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エリスが居る場所  作者: 改革開花
三章 泥の底で光るモノ
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31 魔戦③

 洞窟――に見える、エトッフ周辺にある採掘場。その入り口を三人は少し離れた場所から見張っていた。

 三人の内、二人は重度の怪我人だ。

 一人は全身に傷を帯びた男で、浅いとは言え首に一筋の切傷を負っていた。もう一人も全身に傷を負っているが、中でも飛び抜けて右足の裂傷が酷い。最後の一人は、一見すると他の二人よりも無事に見える。だが、その内側、生命力は随分と削られていた。他の二人は傷であり突き詰めて言えば徐々に死に近づく類のものだが、最後の一人は今現在こそが最も死に近付いている瞬間だと言えよう。

 それでも満身創痍の身体を押して、三人は――ラルフとミカエラ、エルドレッドはそこから離れない。


 三者の精神状態はそれぞれ異なっていた。

 この中で最も取り乱していたのは間違いなくラルフであった。

 己が部下の変貌に、彼の頭は空白に染まっていた。常の豪気も失い、あるのは過去の古傷に呻く憫然たる男が一人。情けなくも、今の彼に騎士を名乗る資格は無い。

 この中で最も冷静だったのは揺ぎ無くエルドレッドである。

 魔術師としての知性が、生来の冷酷さが、彼から信用という単語を奪い去っていた。誰かを信じる事は無い。これまでも、これからも。故に、彼にとってこの世は敵か敵でないかだけであり、自分ですら味方では無かった。

 そして、この中で最も思考を巡らしていたのは、意外な事にミカエラだった。

 流血によって白む脳に喝を入れながら、彼女は思い返す。冷静では無い、落ち着いてはいない。それでも、胸の奥から湧き出る恐怖に急かされて、彼女は思い出したくも無い先程の光景を延々と脳内で繰り返す。

 ――腹から入り、背に突き出たエリスの愛剣。見るからに致命傷だった。明らかに死んでいた。誰もが、ラルフですら少年の死を認めたその時。少年の愛剣は持ち主の死後、解け(・・)無数の枝の様になり、その一つ一つが少年の肉に溶け込んだ(・・・・・)のだ。皮を突き破り、肉を抉り、しかしそこから流血はせず。見る間に幾本もの枝は肉の色に染まり、気付けば肉の中に消えていた。

 それからだった。エリスが目覚めたのは。

 まるで、死体に剣が寄生したようだった。魔蝿から解放され、その直後に何かがまたも少年を乗っ取ったようだった。事実、目覚めた後の少年は以前までとまるで違う。人らしき言動を示し、毅然と立ち振る舞い――そのどれもにエリスらしさが見えない。

 ミカエラとて、何もエリスに死んで欲しいのではない。ただ、またエリスを斬らなくてはなるかもしれないと思うと、そしてそれが罷り間違って何度も繰り返されでもしたらと考えてしまうと、底の見えない暗闇が心に巣食うのだ。

 思い過ごしであって欲しい。どうか、元のエリスに戻って欲しい。そう願いながら、意思に反して手は剣の柄から離れない。

 

 三者の精神状態は異なっていた。

 この中で最も混乱にあるのがラルフであり、最も警戒しているのがエルドレッドであり、意外な事に、もっとも迷っているのがミカエラであった。

 三者の心の揺れは、採掘場から響いた爆音によって更に膨れ上がる事になる。




 ――少年が坑道で見つけたのは、「エクリクシス」と呼ばれる魔道具の一つだった。

 細かい粒子状の形態で、見た目は黒色の砂といった感じだ。重さこそ相応にあるものの、容器に入れてしまえば持ち運びも出来、加えて保存もある条件を除けば容易と、非常に人気のある発破材(・・・)だ。使い方も簡単で、使用する地点――亀裂や掘った穴の中など、内側から外側へと爆発の力が伝わる様に工夫された起爆点にエクリクシスをぎゅうぎゅうに詰め込み、そこへ水を垂らし、衝撃を与える。たったこれだけである。――エクリクシスは水分に触れると非常に不安定な物質に変わり、そこに外部からの衝撃が加わる事で破裂する性質を有している。一度破裂が起これば接触しているエクリクシスに破裂は連鎖し、全体で大きな爆発となる寸法だ。故に、保存に除湿が絶対条件となっているのは語るまでも無い。

 衝撃を与える際に爆発に巻き込まれない様にする必要があるが、それを警戒する場合も魔術協会が別口で販売している特殊液を用いれば、数分の遅延の後に自動で爆発させる事も可能だ――今回エリスが使用したのは後者では無く、原始的な前者の手法である。

 事前につるはしにて地面や壁に隙間を作り、そこにエクリクシスを埋め込む。そして水――掛ける水が無かったので、わざと嘔吐した胃液で代用――を掛け、準備完了。後はそこに魔蝿が盛大に突っ込み、どかん、である。


 目論見は成功した。

 魔蝿はまんまとエリスの罠にかかり、エクリクシスはその秘めた力を解放――地面が爆ぜた。土石は炸裂し、辺り一面に細かな矢玉をばら撒く。余りの爆発の威力に音が消えた。寸での所で、つるはしを使って事前に掘っておいた退避孔に飛び込んだエリスですら、音と振動に全身が麻痺した。想像以上の爆発力。腹の真下から爆発した魔蝿は、ただでは済まないだろう。

 エリスの読みは正しい。

 事実、魔蝿の身体には夥しい裂傷が生まれ、爆発に腹部の底は焼け焦げていた。体液が気化し、吐き気を催す臭いが坑道に満ちる中、魔蝿は自らの腹部の喪失感に愕然とした。それはあってはならない、死よりも恐ろしい惨劇だったから。

 ――無い。無い、無い、無い! 

 何処にも無い。何処にも居ない。自らの腹の中(・・・)で育み、育っていた愛しい子供達の姿が何処にも無い。自らの腹、その一角の器官に溜めていた餌の数々。そこに宿し、そこで成長し、何れ外に旅立つ筈だった幼虫達の姿が何処にも無い。


 魔蝿も、そしてエリスも知る由は無かった。爆発による衝撃は、魔蝿の腹部底部にあった抱卵室、その中に詰まっていた幼虫と幼虫の為の餌が緩衝材の役割を果たした為に減衰していた事を。――皮肉である。親は守るべき子の命によって、その命を救われていたのだ。


 ――何処だ。何処だ何処だ、何処に行った! 

 狂乱の心で我が子を捜す。土煙に曇る視界の中、複眼を凝らして捜し続ける。そして、我が子より先に餌であった矮小な影を見つけ――この悲劇の策謀者があれであると、魔蝿は本能的に気付いた。


「――、――――――!」


 音なのか。振動なのか。もしかすると、呪いの思念が具現したのかもしれない。

 魔蝿は怒りの限りを吐き出した。その全ては目の前の怨敵(・・)に向けて。矮小とは侮らない。餌とすら見ない。あれは(てき)であり、(かたき)だ。爆発による炎傷など可愛い程の、身を突き破らんとする憎悪の炎。

 人間にとっての災厄の権化である魔獣は、ただの一人にその全てをぶつける。

 

 ――ここで、エリスと魔蝿の現状(ステータス)を確認しておこう。

 まず、エリス。

 身体能力は身長などから推測される年齢の平凡域から著しく逸脱するものではなく、戦闘者としては決して強いとは言えない。戦闘能力は更に手に負えず、攻防共に自らの意志ではロクに為せない凡百の一だ。

 次に、魔蝿を見てみよう。

 魔蝿――その原種であるテイマーフライには抱卵室と呼ばれる器官がある。生まれたての幼虫を育む為の器官で、肉体の内側にある温室の様なものだ。そこに親のテイマーフライは餌を送り込み、腹の中で幼虫はある程度の期間成長を続ける。更にはテイマーフライの親は自らの羽を硬化させ、外敵から抱卵室を守るようになるのだ。その硬度は岩を超え、もはや金属の域。代わりに、親は飛行能力を失う。

 ――エリスの取った戦術は正しかった訳だ。堅牢な羽を避けて、底部からの爆破。唯一無防備な場所を、完全に攻撃した事になる。現に、魔蝿は甚大な損傷を負った。その傷は致命傷とは言わずとも、十分な痛手だ。だが、魔蝿はそんな些末な傷を気にしてはいない。自らの子供を虐殺した怨敵に対する怒りが魔蝿から生存本能を失わせ、代わりに、憎悪の炎と共に溢れんばかりの活力を与えた。

 今の魔蝿は重傷であれど十分に脅威である。速度、膂力、反射速度、警戒心、そして執念。そのどれもが一様に高く、そのどれもがエリスを優に超えている。


 だから、その一撃を回避出来たエリスは、既に「エリス」では無い。


 衣服は裂け、しかし皮膚に傷は無い。魔蝿の恐るべき突進を横跳びに躱し、受け身を取って体勢を整えたのはエリスの意志では無く、勿論、自動反応による結果である。回避には随分と余裕があった。衣服が裂けたのも魔蝿の所為ではなく、単に坑道の地面か壁の何処に引っ掛けたが故である。自身の成果でこそないものの、ミカエラの剣撃を思えば欠伸すら出る程だ。

 ――これはある種相性、条件の問題となる。

 魔蝿の暴力は確かに恐ろしいものではあるが、その攻撃は単調に過ぎた。幼虫を抱えていたが為にその生態上、魔蝿の羽は硬化し、飛行に適さない物になっている。防御こそ堅牢であるが、その分今の魔蝿は飛行を封じられている為、攻撃の手段は常より乏しいと言える。更にはエリスの罠による怪我が、魔蝿から常の力を奪い去っていたのも大きい。

 対して、自動反応下のエリスは護りにおいて非常に秀でている。最適、最短を行くエリスの防御と回避は、ミカエラが王国の上位に入るものと無条件で評す位階である。巨体故に予兆が読み取り易く、怪我の所為で愚鈍になり、怒りが為に単調となっている攻撃では届く筈も無い。

 攻撃を振るう魔蝿に当たる予感など無いだろうに、魔蝿は懲りずに突進を繰り返す。それしか出来ないとは言え、学習の色が見えない。魔獣に知性を求めるのが間違いなのか、怒りに染まった頭が屈辱の答えを認めないのか――どちらも否だ。魔蝿には知性があり、怒りに震えながらも現状を正しく認めていた。

 そもそも、魔蝿とはその幼生時代に宿主の知識を奪う生物である。この魔蝿が人に寄生していたのかは定かで(・・・)はなく(・・・)とも(・・)、他の生物よりも知性においては優れているのは明らかだ。その魔蝿が何度も同じ失敗を繰り返すなら、


「ガハッ……!」


 それは真意を隠す為の罠でしかない。

 自動反応には弱点がある。それは強みでもある為に如何ともし難い事だが――自動反応の肉体操作は、最適最短を通るという点である。つまり、全く同じ状況に陥った時、エリスの身体は全く同じ動作をなぞるという事であり、それさえ分かればそこに奇襲の一撃を置く事は容易い。魔蝿が此度選んだのは、エリスの意識からも武器として外れていた()。硬化したが故に飛行に適さない、自らの身体に覆い被さるそれによる殴打であった。何度も見せた突進を行い、エリスに横へと回避を促し、そこへ羽を地面に垂直に、風を全面に受ける面積を大きくした形に広げる事で、絶対不可避の一撃をエリスに浴びせたのだ。

 魔蝿の突進の威力を受け、エリスの身体は宙に浮き、直後に坑道の壁に叩き付けられる。当たった体勢が悪かったのか、左腕が拉げた(・・・)。全身の骨や筋肉も悲鳴を上げ、罅程度ならありとあらゆる場所に生じていそうだった。

 一方、怨敵への渾身の一撃の代償として、魔蝿の片羽も損壊していた。岩や金属の様な罅割れが走り、元の形は残っているとは言え飛行には使えそうも無い。当然ではあった。突進によって発生する風の抵抗を露骨に受け、更には人間一人分の質量を硬化しているとは言え殴打したのである。――それでも、殴打用の武器としてはまだ数度は使えるだろう。羽の損壊と全身の炎傷――魔蝿とて重傷ではあるが、対価に、遂にちょこまかと逃げる怨敵に決定的な一撃を与えられた。その成果に、魔蝿は喜びの叫びを上げる。


「――、――――!」


 無論、エリスには魔蝿が何を言っているか何て分からない。それでも、目の前の敵が、自らの慢心の報いを嘲笑っている事だけは理解せざるを得なかった。


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