06
朝食が済めば、飛龍達は香雪を連れて咲安の王宮を発つ。
今まで一度も王宮の外に出た事がない香雪が、
不安と緊張で胸を一杯にして出発の時間を待っていると、
結婚して王宮を出ている白蓮が訪ねてくる。
「間に合ったみたいね、良かった」
「白蓮姉様。いらして下さったんですね」
「勿論よ。貴方は大切な妹だもの。
それに、今日会っておかないと次にいつ会えるか判らないでしょう」
「…そうですね」
王宮に出入りしている貴族に嫁いだ白蓮は、
結婚後も時折王宮に顔を出していたけれど、
同盟国とは言え異国に嫁ぐ香雪は、
距離的にも、政治的にも簡単に訪ねて来る事など出来ず、
二度と咲安の地を踏めない可能性も十分にある。
毎日必死に働くばかりで、楽しい思い出は殆どないのに、
離れるとなると不思議と寂しさを感じた。
「そんな悲しそうな顔をしないで。
私は貴方に結婚のお祝いを言いに来たのだから…。
結婚おめでとう香雪…体は大丈夫?痛みはない?」
「はい。白蓮姉様。ありがとうございます。
体の方は…その……何とか大丈夫です」
「そう、それなら良かった。
貴方は姫として育てられていないから、
天暁の王子殿下と結婚すると聞いた時には、心配したのだけれど…
殿下は貴方の事を優しく愛して下さったのね」
「愛して…は……下さってないみたいです。
あ、でも、いつか愛せる気がするとは仰って下さいました」
香雪の言葉に白蓮は鈴の転がる様な声で、くすくすと笑い声をもらす。
「あぁ、そういう意味ではなくて…
乱暴に扱われなくて良かったと言いたかったのよ。
でも…そうなの。
姉様とのお話を蹴って、貴方を指名なさったと聞いていたから、
よほど御執心なのかと思ったのだけれど…違ったのね」
「その…春蘭姉様は苦手だと仰られてました」
「あら、珍しい方ね。美人が苦手なのかしら?
あ、ごめんなさいね。決して貴方が美しくないという訳ではないのよ」
「いえ、私は姉様達の様に綺麗ではありませんから…」
「あら、綺麗だなんて嬉しいわ♪」
ふわりと笑った白蓮は、直ぐに表情を引き締めて、
「香雪、殿下が貴方を愛して下さっていないのなら、
良い様に扱われて、捨てられてしまわない様に気をつけるのよ」と続ける。
「捨てられる……」
曖昧だった不安が一つの形を作る。
自分は捨てられる可能性があるのだと…。
「国同士の関係もあるから、離縁される可能性は低いけけど、
妻の座に貴方を置いたまま、他の誰かを愛することは簡単ですもの。
むしろ、政略結婚した夫婦の間では良くある事よ。
夫と妻の両方が愛人を囲っている事も珍しくはないわ」
「そうなのですか?」
「実際に父様と母様は政略結婚で、貴方は不義の娘じゃない。
侍女として育った貴方が、王子殿下の妻を不足なく務めるだけでも難しいのに、
その上で幸せになるなんて、不可能に近い事だけれど…、
殿下のご寵愛を失わない様に注意するのよ。
そうなってしまったら、貴方は誰からも愛されず独り朽ちるだけなのだから…」
白蓮の言葉が、香 雪の不安を煽っていく。
分不相応なのは判っていたつもりだが、改めて他者から言葉にして告げられると、
より一層、自分が殿下に相応しくないのだと実感してしまう。
「白蓮姉様…私はどうすれば?」
今にも泣き出しそうな声で問うと、白蓮は顎に指を沿え、暫し考え込む。
「難しい問題ね…私には飛龍殿下のお人柄が分からないから…」
「とても優しい方です…私の様な下々の者にも優しく接して下さいました」
「身分を問わずに優しくなさる方なら、
貴方の恋敵は、とても多いんじゃないかしら?」
「そ…それは、そうかもしれません」
「困ってしまったわねぇ…貴方の結婚は前途多難みたい。
あぁ、そうだ。これをあげるわ」
白蓮は身につけていた首飾りを外し、香雪に差し出す。
飾りの部分が開き、中に物を入れられる様になっていた。
「あ、ありがとうございます。でも…これは?」
「中に珍しい花の種が入っているの。
願い事を書いた紙と種を一緒に植えて、
綺麗に花を咲かせる事が出来たら願いが叶うんですって、
それは流石に本当かどうかあやしいけれど…
上手く育てれば、とても綺麗な花が咲くのは本当よ。
殿下と一緒に綺麗な花を見て過ごすのは悪くないんじゃないかしら?
ごめんなさいね。もっと良い助言が出来れば良かったのだけれど…」
「いいえ、白蓮姉様。ありがとうございます。
私、このお花を育ててみますね」
「えぇ、素敵な花を咲かせてね」
出立の時が来た事を告げる侍女の声で、姉妹の会話は終わり
香雪は白蓮に一礼してから部屋を後にする。
残された白蓮は、部屋の窓まで歩き、出発の時を待つ行列へと目線を向ける。
「香雪…貴方が天暁の王子殿下の妻なんて、私は認めないわ。
あなたみたいな子が幸せになるなんて、有り得ないものね」
飾り立てられた馬車に乗り込む妹の姿を淀んだ瞳で見つめた白蓮が
虚ろな笑顔で零した呟きを聞いた者は、誰一人としていなかった。