勇者が死んだので三等書記官は魔王城へ行きます
「もう一度、言ってくれるかな? 君はまだ戦うと言うのかね?」
悪魔宰相は私が狂っているのではないか、と疑うようにこちらを眺める。それはこちらを探るようなもので私がハッタリをかましているのなら許さないぞ、という底意がこもっていた。
「ええ、何度でも言います。我が国は勇者を失いました。それでもなお戦い続ける、と申したのです」
私はできるだけゆっくりと断固とした口調で言った。それは明らかに相手に聴かせるためのもので芝居臭いものであっただろうが、効果はあったに違いない。悪魔宰相は難しい顔をしたまま動かない。隣では将軍が「おい、違うだろ」とか「早く訂正するんだ」と、言っているが私はそれを無視した。
将軍は戦場と言われれば剣と剣がぶつかり、兵士たちが屍を晒す場所を思い浮かべるに違いない。しかし、私は違う。私にとっての戦場は会議室または舞踏会場。そして卓上にあるのだ。
そしてこの場は三等書記官という私の地位には不釣り合いな戦場である。だが、このような機会は生涯で一度あるかないかであるはずだ。だとすれば私のやるべきことは決まっている。
「勇者を欠いたあなたたちには勝機はない。それを理解した上で、書記官殿は戦いを望まれると? 人間が滅ぶことを望まれるのか?」
悪魔宰相が悪魔でも見るような目で私を見る。このような目はここに来る前にも受けている。いまさら私がたじろぐ様なものではない。
勇者が死んだ。
この知らせを受けた際の反応は人によって大きく分かれた。
将軍は「あれほどの達人でも魔王には勝てぬのか」と、勇者の武技が魔王に劣っていたことを嘆いた。
大臣は「武器や防具、どれほどの金を援助したと思っておるのだ!」と、投資した金銭が無駄になったことに怒りを見せた。
庶民や一般兵士は「魔王には誰も勝てないんだ」、と絶望を口にした。
この私も勇者の死を信じられなかった。彼が負けるなど考えたこともなかったのだ。それほどまでに彼は強かった。
魔王軍が誇る四天王を討ち果たした勇者の快進撃は私たち人類にとってまさに快挙であった。
世界中の国々が軍隊を差向けながらも連敗を繰り返しているなかで我が国の勇者だけが、魔王の配下をやすやすと駆逐していく。王や大臣たちは彼に賭けた。それはすべてを賭けた、というにふさわしく、王国にある様々な武器や防具、道具を勇者に与えた。最後には王国の家々にまで「勇者が欲しがるなら家中のものでも差し出すべし」と、いう命令が出るほどであった。
この命令によっていくつかの富豪や商家ではタンスに隠した妙薬や宝箱に隠した名剣が勇者へと奪われていった。勇者の進路は少なからず略奪の進路であった。だが、その強さはまさに無双であった。そして文字通り、王国のすべてを背負った勇者は魔王との戦いに向かったのだ。
しかし、勇者は魔王に敵わず死んだ。
「勇者は死んだ。奴の魂は復活できぬように砕かれ、亡骸には幾つもの呪いがかけられておる」
魔王の使者としてやってきた男は勇者の死を伝えると一緒に次の要求を行った。
「我々、魔王軍は貴国に次の要求を行う。
一つ、魔王軍への無条件降伏。二つ、賠償金の支払い。三つ、貴国の統治権限は無条件降伏を継続するため魔王軍が派遣する代官の制限の下に置かれる。七日後に魔王城にて回答をお待ちしております」
使者はそう言うと、勇者の遺品として彼の愛剣をおいて去っていった。それは間違いなく勇者のものだった。
この要求に対して王宮のなかは大いに荒れた。私の上司に当たる大臣は「我が国に魔王軍と戦うための財政力はない」と魔王軍に隷属することを提案した。これに対して将軍や貴族たちは徹底抗戦を唱えた。市民からより多くの税を徴収すればまだ戦える、というのが彼らの言い分であった。しかし、それは国民を苦しめる延命策であった。
三日間の激しい議論のはて、大臣と将軍たちは一つの結論に達した。
「魔王軍に対する降伏は認める。しかし、賠償金の支払いと代官の派遣は認めない」
これを主軸に交渉による国家存続を目指すのである。属国となっても国体は守る、それがお偉いさんが決めた方針であった。それは私の考える生存方法とも一致していた。私だって母国を愛している。その国が滅ぶのは望むところではない。
しかし、自分がその交渉に赴くとなれば話は大いに変わってくる。
「では、三等書記官。君に交渉を任せる。いざとなれば自分には権限がない、と言って交渉を長引かせるように。まぁ、もし君に何かあっても独身だし、親御さんの面倒は国が見るから安心して務めを果たして欲しい」
大臣は慈悲に満ちた顔で私にそう言うと肩をぽんぽん、と叩いた。私は脂ぎった大臣の手が肩に触れたことに嫌悪を感じたが、顔には出さないように心がけた。
「いや、一等書記官や二等書記官がおられますよね?」
私が尋ねると大臣は目を大きくそらせて言った。
「一等書記官は、私の右腕として国内の業務に奔走しているし、なにより家族がいる。今月の暮れには第四子が生まれるそうだ。二等書記官は、ほらあれだよ。今度、大貴族の娘さんとの結婚が決まっているし。なんというか。ねぇ、君しかいないんだ」
大臣の言うことを簡単にまとめると、なんの後ろ盾もなく家族もいない私は殺されても構わない、ということである。私は愛国心という柱がぐらぐら、と動くのを感じながら大臣に言った。
「大臣が出席されればいいのでは?」
鳩が豆鉄砲をくらったような顔で大臣はしばらく固まると、禿げ上がった頭を二度撫でた。
「わしはダメだよ……。うん、ダメだな」
なにがダメなのか説明がないままに大臣は一人で納得した。そして、私にたいして厳しい口調で言った。
「もう、決まったことだから。馬車も用意してあるから。一応、武官の代表として将軍もいるけど彼には交渉権がないから勝手なことを言わせないように!」
私は頭を抱えたくなった。ただでさえ不利な交渉だというのに、武断一本の将軍、というお荷物まで持たされてはどうにもならない。まさに手詰まりである。
「……分かりました。参ります。しかし、外交の場にあっては君命に受けざる所あり、と含みおきください。基本方針には従いますが、不可と見れば新たな結着点を見出すこともあります。よろしいですね」
私は半ば諦めにも近い達観を持って大臣に迫った。
大臣は死地に向かう部下を哀れんでか私を悪魔でも見るような怯えた目で見ると「良かろう」、と絞り出すような声を出した。
そこからは早かった。外交使節としての金糸やレースで飾られた立派な衣装と調印に必要な印璽とペンを渡され、私は馬車に放り込まれていた。この手際の良さは二等書記官の仕業に違いない。やつはこの抜け目ない立ち回りで多くの女性をたぶらかし、最後には大貴族の娘を手に入れたのだ。私は、無事に魔王城から帰れたら奴の結婚を無茶苦茶にするような告発文を提出してやろうと決めた。それがダメなら命と引き換えに呪いをかけてやろう。
そしていま、私は魔王軍の政治を担当している悪魔宰相と対面しているのである。
隣には軍部の代表である将軍がいる。ここに向かう途中では「降伏は仕方がないがそれ以上の譲歩は許さんからな」、と言っていたにも関わらず彼は魔王城に到着してからはずっとソワソワし続けている。
「魔族に支配されて生き長らえるよりも人類は戦って滅ぶほうが良いでしょう。ここに来る途中、魔王軍の支配地域を通りました。随分と人間がいて驚きました」
ほう、と悪魔宰相は声を出した。そして少し怪しげな笑みを浮かべていった。
「彼らは皆、魔王軍に敗れたものたちばかりだ。いまは食糧を作らせたり、路を踏み固めさせたり、と利用しておる。書記官殿たちも降伏さえして頂ければ、労役こそあれ生きることまでは否定せぬ」
確かに彼らは粗衣をまとい汗だらけになって田畑を耕し、路を築いていた。だが、飢えて死んでいるものの姿はなかった。ただ、逆らったりしたものは処刑されるのか、道端には磔にされた人間が何十とあった。
「逆らうなら死を、恭順には生をですか?」
「そうだ。古来より最もわかりやすい法だ」
悪魔宰相はこちらを威嚇するように大きな声で笑った。不意に服の裾を引かれたので隣を見れば将軍が怒りで顔を真っ赤にして怒っていた。
「書記官どういうつもりだ。降伏するのではないのか」
「将軍。最初から降伏するといえば、足元を見られて難題をふっかけられるのが目に見えています。我々は賠償金と代官の派遣を断ることも任務なのですから強気に行きませんと主導権を握ることはできません」
私が耳打ちすると将軍は「そうだな」と言って押し黙った。最初からそうやって黙っていてくれればいいのである。おかげで相手さんは私と将軍の間に齟齬があることを察してしまっている。
「古来の法といえば勇者を弔いたいのですが、遺体を返却していただけないでしょうか?」
「それは難しい。勇者の死体には魔王様の強力な呪いがかけられている。とても人が運べるものではない」
「では、遺体を見ることはできませんか。ここにいる将軍は勇者と幾度も死線を越えてきた仲なのです。どうか、別れを告げる時間をいただけないでしょうか?」
嘘である。将軍は勇者の技量を高く評価はしていたが、自分は前線に出ることはない。王宮で勇者が平定した土地に兵士を向かわせるのが彼の仕事であると言って良い。将軍もそれをわかっているらしく踊った目でこちらを見ている。
私は小さなため息をつくと「面通しです。本当に勇者が死んだか確認しませんと」と、小さな声で囁いた。将軍は「それは書記官の方が良いだろう」、と言ったが無視した。
「まさかとは思うが、反魂の法で勇者を蘇らせようと企んではおるまいな」
悪魔宰相は疑いを将軍に向けた。
「将軍は武辺の人。そのような回復魔法の秘奥には縁遠い方です。しかし、お疑いは分かります。なので、もしも将軍におかしな動きがあれば我らを殺していただいて結構です」
将軍が「三等書記官、なにをいっておるんだ」と情けない声を上げる。だが、私はさらに無視をする。私はただ悪魔宰相の反応だけを見ていた。彼は少し考えたあと「良いだろう。おい、将軍殿を勇者の死体の前に連れてゆけ」と部下に命じた。命じられた重装備の骸骨兵は無言で将軍を連れて部屋から出ていった。
「ありがとうございます。しかし、勇者の魂はすでに魔王によって砕かれたのでは? それならば如何に反魂の法であっても蘇らせることはできないはずです」
「書記官殿はなかなか鋭いことを言われる。だが、私が心配したのは反魂の法が失敗することなのだ。あれは魂のないものは蘇らない。だが、まれに本人以外の魂が入り込むことがある。そうなれば身体と魂が反発し合い見境なしに暴れまわる狂戦士が生まれることになる。ましてそれが勇者の身体となればどれほどの被害となるか」
悪魔宰相は嘘か本当かわからぬ顔で震えてみせた。だが、勇者が彼らの脅威になったことは明らかであった。魔王城には勇者がつけたと思われる雷撃や斬撃の跡がいたるところに残っている。なかでも魔王城の尖塔は雷をもろに受けたらしく半壊していた。
「確かにそれは勇者を愛する我らにとっても望むことではない」
「しかし、書記官殿たちは幸運だ。勇者という剛の者が魔王様に人間の強さを示したがために降伏を認められておる。同じ魔族であれば魔王様に逆らったものは一族郎党皆殺しだ。だが魔王様は自分に傷を負わせた勇者に敬意を表した。確かに魔族にはあのような戦い方をする者はいない。力が足りぬところは武器で補い。それでも足りないところは知恵で補い。さらに足りないのならば魔法や技術で補う。まさに小さな巨人というに相応しい戦いであった」
悪魔宰相は戦いを思い出すかのように目を閉じた。彼ら魔族にとっても勇者と魔王の戦いは特別なものであったらしい。
「宰相殿、いうのが遅れたがそちらでも多くの戦死者を出したことお悔やみ申し上げます」
魔王城に私たちが到着したとき城の近くではいくつもの墓地が築かれていた。それは死体を地面に埋めて大きな石を乗せただけの簡素なものであったが、その数は勇者という人間がいかに化物じみた存在であったかを示すほどに多かった。
「これは丁寧なことを。書記官殿は見られたのか?」
「ええ、城外に作られた多くの塚を見ました。魔族も仲間を埋葬する習慣があるとは知らず。驚きました」
私は正直な感想を述べた。それは人間が抱く魔族に対する印象であった。彼らは仲間を弔うことを知らず、ひたすらに戦いと殺戮を好む。それが私たちの彼らへの印象である。
「はは、そうであろう。我等とて仲間は弔う。じゃがな、種族によっては手がないものもおるし、腕がこうであったりすると人間と同じようにはできぬ」
そう言うと悪魔宰相は巨大な腕を私に見せた。黒くいびつに伸びた三本の指は鍬や鋤を持つには不適なように見えた。かわりに生き物を握りつぶすという単純な力業には適しているようであった。
「宰相殿も親しい方を?」
「そうじゃな。四天王はわしに一言も言わずに逝ってしもうたし。それに……。いや、個人的な感傷はやめよう。怒りや悲しみはときに耳目を閉じてしまう劇薬だからな」
四天王は私たちからすれば恐ろしい侵略者であったが、目の前の悪魔宰相からすれば長い期間を過ごしてきた仲間なのだ。勇者や私たちを憎む気持ちは並大抵のものではないに違いない。それを隠して交渉に臨んでいる彼は宰相にふさわしい一角の人物に違いなかった。
「書記官。確かに間違いない。勇者は死んでいたよ。外傷はさほどでもないが、恐ろしいほど強力な呪いがかかっていた。あれではとても動かせない。まるで、命と引き換えに呪いをかけた、そんな感じの呪いだ。触れれば腐り落ちるぞ」
骸骨兵に前後を固めらた将軍が戻ってきた。勇者の遺体がある魔王城の広間は勇者と魔王の戦いでボロボロだったらしい。まさに決死の戦いだったのであろう。交渉に魔王が顔を出さないことも含めれば、勇者はかなりの傷を相手にも与えたのかもしれない。
「別れはできましたかな?」
悪魔宰相は将軍を睨みつけて尋ねた。将軍は気圧されてはいたが武人としての意地を見せて「我が戦友の最後の姿。確かに目に焼き付けた。遺族のもとに返してやれぬのが悔やまれる」と威厳を込めていった。
「では、話を戻しましょう。我が国は魔王軍の要求する降伏を認めましょう」
「ほう、先程は戦う姿勢をおみせであったのに心変わりとは異な事よ」
悪魔宰相が鋭い目をこちらに向ける。
「魔族も死を悼む気持ちがあると聞いて気が変わったのです。死の辛さが分かるのであれば勇者や多くの国民を失った我らの苦しみを理解されましょう」
「魔王様も勇者が示した人間の可能性について大変興味をもたれておる。無為に人間を殺戮することや略奪を行うことはない。安心されるが良い」
場の空気が少し緩んだように感じた。私が考えていた以上に魔王軍の損害が大きかったのは間違いない。そうでなければ、勝ったはずの魔王軍がこれほどまでに譲歩するとは思われない。
「ご寛恕いたみいります。されど我らは賠償金の支払いと代官の派遣に関しては認められません」
私がそう言うと緩みかけていた空気が一気に冷え込んだ。
「我らの寛恕は亡き勇者の功績であり、書記官殿らはそれによくしているだけという事を忘れてはおらぬか?」
悪魔宰相は巨大な腕で机を叩いた。乾いた衝撃音が部屋に響き渡る。
将軍は身構えてみせたが、ここで戦っても私たちはすぐに殺されるに違いない。
「それでございます。勇者は我が国の優秀な武器や防具そして様々な道具を用いて魔王軍と争いました。それは我らが同じように新たな勇者を作れるということだとは思われませんか? 勇者は私たちと同じ人間です。人間がその身を鍛え、優れた武具を手にすれば宰相殿たちのような屈強な魔族とも渡り合える。勇者はそれを示したのです」
自分でも過大なこと言っていると思う。例え、勇者と同じ武器や防具を与えても勇者と対等の強さになれるものはほぼいないに違いない。勇者は特別な人間であった。それは間違いない。だが、魔族から見れば人間である勇者が至れた高みは人間という種ならば至れるものである、と考えるに違いない。
良くも悪くも魔族は種族に厳しい生き物だ。
知性を持たない物たちは魔獣と呼ばれて魔族の中でも軽蔑される。知性を持つ種族はそこに力という階級があるという。その彼らにとって個体差がいくらあっても人間は人間なのである。つまり彼らにとって人間という種は魔王にひと太刀を与えられるほど強い種なのである。
「なるほど第二、第三の勇者がまだおるというわけか」
悪魔宰相は考え込むように深い息をついた。おそらく彼は考えているはずだ。我が国がすでに第二の勇者を用意しているからこそ、さきほどまで再戦という強気な態度に出られていたのだと。
だが、実際はそうではない。勇者になり得る人間はいない。彼は幼い頃から武勇にも魔術にも特別な才能を見せていた。それは神に愛されたのではないか、と思われるようなデタラメなものであった。
「ええ、ですがお互いに民が亡くなれば苦しむことが分かり合えたいま、争うことに利益を見出すことがきません。ここは我が国が魔王軍に降伏し、形式上の属国となることでいかがでしょうか? むろん。我が国は優秀な武器や武具を諸外国には輸出は致しません。そのかわりに賠償金と代官の派遣をおさげいただきたい」
「貴国が武具を諸外国に輸出しないというのは誰が確かめるのか? 貴国が武具を輸出しないことを監視するためにも代官の派遣は譲ることはできぬ」
悪魔宰相は上手くのってくれた。二つあった問題が代官の問題だけに絞られたのである。これで賠償金の問題ははぐらかすなりずらすことができる。私は内心でほくそ笑んだ。
「しかし、もし我らが代官を受け入れれば諸外国は我が国を魔族に寝返った裏切り者の国として攻撃してまいりましょう。その際に代官殿は我が国を守っていただけるのでしょうか? もし、我が国が侵略されれば武具自体やその技法が他国に流れることになりますがそれでも良いと?」
「武器の流出は困るのだが、人間同士の争いに我らを介入するというのは……」
そうだろう。魔族は勇者によって四天王はおろか多くの兵士を失っている。他国の揉め事に首を突っ込むほどの余力はないに違いない。
「そこでご提案があります。代官は受け入れられませんが大使を交換するのはいかがでしょうか?」
「なるほど、お互いに大使館を設けて輸出管理の確認や諸規程の窓口とするか」
悪魔宰相は興味ありげに身を乗り出してきた。
「左様です。そうすれば我が国は最低限主権国家としての体裁を保てます。張子の虎ではありますがまだ良いと考えるほかありません」
「……良い案であるが、我が国は勇者によって随分と被害を被った。だが、貴国一つを守れぬほど落ちぶれてもおらぬ。入ってこい」
声を合図にして四体の魔族が部屋に入ってきた。一人は岩石の体をした屈強な魔神であった。二人目はフードをすっぽりと被った小柄な魔族であったが巨大な魔力をむき出しにしていた。三人目は露出の高い衣装を着た夢魔だった。その妖艶な体つきは男ならば一度は、と思わせる色香に包まれている。隣を見れば将軍がだらしなく鼻の下を伸ばしている。最後の一人は鋭い刃がいくつも付いた鎧を着込んだ騎士であった。その騎士が普通と違う点があるとすればあるはずの首がなく、首があったであろう場所からはどす黒い霧が吹き出していることだった。
「彼らは?」
私が尋ねると悪魔宰相は低い声で言った。
「彼らは新たな四天王。勇者に破れた四天王は一人で一国を落とした。彼らもそれに劣らぬ者たちばかりだ。貴国にこの中の一人を代官として派遣すれば、いかなる敵にも負けることはない。貴国の安全のためには受け入れてはどうかな?」
私は初めて動揺した。
まさか四天王が新たに編成されているとは考えていなかったのだ。確かに勇者が倒したかつての四天王たちは一体で一国を落とす強者達であった。彼らがそれに匹敵するというなら我が国の防衛のためにはこれを受け入れるのが一番楽な方法である。
しかし、それを受け入れれば我が国の政治は代官である彼らに牛耳られてしまう。それだけは避けなくてはならない。私が思い悩んでいると悪魔宰相はもう一度「どうかな?」と尋ねた。
「一人では無理だな」
私が思い悩んでいると将軍が言った。慌てて将軍を見ると彼は片手で私を制するとさらに続けた。
「我が国の国境は五カ国と接している。つまり最大で五カ国と戦わねばならぬ。四天王が一人一国ならば一国あまることとなる。それでは国防は任せられない」
流石は軍部の人間であるこういう点だけは評価せざるを得なかった。私は将軍を少しだけ見直したが、夢魔にデレデレしているあたりいまいち頼りない。
「ふむ。では振り出しになるな」
悪魔宰相は少し不機嫌に言った。
「いえ、やはり人間同士の争いは人間が決着をつけるべきです」
「じゃが貴国にはその力はあるまい?」
「いえ、あります」
私は微笑んだ。自分でも今日一番の悪い笑顔だった、と思う。隣では将軍が驚いた顔をしている。
「どこにあるのだ?」
「勇者です。我が国には第二の勇者がおります。かつて勇者は四天王を倒し、この魔王城に迫りました。つまり、勇者は一人一国の四天王よりも強いのです。五国を相手にすることなど問題ありません」
完全なホラである。
だが、このホラは魔王軍にとって鬼門筋であるはずだ。魔王以外誰も止めることができなかった勇者という切り札はいると思わせるだけでも意味があった。勇者という言葉を聞いただけで悪魔宰相は身構えた。それは新たな四天王も同じで、彼らは一応に私に対して怒りや警戒の目を向けた。特に夢魔は私が気に入らないらしくきつい目を向けている。
「……良かろう。大使を交換することとしよう。お前たちは下がるが良い」
悪魔宰相はそう言うと四天王を下がらせた。宰相はやや疲れた顔を見せた。私は違和感をいだかずにはいられなかった。私たちが勇者という切り札を持っているのと同じように相手は魔王という切り札があるはずなのだ。それを切らぬのはなぜか。
「それでは賠償金のお話をしましょう」
私が切り出すと悪魔宰相は「これだけは譲れない」、と短く言った。
「分かりました。お支払い致しましょう」
あっさりと私が賠償金の支払いを認めると隣で将軍が「待て待て」やら「それではここまでの努力が」、と喚くので将軍の襟首をぐっ掴むと私は彼を一気に引き寄せると口元に指をそっと添えて「黙ってください。そして外していただけますか」と伝えた。
将軍は口をパクパクさせて怒りに顔を真っ赤にしたが私は気にしなかった。
「将軍。お外へ」
私が強い口調で言うと将軍はなにかぶつぶつつぶやきながら部屋から出ていった。
「金額は金貨二十万枚で頼むが、よろしいな」
悪魔宰相は私を睨みつけていった。
「ええ、二言はありません。ですが、一つ教えていただきたいことがあります。なぜ、我が国に降伏を求められたのですか?」
私の問いに悪魔宰相は顔色を変えずに答えた。
「勇者に敬意をはらった魔王様の御寛恕であると申したはずであるがなにか?」
「いえ、それなら良いのです。ただ、魔王様はもう亡くなっているのでは、と思いまして」
「不敬な!」
悪魔宰相は怒りをあらわにして私の首を骨ばった巨大な三本指で掴んだ。
息苦しい。あと少し強く握られれば私のか細い首など折れてしまうに違いない。しかし、彼は私を殺さない。そういう自信が私にはあった。なぜなら、彼の狙いは共犯がいればより容易に達成できるからだ。
「わ、私だけが救える。あなたたちを」
切れ切れの声は悪魔宰相に届いたらしく、首にかかっていた力が失われる。私は咳き込みながらも彼の顔を見た。その顔からは余裕は失われている。
「……書記官殿はなぜ魔王様が亡くなった、と思うのですかな」
「理由はいくつかあります。一つは勇者を倒したならすぐに攻め込んでくるべき魔王軍が降伏を求めてきたこと。四天王まで再編しているのに攻めないというのはいくらなんでもおかしい。二つは、あまりにも弱腰すぎる対応。どうしてもこの交渉を早く切り上げたい、という思いが見えました。そして、三つは魔王という切り札をあなたが一回も切らなかったことです。普通なら勇者という私の切り札に対してあなたは魔王という切り札を使って要求を防ぐべきだった。でも、あなたはそれをしなかった」
私が指を折って数えると悪魔宰相は「そんなことで」と呟いた。
口にはしなかったがもう一つ決定的なものがあった。それは将軍が言っていた。
『勇者は死んでいたよ。外傷はさほどでもないが、恐ろしいほど強力な呪いがかかっていた。あれではとても動かせない。まるで、命と引き換えに呪いをかけた、そんな感じの呪いだ』
そう、魔王は命と引き換えに呪いを勇者にかけたのだ。勇者は魔王を倒していたのだ。だが、彼は魔王の置き土産とも言える呪いで死んだのだ。
「宰相殿は我が国を魔王不在の間の垣根にするおつもりだったのでしょう?」
「そうだ。貴国が人類にとっての裏切り者となれば、諸国は間違いなく貴国を攻める。そうなれば我々は少しのあいだでも力を温存することができるのだ」
「そうですか。では話を変えましょう」
私はできるだけ明るい声をだすと悪魔宰相に二つの要求を行った。
「一つ、私を初代の大使として迎えること。二つ、賠償金は勇者が与えた損害と我が国が被った損害を相殺、とすること。ただし、諸国へは金貨二〇万枚を我が国が貴国に支払ったこととします」
「それでいいのか?」
「いいんです。我が国はこれから勇者を失い、賠償金まで搾り取られた可哀想な国として諸国の同情を買います。そして、貴国は魔王健在を示しながら諸国の周辺に四天王を配されれば良いのです。あとは時間が解決してくれるはずです」
きっと私は人類の敵と言われるようなことをしているに違いない。魔王がいない魔王軍なんて人類でも倒せるのだから。それなのに私は彼らを助けようとしている。
「一体、なぜだ? 書記官殿はなぜ私たちに協力するのだ」
「それは……。私の野心のためです」
私はまた嘘をついた。それは勇者が私の弟だったからだ。
弟は幼い時から神に愛されたような才能を見せた。だが、私はそれが怖かった。弟の強さが魔族に対してではなく人間に向けられれば、彼は勇者ではなく英雄と呼ばれただろう。だが、それは大量殺戮者、と変わりはない。
戦場で多くの首を上げる。それが功績なのだから。
弟は強すぎた。競える相手はいなかった。彼は孤独な戦いの中で壊れていった。ただ戦うという行動に特化した人間。仲間さえ作れない戦闘狂、それが弟だった。だから私は彼が死んだとき思ったのだ。
よかった、と。
きっと魔王を倒してもこの世界から争いは消えない。魔族との戦いの終わりは人間同士の戦いの始まりだ。弟の刃は間違いなく人に向かう。それが止まったのだ。
「書記官殿……。貴女は本当に人間か?」
悪魔宰相は恐ろしいものでも見るように尋ねた。私は彼に微笑んでいった。
「ええ、そうです」