1日目、晴れ(1)
覚醒には十二分な目覚まし時計の騒音。
カーテンからは零れ落ちて来る暖かな日差し。
耳を澄ませば聞こえてくる食器や台所での調理音。
嗚呼、今日も新しい一日が始まったのだ──
酷い夢オチから始まる、至って普通の最悪な寝覚め。
昨日はあの後、酷い倦怠感に悩まされていた俺達に──転移の影響らしい──個室が与えられ、案内された俺はすぐさま眠りについた。ちなみに、宛がわれた部屋は高級ホテルのスイートルームもかくや、と言わんばかりの豪華な造りだった。
今は、来賓や大臣等の上流階級が使うと思しき豪華な食堂で朝食を摂っていた。例のエリーシアと名乗った彼女もテーブルを挟んだ向かい側で同席している。
ここで一つ、驚いた事がある。なんと、至って普通の朝食なのだ。そう、普通。スタンダード。品数は確かに多いが、この世界に来る前と大差無い普通の食事。具体的には、白米。納豆。味噌汁。目玉焼き等々。
それに連動して思い浮かぶ、何故言会話ができるのか、という疑問。
昨日は何とも思わなかったが、何故こちらの言葉が通じて、向こうの言葉を理解できる?異世界と言えば、1に言語問題。2に文化の違い。3に倫理観念の相違。これ等が真っ先に直面する問題では?
一人考えてもそんな疑問が氷解する訳も無く、時間だけが過ぎていく。静かな部屋に、反響する食器の音。
「なあ、昨日は眠れたか?」
やがて沈黙に耐え切れなくなった俺が話し掛ける。
「うん。それどころじゃないって気持ちはあったんだけど……疲れてて気付いたら寝ちゃってたみたい」
どうやら俺と同じで酷い疲れが襲ってたらしい。そして、今の彼女の気軽な雰囲気からは昨日の凛とした気配はまるで感じられなかった。
「ところで、この朝食もすごいよね。まさに異世界!って感じで」
ん?
「ちょっと待て。今、なんて?」
聞き間違えでなければ、まず有り得ない内容だったと思うのだが。
「え?だから、これぞ異世界って感じの朝食だね。って」
「いや、俺にはどう見ても元の世界で食べてたような一般的な朝食にしか見えないんだけど……」
「……え?」
沈黙。
静寂を崩すための策は、不幸にも更なる深い静寂を招き入れてしまったようだ。策士策に溺れる。いや、この場合は違うか。
「流石にこれはおかしい。一つずつ順に確認していこう。まず、これは米だろ?」
ううん、と首を横に振る彼女。
「じゃあ今度はこっちの番。この青緑っぽいパンは?」
そんなものあるわけないだろう、と、俺。というか、青って確か食欲減退効果があったような……?
その後も不毛な問答は続いていったが、何一つ一致するものは無かった。
流石にこれはこの謎の朝食に対し忌避感、というよりもこの世界に対しての危機感を感じざるを得ない。
──「幻覚魔法」、ってやつか?真っ先に疑ったのは、魔法。其れは、常識でも知識でも経験でも通じぬ、此れまでの理と異なる事象。理解の及ばぬ、領域。
不穏な空気がその場を支配する。
全部吐くか?いや、経口摂取の時点でもう手遅れかもしれない。そんな思考が巡る。
「それについてはご安心を。毒等は含まれておりませんので」
俺のものでも、眼前の彼女のものでもない、聞き覚えの無い第三者の声。声色から察するに、男。
声の方向を見れば、昨日見た兵士とは明らかに武装の質も装飾もまるで異なる、御伽話に出てくる騎士を体現したかのような金髪の美青年がやって来ていた。
「誰だ?あと、盛られてない根拠は?」
前者は大凡の予想が建てられるが形式美。本命は後者。なんだか横から微妙に刺さる視線を感じるが、心当たりがないので放置。
「私の名はテレンス。この国の騎士団の団長を任されています。平民の出故、姓は持ちません」
昨日も同じセリフを言ったんですがね、と、苦笑い。そういえば、確かにあの場にいた記憶がある。
……だから彼女に「昨日の事なのにもう忘れてるのか……」みたいな呆れた目で見られてる訳か。結構効くので、やめてください。
「それで、食事についてですが……これは後程説明しましょう。必要とあれば、毒見しても構いませんが?」
そこまで言う自信があるのならば必要あるまい。恐らくは事実。だが、一食では致死量には至らない少量の毒を少しづつ盛られていくとしたら──いや、考えるのはよそう。悪癖だ。
その後、朝食を終えた俺達はテレンスに連れられ中庭へと出た。
「では、これより勇者様にはこの世界についての知識をつけてもらいます」
俺達2人をその場で芝生に座らせ、何処かから運び出された黒板を前に団長殿はさながら教師の如くそう宣った。
うん、言わんとする事は理解る。恐らくはこの世界での常識や、世界情勢等の講義を行う。といった所だろう。これは偏見だが、そういうのは宰相やデスクワーク担当の大臣あたりの仕事では?教科書にもそう書かれているのが大半だった。
「それで、さっきのご飯の話ですけど。アレはどういう事なんです?」
そんな俺の内心は知らぬとばかりに彼女が問う。対し、騎士団団長。もとい、先生。
「あれはですね。えー……『勇者が授かりし祝福は其の者の求むる心に呼応し、一部感覚情報及び言語的情報を自動的に補完する』……との事です」
カンニングペーパーらしきものを確認しながらの回答。……本当にさっきの飯、食べて問題無かったのか?
「ん、んんー……?」
言った本人も聞いた当人も何がなんだか。といった様子。
「あー…………多分それ、要するに『勇者に対して都合が良くなる様になる』って事じゃないの?」
「つまり?」
「とどのつまり、俺が望んだから俺は普通の朝飯になって、そっちはそっちが望んだから異世界っぽい飯になった。言葉は俺達にだけ都合良く変換、つまり通訳された状態で伝わる。だからここの人達の言葉を聞いても分かるし、俺達の言葉もここの人達に通じる。多分、そういう事なんじゃない……かな?」
「成程。レン様のその推察能力は素晴らしい。あの偏屈魔導士の言葉を即座に理解しておいでだ」
まあ俺も一回聞いただけじゃ理解出来てなかったが。脳内で何度も何度も反芻してようやく飲み込めた。言い方が一々難解過ぎるんだよ……
というかそれ、遠回しに俺も同類って言ってないか?まあ、聞かなかった事にして素直に褒められた事にしておくか。
「そりゃどうも。というか、あんま堅苦しいのはやめてくれ。息が詰まるというか何と言うか……」
「あ、私も。年上の人から様付けで呼ばれるのはなんか恥ずかしいかな」
イケメンの騎士(それも恐らく年上)に傅いた態度で接されるというのはどうも男の俺には耐え難いものがある。これが女子であればお姫様気分になれて気を良くするのだろうと思ったが、隣の女勇者様はどうやらお気に召さなかったらしい。
「では、そのように。とは言え私にも外聞があるので多少はご容赦を。まあ、騎士団団長の私に文句を言う輩はそう多くないですが、ね」
と言ってにこやかに笑うテレンス。美形の笑顔は絵になる。なる、のだが。如何せん少々黒い。
「さて。そろそろ始めていきましょう。まずは何処から説明しましょうか────」