場へ向かわせる。彼も馬鹿ではない。呉軍がやって来た事に疑問を感じたのだろう。姜維はさて、と本陣から出ては兵士達を率い騎馬で駆けていく。
目標は天蕩山。三方面からの挟撃した後、後ろから呉へ急襲をかける。それで相手の正体が少しでも判明すればいい。手綱を強く握り、片手には槍を掴み、姜維は部隊を率いて駆け抜ける。数ヶ月続いている咳を僅かに漏らして飲み込めば、魏軍が撤退して行っているのを横目で見つつ天蕩山へ。下から見た天蕩山には火の手が上がっている。火計でもされたかと急行した。
だが、姜維が天蕩山へ辿り着いた時には蜀軍しか残っていなかった。既に撤退した後、死体一つすら存在していない。火の手は消し終えたのか、焦げ臭さだけが残る。姜維は馬から下りると、地面に転がっている夏侯覇の腕を掴み上げる。
「夏侯覇、呉軍は」
「わからない。三方面の挟撃は成功したんですけど、いきなりあいつら火計を起こして炎の中へ消えたと思ったら静かに撤退して……」
「姿は?」
「普通の呉軍だな。そもそも戦っているのに相手の顔を集中して見る訳がないですって」
姜維は放り投げるように夏侯覇の手を離し、率いてきた兵士達に天蕩山を守ってくれた蜀兵の保護を命じ、姜維は口元を覆い思案する。鼻孔を刺激するのは焦げ臭さと、天蕩山の自然の香り、そして――。
「香……?」
「あ、そういえばそうだな。お香のにおいが……」
呉の兵士が持っていたんすかねと話していたところ、兵士の一人が匂い袋を持ってきた。匂いの源はこれだ。しかし、どうした事か、この匂い袋には嫌な感じしかしなかった。姜維は兵士から匂い袋を預かる。
「一先ず、漢中の防備を厚くするよう主公に上奏する。侮れんからな。夏侯覇、お前は漢中を守って欲しい」
「了解。気をつけてくださいよ、姜将軍も。この間から意外と狙われやすいんですから」
身分じゃ姜将軍のが上っすけど弟みたいな感じで心配なんですよねと言われ、余計なお世話だと手刀を彼の頭の上へ落とす。
「撤退する、全軍に通達を」
兵士にそう伝え、漢中守護の部隊だけを置いて蜀軍は漢中から成都へ戻っていく。
嫌な感じがするのを抑えられない。まるで、乱世を引き戻そうとするような、そんな地獄を再び望む者のような。
乱世が色褪せる前に、乱世を引き寄せる。
そんな思惑が僅かに感じ取れていた。




