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エリスが居る場所  作者: 改革開花
三章 泥の底で光るモノ
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27 現世への帰還

 消える。消えた跡すら消える。

 忘れる。忘れた事すら忘れる。

 欠けて、失い、零れて、擦れ。何かが足りない。何かが分からない。違和感がある、虚無感がある。

 伽藍洞の内側に風が吹いた。何処から来た風か、それも理解出来ず。

 ――あぁ、だから。少年は純粋(ボロボロ)になった。




 最初に音が戻った。風の行き交う音が聞こえる。

 次に熱が帰って来た。肌と大地の温度の際に、肉体の境界を実感する。

 そして、匂いと味が同時に甦る。血と土が混じった噎せ返る匂いが、鼻腔と口腔を駆け抜ける。

 最後に、光を取り戻した。驚愕と歓喜を滲ませる、良く知った顔があった。


「エリス、エリス!」


 涙を流しながら、強く自分を抱きしめるのはラルフだ。その後ろには、薄っすらと涙と笑みを浮かべ、しかし何処か呆然とするミカエラが見える。そして視界の端に、目を見開くエルドレッドが居た。

 ――ごきりと、身体の内で音が鳴る。際限なく抱きしめるラルフの力に、エリスの身体が悲鳴を上げていた。両手でラルフの背中を叩き、苦痛を訴える。


「団長、痛いです」

「あ、あ? あぁ! すまん!」


 慌てて離れるラルフ。普段の飄々とした様な、毅然としている様な雰囲気とは大きく異なる状態に、エリスは思わず苦笑を浮かべた。


 死んでいた。そこはしっかりと実感していた。

 生き返った。それだけはちゃんと理解していた。

 だが、前後が繋がらない。夜にエトッフを抜き出、森に入っていく子供を追い掛けた辺りから先の記憶が無い(・・)。既に日が高く上がっており、場所も変わっていて、尚且つ何故か死んで生き返ったという荒唐無稽な理解だけが確かにある。根拠も無いのに確信出来てしまう、どうにも奇妙な感覚だった。しかし、所詮は(・・・)自分の(・・・)事だ(・・)どうな(・・・)ろうと(・・・)も大し(・・・)た問題(・・・)では(・・)無い(・・)

 死んで、生き返った。そうなのかと思うだけである。

 故にエリスにとって重要だったのは、自らの最新の記憶と現状の余りにかけ離れた差異の擦り合わせ、解消にあった。それ以外は些事である。眼前で未だ涙ぐむラルフに事の経緯を訊ねようとして――あわやこめかみを貫く石の弾丸を、頭を後ろに振って避ける。エリスの意志ではない。自動反応だ。故に、不意の奇襲であっても回避は為し得た。

 

「随分なご挨拶ですね」


 弾丸が飛来した方向を向く。そこには、こちらに警戒と殺意を露わにしているルーカス・エルドレッドが居た。不思議と、今のエリスは彼を見ても緊張や圧力、嫌悪感に不快感などの悪感情を感じなかった。自然なままに、彼に相対出来ている。

 一方、ラルフとミカエラも遅れてエルドレッドに向き合う。その目には、燃えんばかりの剣気が宿っていた。


「おや、おやおや。心外ですね。私は当たり前の事をしたまでなのですが。……死んだ人間が生き返る――あり得ません。ならば、それは人間では無く魔のモノなのでしょう。もしくは、そもそも死んでいなかった。肉体を支配していた魔蝿の子が、不利を悟り自害した『演技』を行い、今も虎視眈々と不意を突く好機を伺っている――この場合もまた、それは人間ではありません。分かりますよね? 彼は人間ではない。それは明らかであり、確実なのです」

「その通りですね。仰る通りです。今の僕は怪し(・・)過ぎる(・・・)。ならば、情が移る前に、場が動く前に、劣勢に立たされる前に――早急に殺す。エルドレッドさん、あなたは正しい」


 反論は無い。

 死者が都合よく生き返り、生者から歓迎を受けて幸せな結末を迎えるなどある筈が無いし、起こったなら何者かの関与や暗躍を疑うべきである。そんな事が罷り通るのは大衆文学のハッピーエンド位なものだ。少なくとも、この状況に出喰わしたならエリスは同じ事をすると確信していた。

 だからと言って、無抵抗で死を待つつもりも無い。反論も異論も無いが、抵抗の意志はある。エリスは腰に手を持って行き自らの愛剣を抜こうとして――そこに愛剣が無い事に初めて気付いた。エリスは数瞬手を虚空に彷徨わせた末に、諦めて徒手空拳で向き合う事にした。無くなった物は『仕方が無い』。所詮(・・)、ただの武器である。

 

「ふむ、ふむふむ。随分と潔い。まるで人間の様だ。それなら、どうしますか。首を差し出しますか?」

「それは御免被ります、死にたくないので。だから、代替案を出しましょう」

「ほう?」


 エルドレッドの殺意が揺らぐ。代わりに、警戒の色が濃くなった。それで良いと、エリスは自らの腹案を明かす。――その知識と思考が何処から出た物か、エリスは知らない。歩行の仕方に疑問を覚えない様に、空が青い事に驚かない様に、エリスは自らの内にある自らの物でない知識に何ら違和感を覚えなかった。


「僕が、僕の意識が人間のそれでは無く、僕が今現在も魔蝿の子に支配されているのだとしたら、僕に魔蝿の親を殺す事は出来無い筈です。魔蝿の親子関係は強制的な支配と隷属に等しい。ならば僕が魔蝿の親を殺す事が出来れば、逆説的に僕が人間である事を証明出来る」

「なるほど、検討の余地程度はありますかね。そもそも、魔蝿の子がこれ程までに大量にこの地に居る以上、親の存在は確定している。どの道、親は殺さなくてはなりません。であるなら、人である事すら怪しい不穏分子である君に、親殺しをして貰う事も悪くない。君に対する判断材料にもなりますし、親を殺せたならそれもそれで悪くない。最悪、怪我の一つでも負わせてくれるだけでも儲け物です。何分、私達は消耗していますから。ですが、分かっていますね? 勿論――」

「ええ、僕一人で行きます。背中を刺される危険がある以上、団長達と一緒にあなたは僕を見張るべきだ。無実の証明にもなるし、余計な諍いの回避にもなる」

「ふふ、ふふふふ。話が分かる魔獣ですね。良いでしょう。どうぞ、あなただけ(・・)で魔獣退治を成し遂げて下さい」


 話は終わったと、エリスはその場から動こうとする。当ては無いが捜さなくては見つかる物も見つからないと、エリスはとりあえず歩いて捜そうとしていた。ラルフはその軽挙甚だしい愚行を止めない、止められない。急転直下の展開に、変わり果てた自らの部下に、彼の思考は一時の空白にあった。故に、エリスを止めたのはミカエラだ。少年の腕を掴んで静止を強制し、戸惑いの入り混じった声で問い掛ける。


「貴方は……貴方は、本当にエリスか?」

「どういう意味ですか。エルドレッドさんと同じ意味なのだとしたら、僕は自分を『人間です』としか答えられませんが」

「違う。もし貴方が魔獣なのだとしたら、今度こそ斬れば済む話だ。だが、もし貴方が人間であり、しかしその精神がエリスでは無い(・・)のだとしたら。私は何処に剣を向けるべきなのだ」


 訝しんでいる様でありその実、彼女は希望に縋っていた。

 人間としてはあまりにも無機質で無感情な行動。自らの死を恐れず、理知的に周囲の溝を埋め、他の人命に及ぶ危機に対し的確に動く――それだけ聞くと、エリスは感情で剣を鈍らせていた二人よりもよっぽど騎士らしい。だが、死を恐れないと言っても抵抗はあるものだろう。理想や忠誠が恐怖に勝るからこそ命を賭けるのであって、騎士は自らの命を無価値と軽んじている訳では無い。寧ろ、死の恐怖が無い騎士など考えるに恐ろしい。自らの命の価値も分からない人間が誰かを守ったところで、それは偽善にすらなり得ない醜悪な所業になるだけである。そんな人間は、騎士では無い。自分だけでなく周囲も巻き込んで自滅する、ただの破綻者である。

 そして今のエリスに対し、ミカエラは正しく死を無価値と断じている破綻者の印象を懐いてた。双眸に熱が見えない。相貌に変化が無い。するべきだからしているだけ。そんな声が、少年の一挙手一投足から聞こえてくるようである。

 ミカエラの記憶にいる、抗い、努力し、懸命に騎士を目指していた少年。

 今目の前に居る、自身の命すら消耗品として見ていそうな少年。

 二人を同一人物と見る方が不可能だった。何せ、ミカエラは生き返る一部始終(・・・・)を見ている。あんな悍ましい蘇生の果てに、真っ当な人間が戻って来るとは到底思えなかった。ミカエラの心は目の前の少年をエリスだと必死に認めようとしており、その一方で今も頑なに少年をエリスとは認めようとしない。相反する感情が渦巻いている。その対立に、ミカエラは堪えていた。

 故に、安易に答えを求めた。それは正しく、迷える者だっただろう。


 姫神の騎士の疑念に、少年は小さく笑う。あるいは嘲笑にすら見える、当然を当然だと語る笑みを浮かべた。


「僕はエリスですよ。それ以上でも、それ以下でも、ましてやそれ以外でもありません」


 その言葉は、エリスの心の底からの言葉である。ミカエラはそれに返答せず、静かに腕を放した。それしか、出来なかった。



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