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エリスが居る場所  作者: 改革開花
三章 泥の底で光るモノ
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28 魔を宿して

 とりあえず高い場所に登ろう。高い所から見下ろせば、何か異変がある地点も分かるかもしれない。

 そんな安直な思考の下、エリスはエトッフ周辺にあった小高い丘の上に移動していた。高さを優先するなら他にも高い場所は多々あるが、その分登る労力も嵩む。費用対効果を考えて、現実的な所としてエリスはその丘を選んだ。

 その結論は、彼女も同じだったようで、


「あら、奇遇ね。随分とボロボロじゃない」

「そちらこそ、随分と煤塗れですね」

「言うわね……あんたって、そんなずけずけと物言う人間だったけ?」


 先客であったレイ・アルトイェットと軽口を交わす。後ろには、疲れた足を揉み解しているエリスの知らない青年――ヨハン・フルッペンの姿。どうやらインドアな彼には本日のスケジュール――徹夜作業から始まる一度目の丘への移動。その後すぐさまのエトッフへの全力疾走。加えてエトッフでの戦闘。そして今、二度目の丘登りという驚異の肉体酷使メニューである――は堪えたらしい。そんな自らの弟子に呆れ半分の視線を投げ掛けながら、レイはエリスに訝しげな目を向ける。


「で? あんたは何だってこんな場所に居るのよ」

「まぁ、魔蝿の親を捜しにですね。高い所からなら何か分かるかな、と」

「――へぇ」

「何分、僕は魔蝿の子に支配されていたので。身体の中にいた子は殺したんですけど、身の潔白の為に親は殺さないとですからね」

「はぁ?」


 レイがここに居るのは理由がある。エトッフの脅威は去った。完全な駆逐をしたと確認してある。だが、大元(・・)がまだだ。子がいるなら、どこかに親が居る筈である。そして駆除の第一歩として、レイは親の住処を捜す為にまたも丘に登っていた。ここからお得意の観測を用いる事で、怪しい地点をピックアップしようという算段である。――奇しくも、精度や確かな方法の有無は別として、エリスもまた同じ目的でここに来ており、二人は同一の目的を持っている事になる。

 武術は別として、騎士の頭を舐めていた節のあるレイである。意外な答えに、彼女は素直に感心した。もっとも、その感心はすぐに驚愕で染め上げられる事になったが。

 ある種間抜けな顔で、レイはエリスの正気を疑いに掛かる。


「ナニ、あんた大丈夫? 気でも狂ったワケ?」

「いや、自覚してる分では正気ですよ」


 埒が明かない。狂人は得てして自らを十全に把握できていないものだ。酔っ払いが酔っていないというのに近いものがある――何処の世界に、自ら非人間の容疑を被る存在が居るのか。疑いの可能性を隠す事が不誠実で、全ての罪過を晒す事が誠実だとでも思っているのならそれは間違いだ。過去の死人への誠意として自殺する馬鹿は居ないように、誠実は平等の名の下に罪を背負い続ける行為ではない。どうも、この少年はそれを分かっていそうになかった。

 レイは問答による追及を諦め、手前の観測で勝手に調べる事にした。天才の走り書き(メモリアルアーツ)に記録してある八つの技術の一つ、高度に応用が利く事で重宝している特殊な探知魔術を発動し、両手は良く働くサボり魔(ショートコード)、万全の態勢でエリスの身体を調べる。


「ナニコレ」

「?」


 結果として、彼が嘘を吐いていないのは分かった。確かに、少年の身体には魔蝿の幼体が巣食っていた痕跡が残っており、肝心の本体は既に死んでいる。だが、少年の身体はそれだけで話が終わらない程、端から端まで異常の塊だったのだ。


 まず一つ、魔蝿の子を殺して生きている事がおかしい。その理由は端的に、魔蝿の子、つまり幼体が寄生先の脊椎と一部同化するからであり、幼体を殺してしまうとショック症状で宿主も死ぬからである。だが、何故かエリスは生きている。

 次に、身体に残っている傷跡である。恐らく、幼体を殺す際に取った手段はかなり原始的なものだったのだろう。刃物による傷跡が、腹から背に掛けて残っている。そしてその傷跡が、少年の肉体の組成に限りなく近い別の「何か」によって塞がれ、修繕されているのだ。拒絶反応は無いようである――絶対に人体にはあり得ない物質なのに。例えるなら、肉の性質と九割九分九厘等しい植物とでも言うべきか。限りなく近いからこそ、違和感が拭えない。しかもこの「何か」は、少年の体中に散らばっている。もっとも重点的なのは腹から背にかけての傷跡だが、それ以外の場所――肉体の重要器官や各筋肉にもへばり付く様に散在している。肉体のあちらこちらに散在するその「何か」は、明らかに現在進行形で既存の血肉へと侵食していた。現在は全体の一割に及ぶかと言った所だが、丸一日もすれば全身隈なく侵される事だろう。

 最後の異常は、自らの異常を自覚していない事だ。自らの肉体が別の「何か」に置換されている最中だと言うのに、当人に一切の自覚無し。考えるだに恐ろしい光景だ。


 以上三点のエリスの異常。観測によって出た結果に、レイは堪らず頭を抱えた。苦悩が胸中に満ちる。彼を慮っての苦悩だと、胸を張って言えたらどれだけ良いか。レイが苦しみ悩んでいるのは、彼女の内にじんわりと暗い喝采が上がっている事だ。

 善良な理性は少年を助けようとしている。本人の精神面を考慮して伝えるか否かの判断こそすれど、何もしないのは慮外だと断じている。

 冷静な理性は少年を疑っている。魔蝿の幼体に支配されてはいなくても、それ以上に恐ろしく怪しい何かに侵されいるのは明白だ。観測の天才であるレイ・アルトイェットをして「何か」としか評せない代物。凡才の魔術師では、異常にすら気付けないだろう。故に、この警戒も正しくはある。

 そして、ロクデナシの本能が、未開不詳の事象(ブラックボックス)に出会えた事に全霊の喝采を上げている。自身に観測出来ない「何か」。血肉を補い傷を修繕する一方、既存の肉体を侵食する働きを見せる「何か」。控え目に言って、興味は尽きない。未知との遭遇に心躍らせ、未知の解明に全力を賭し、未知を既知とする事こそ生きがいとする彼女の性根が、人道や道徳を蹴飛ばして這い出ようとしている。勢力比にして四対三対三。弟子の前ではマトモでいたいという師としての自尊心――ちなみに、弟子は既に師のロクデナシの側面を認めた上で諦めており、端的に言って手遅れである――が少年を見捨て、剰え探究の礎にしてしまう過ちへの一歩を躊躇わせた。

 その上で逡巡に逡巡を重ね、レイが出した結論は傍観――という名の監視だった。少年を見捨てる事に良心の呵責はあれど、その少年が最大級に不審である事も事実である。ならば、少年のお望み通りにして貰おう。魔蝿の親の討伐は、なるほど確かに身の潔白を証明する儀式に相応しい。勿論、少年が死んでは元も子もない。それを避ける上でも、レイは少年に秘密裡で見張る事にした。そこに、少年に対する知的好奇心の働きかけが無かったと問われれば、レイは首を横に振れないだろう。それでも、冷静で真面な結論である筈だ。


 レイの高速百面相に一歩距離を取っていたエリスに向かって、レイは会話を再開する。


「……で、あんたって魔蝿の親を追ってるんだよね」

「え、はい。まぁ、何処に居るかも分かってないんですけど」

「教えて欲しい?」

「知っているなら」


 エリスの真っ直ぐな目に、レイは頷きで返す。その目に些かの危うさが見えた気がするが、彼女は目的の為に無視する事にした。今は、気にしない。


「ん。あそこ、見える?」


 レイが指差し示すのは遥か遠く、木々の間に見え隠れする岩と土で出来た建造物擬きだ。洞窟の入り口に岩を積み、岩同士の隙間を土で埋めている。洞窟の入り口を狭め、外敵を拒む防壁(バリケード)。何らかの意図の元に積み上げられているのは確かだが、人の手にしては粗雑に過ぎた。そして、獣が作るには繊細に過ぎる。ならば、考えられるのは――。

 と、そこで隣の少年が無反応な事にレイは気付いた。それもその筈。レイは自己強化を目に掛けた上で見ており、その上でかの建造物擬きは有効視界のギリギリにあるのだ。ただに裸の目では見える訳が無い。レイは当たり前の事実に思い至り、自分が見えている景色を伝えようとして、


「確かに、怪しい感じですね。岩と土の壁……いや、土に何か白いのが混ざってる? あれが接着剤みたいな働きをしてるのかな」


 その超常の視力に、息を呑んだ。しばし愕然とした後に、少年にその視力を問い質す。


「あんた見えるの? そんなに細かく?」

「ただの自己強化ですよ。僕は未熟なんで、まだ視力と聴覚しか強化出来ませんけど」


 エリスの返答に、レイは納得と疑問を抱いた。

 騎士の人間にも自己強化を我流で会得している者が多いのは知っている。だが、その大半は戦闘に有用だからこその習得であり、闘争本能に根差す以上筋力等の強化だけしか出来ない者が大半だと言われている。無論、それ以外も強化可能な者は居るには居るだろうが、それは飽くまでおまけであり、あれば便利な特技の様な扱いの筈だ。

 それがどうだ。この少年は、本職の魔術師であるレイ以上に自己強化を巧みに熟しているのだ。筋力などの強化に限定するなら、魔術師が騎士に負けるのもまだ分かる。だが、視力である。弓兵でもあるまいし、必須という程では無い筈だ。にも拘わらず、通常の視力のおよそ百倍の遠見が可能とは、レイが不可思議と思っても無理はあるまい。

 そして何より違和感があるのは、視力と聴覚しか(・・)強化出来ないという点である。自己強化で最も容易なのは筋力の強化である。何せ、脳が設けている枷を外せばある程度まで強化出来るのだから。枷をすべて外して尚の強化となると難しいが、逆に言うと、枷の内での話なら全自己強化の内で最も簡単である。逆に、五感の強化は中々に難度が高い。まず、単純に五感が強くなる感覚を掴み辛いのが一点。次に、強化した感覚器官が得た情報を処理する事が難しいのが一点だ。

 前者は単純な話で、筋力、つまりは筋肉は盛衰が見て取れるし経験出来るが、感覚器官はなまじ常に働く上に目で見える変化が無く、しかも殆どが年齢や過度の酷使による弱化しか無い為に、強化に意識付けがし辛いのだ。後者は一言で言うなら、「脳が処理し切れない」という話になる。常日頃の感覚器官に対し適切に調整されている脳は、急激に増加した情報を前にすると混乱してしまう。すると、結果として強化前よりも五感が鈍ったり、もしくは鋭敏になり過ぎて雑多な情報に肝心な情報が埋もれてしまったりする。例で視力を挙げるなら、視力を強化しようとした結果、光量の調節が出来ず視界一面白色――などの展開が情報処理の不始末にあたる。最悪、感覚器官の神経系が焼き切れ、感覚の喪失の危険すらあるのが怖い所だ。

 故に、レイは疑問に思ったのだ。何故、騎士が筋力の強化よりも先に、よりにもよって視力と聴覚の強化を、しかもかなり高度に身に着けているのかと。疑問に対する答えは、馬鹿全開の言葉だった。


「さぁ? 出来たのがこれだけだったんで」

「さぁ!? あんたどれだけ自分が変か分かってんの? あぁああああ! 嫌だ嫌だ。これだから脳足りんの騎士共は」

「なんか……すみませんでした」

「ああぁあああああ! ったく、何なのよもう! 意味分からなさ過ぎて頭に来るわ!」


 エリスの謝罪が更に、レイの胸の内に何とも言えない淀みを溜める。しばらく悶々とした気分で頭を抱えていたが、少し冷静になった所でレイは気付いた。


「あれ、あの馬鹿ガキは?」

「馬鹿ガキがさっきの少年騎士を指してるんだとしたら、とっくに行きましたよ」


 無言で立ち去った礼知らずの行いに、レイは更なる苛立ちを溜めてしまう。ヨハンは静かに、すぐに到来するであろう師のストレス発散の矛先に抜擢される自らを幻視して、悲壮の覚悟を決めた。

 

 

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