02
国王に呼ばれる事は、香雪にとって大事件である。
血の繋がった父親だと知識では知っているけれど、
直接言葉を交わした事すらなく、
香雪の感覚で言えば、君主以外の何者でもない存在で、
その国王が香雪を呼んでいると聞かされては、平常心でなどいられない。
気づかない内に何か粗相をしてしまっただろうか?
城から追い出されてしまうんじゃないだろうか?
いや、追い出されるのならマシな方だ。
お前は不要だと殺されてしまうかもしれない。
一歩、また一歩…
王の言葉に従い香雪を迎えに来た近衛兵と共に
廊下を進むにつれ香雪の不安は大きくなっていく。
会議が行われている部屋に到着し、
そこに集まっているのが、重臣達である事に気づいた香雪は、
背筋に冷たい物が走るのを感じた。
これほどの面々が集まって、話し合わなければならない程の何かを
自分がしでかしてしまったのだと思ったからだ。
「香雪、天暁の飛龍王子を知っているか?」
「え?」
国王から問われた事の意味が分からず、思わず間抜けな声が口から出てくる。
天暁は分かる。どんな国かは知らないけれど、
大陸一の大国で咲安とも交流が有る…筈だ。
だが、その王子となると…。
「いいえ、存じ上げません」
姉達ならともかく、香雪が大国の王子殿下を知っている訳がない。
春蘭に恋文や贈り物をしてきた方々の一人か?とも思ったけれど、
香雪の知る限り、飛龍という方が何かを贈ってきた事はない。
「そうか…その飛龍王子がお前を妻として娶りたいと言っているのだが、
思い当たる事はないか?」
「なっ!?……い、いいえ、全くございません」
見ず知らずの王子に結婚を申し込まれているという突拍子のない事態に、
香雪はただ困惑する事しか出来なかった。
自分が殿方に結婚を申し込まれるというだけでも有り得ない事なのに、
相手が誰もが知る大国の王子殿下だなんて…。
「あの、飛龍殿下とは一体どの様な方なのでしょうか?」
「私が最後に会ったのは数年前だが…
若さ故に荒削りである所は否めないが、
心身共に逞しい青年である様に感じた。
歳は21、お前の7つ上だ」
「お話を伺っている限りですと…
私などには勿体無い方だと感じるのですが…」
国王の言葉や口ぶりから察するに良い人そうだし、
年が少し離れているけれど、一般的な年齢差の範疇だと思う。
ただ、そうなってくると尚の事、
自分の様な出来損ないを娶りたいと言っている訳が分からない。
「あぁ、良い青年だと思う。
だが…そうか心当たりは無いか…」
「はい。お役に立てず申し訳ございません」
咲安王はしばし瞼を閉じ、思考を巡らせる。
相手の意図が気にかからないと言えば嘘になるが、
騙まし討ちをする様な青年では無い様に思うし、
春蘭ではなく香雪をという申し出は、
外交の切り札に使える娘を手元に残せるという事でもある。
「香雪、今をもって春蘭の侍女の任を解く。
明日より一ヶ月間、姫としての教育を受けた後、
飛龍王子の下に嫁ぐ事を命じる」
「はい。畏まりました」
『命令に異を唱える事など有り得ない』体に染み付いた価値観から、
即座に返事を返した香雪だったが、
心の中では、訳の分からない状況に、ただただ混乱していた。
それを機に香雪の生活は一変する。
彼女は公に認められる姫となり、侍女だった筈の自分に侍女が付き、
仕事仲間だった筈の皆から敬語で話しかけられる。
今までとは比べ物にならない豪華な調度品が揃った広い部屋に、
煌びやかで肌触りの良い上質な服、豪華な食事。
…そして、知恵熱が出そうな勢いで大量に詰め込まれる
姫として必要な教養や、立ち居振る舞い。
目が回る様に忙しい日々は矢の様な速さで過ぎて行き、
姫として他国の王子の下に嫁ぐ事への心の整理すらつけられぬまま、
白明からの迎えが来る日になってしまう。
国や身分によっての差異は有るが、
大陸内の国では花婿が花嫁を迎えに行き連れ帰るという形の婚姻が一般的だ。
今回の婚姻は、飛龍一行が咲安の王宮を訪ね挨拶をした後、
咲安の王宮で歓迎の宴を催し、そのまま一泊。
明朝、咲安を発ち白明に向かい、
到着後に花嫁の歓迎と結婚の披露を兼ねた宴が開かれるという流れだ。
そう遠くない未来に鳳焔との戦争が起こる可能性を踏まえ双方で相談した結果、
王族同士の婚姻としては極めて地味な形となったのだが、
香雪を不安と緊張で満たすには十分な内容だ。
最も不安なのは、咲安での宴の後の一泊だ。
飛龍一行に休息をとってもらう為の一泊であると同時に、
香雪が飛龍に純潔を捧げる夜でもある。
具体的にどうすべきか?何をされるか?を詳しく知らされぬまま、
顔も知らぬ相手に身を任せろと言われれば、不安が募るのも当然の事だ。
「香雪様、飛龍様のご一行が城門近くまでいらした様です。
お出迎の準備をお願いします」
「えぇ、わかったわ」
侍女に呼ばれ、
清楚さと華やかさを併せ持つ薄紅色の正装に身をつつんだ香雪は
緊張の面持ちで立ち上がった。