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エリスが居る場所  作者: 改革開花
一章 目覚め
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8 真っ赤な両手

 木剣と木剣とがぶつかり合う、耳を抑えたくなる様な音が練武場に響く。

 遠く――同じ敷地内の対角線上にある第二練武場からも聞こえる気合などの音とは違い、音の大きさも小さく、数も少ない。断続して響く衝突音はただの二人から発せられている為、当然と言えば当然だ。


「ぎ、ぎ、ぐぁっ!」


 歯を食いしばって木剣を構えるのはエリスである。木剣を身体の前に構え、相手の放つ攻撃を受け流す。その在り様は川に座する岩だ。流れを分断する様に、そして流されぬ様に。逆らわず、動き過ぎず、攻撃を皮一枚で捌ききる。

 川の流れ――攻撃の奔流の生みの親であるミーナは冷たく、鋭い視線のままに腕を振るう。斬突を使い分け、到底読み切れない攻撃を繰り出す。

 打突音はいつまでも途絶えない。

 それは偏にエリスがミーナの攻撃を防御し続けている事の証明だ。ミーナの攻撃は決して温い物では無い。若いながらに騎士団の一翼を担う女性である。その腕に疑う余地は無い。飽くまで訓練の範疇こそ出ないが、それでも騎士の中には受け切れぬ者すら居るかもしれない程の攻め様だ。

 それを防ぐエリスは決して卓越した技量を持つ訳で無い。騎士、武人としてのエリスはまだまだ素人の域を出ていない。ただこれまでの経験と、彼の得体の知れない特殊な性質(・・・・・)が綱渡りの様な防御を成し遂げさせているのだ。 防御だけなら既に一人前と言えるだろう。

 

 ――ミーナが袈裟斬に木剣を振るう。更に足の切り返しと共に振り上げ、突きにへと移行。手首を返して、次なる斬撃を繰り出す。一呼吸に繰り出す、縦横無尽の脅威の嵐だ。

 それを受けるエリスの防御の堅牢さは筆舌に尽くし難い。基本に忠実に正中線を守るように構えられた木剣は、最小限の角度の変更で全てを受け流す。袈裟斬も振り上げも、攻撃の線に木剣を擦り合わせる様にして受け流す。突きは跳ね上げ、動線を僅かにずらす。予め示し合わせられた踊りの様に、エリスとミーナの攻防は終わらない――終われない。


「エリス! 来い(・・)!」

「は、はい!」


 エリス本人には終われない舞踏。それを終わらせるのはいつも相方であるミーナだ。ミーナの掛け声に釣られてエリスは力強く大地を蹴り、ミーナの刃を防ぐばかりだった木剣を振り抜く。木剣はびゅうと空を斬り裂き、ミーナの胴を目指して突き進み――そのまま大地を穿った。


「あ」


 短い、間抜けな声。自分の攻撃が空振りに終わった事を知り、死に体になった事を感じ、次に浴びせられる攻撃を防げないと悟った。予感違わず、エリスの身体に木剣が迫る。先程のエリスの一太刀とは次元の異なる破壊の権化。衝撃が皮や肉を呆気なく通過し、肋骨がミシリと音を立てる。

 エリスの足が地面から離れた。真横に吹き飛び、肩から落ちて、跳ねて、頭から落ちて、また跳ねて。錐揉みに吹き飛ぶ様はいっその事滑稽にすら思える惨劇で、練武場に壁が無かったら遥か彼方まで飛んで行くのではと思わせる勢いだった。


「はぁ……」


 ミーナはそんなエリスの姿を見て思わず溜息を吐く。きっと、エリスには聞こえていない。



****************************************



 ――エリスの訓練が始まって、既に二週間を超えている。

 実質的な訓練日数は隔日故にその半分、一週間となるが、エリスの訓練の評価は是非が分かれる所である。予想されていた事態ではあったのだが、エリスの攻防面における成長速度に大きな差が生じているのだ。

 片や攻撃。その成長速度は著しく遅く、停滞していると言っても過言では無い。素人から一段階上に行けているのかどうか。素人に毛が生えた程度と言って差し支えないだろう。

 片や防御。その成長たるや、数々の騎士を擁する騎士団の団長であるラルフにして舌を巻く程だ。この調子で行けば、近い内に本気のミーナの攻めすら受けられる様になるかもと期待されている程だ。

 飛躍と停滞。これが今の所の、エリスの訓練の結果である。


「どうしてこうも攻防で差が出るかな……」


 ミーナは額に手を当て、やれやれと言った感じで呆れ返る。エリスはそれに何も言い返せない。言い返せる筈が、無い。




 ――エリス自身、件の攻防に得体の知れぬ気持ち悪さを感じていた。

 何故にエリスは防御のみに跳び抜けた技量を発揮するのか。それは偏にエリスの預かり知らない物としか言えない。エリスは意識してミーナの剣を防いでいる訳では無いからだ。

 彼は無意識に、意識外に、ミーナの攻撃を防いでいる。攻撃を目前にすると、身体が勝手に動く。幾ら背こうと考えても、幾らその自動で起こる反応に意識を通わせても、彼はそれを制御出来ない。完全にエリスの意思から独立した自動の反応、それがエリスの防御術の正体である。


 ミーナの一撃は痛烈極まる物であった。だからこそそれを避け、防ぎ得る自身の性質にエリスが気付いた時。正直に言って、エリスは喜んでいた。内心では諸手を挙げ、喜色満面の笑みを浮かべて小躍りすらしていた有り様だ。誰でも痛いのは嫌なのだ。彼を誰が責められようか。

 

 しかしそれも最初だけだった。

 自分の性質に甘んじるに連れ、エリスの心に暗雲が立ち込め始める。勝手に相手の攻撃を防ぐ、戦いに慣れた自分の身体。エリス自身に覚えは無くともエリスの身体は闘争を覚えていたのだ。幾度も、ミーナの攻撃を自身の剣が勝手に防ぐのを見て、エリスは次第に恐ろしくなった。

 自分の知らない、以前の自分が何をしていたのか。それはあやふやな不安として前からあったが、ここに至ってそれは明確な恐怖へと移ろう。闘争に適応している自分の身体。それはどこに由来するのか。「エリス」に由来せず、しかし以前の「少年」の過去に由来すると考えるのは至極当然だろう。

 エリス当人の知らない自分の過去。

 蓋され、隠されたその過去。

 それ自体は見えずとも、エリスには隙間から漏れ出る血の臭いを感じていた。一度気付けば他にも気付いてしまう。年不相応に皮の厚くなっている両手。白い肌に白い髪、貧弱そうな面持ちの反面、身体は寧ろ引き締まっている。エリスは自分の全身が闘争において最適化されている事に気付いた。気付いてしまった。


 少年(エリス)がエリスである以上、ラルフやミーナやセシリア、延いては王国騎士団に対して「尽くす」つもりで居る。居場所を与えてくれた彼、彼女らには並々ならぬ恩を感じているからだ。

 だが、果たして自分はここに居ていいのか。エリスはミーナと剣を交わす度に、訓練を終える度に、床に就く度に考えてしまう。恩を感じれば感じる程に、エリスは自分の両の手を見る。その両手が血に塗れて見えるのは、幻覚なのか――。





「エリス、聞いてる?」


 思考の海からエリスを引き上げるのはいつも他人の声だ。エリスは半ば自覚しつつある、「自分だけの世界で考え込む癖」がまたも出ていたのだなと悟った。つまり、ミーナからすれば訓練後に唐突に黙り込まれた訳であって、その無礼に思い至ってエリスは慌てて頭を下げる。


「す、すみませんでした。ちょっと考え事をしてしまって……」

「いや、別に良いけど。てっきりどこか痛めたのかなって思っただけだから。……ところで、考え事って?」


 あれだけ盛大に吹き飛ばしておいて良くそんな風に言えますね――その言葉は呑み込んで、しかしエリスは言葉に詰まった。エリスの考え事はつまり自分の性質、過去についてであり、それを言うのは憚られたからだ。


「いや、攻めを上手くなるにはどうしたら良いのかな、と」


 その場しのぎとして口から出まかせを告げる。

 そう、出まかせなのだ――エリスは攻撃を覚えたくなんてないのだから。

 エリスの心を辛うじて安心させているのは、エリスの身体が攻撃では勝手に動かないからだ。相手を倒す――殺すのに勝手に動かない間は、自分の両手がまだ綺麗だと思える。

 思い込む事が出来る。


「攻め、か。それには基本から叩き込むしかないってのが答えね。在り来りけど」

「基本、ですか」

「ええ。今までの訓練はエリスがどれ程動けるかの実地試験だったからね。これからは各々の項目を潰す、基本の反復に入ろう。まあ、つまりは他の班員との訓練に合流するって事だけども」


 エリスの心露知らず。ミーナは端的に、そしてエリスにとって劇的な言葉を落とす。

 訓練の合流。それはエリスにとって憧れであり、避けたい物であった。

 現在、エリスの訓練はミーナとの一対一、つまり他の騎士団員からは隔絶した形を取っている。これはエリスの信用度合を量る側面があるのだが、それはさておき。つまり、日々の雑用でこそ王国騎士団員の顔を見るエリスだが、現実として彼らと同じ立場では無い事を意味する。

 ミーナとの訓練の傍ら遠くから聞こえる気合の声。それはエリスに疎外感を感じさせるには十分だった。訓練の合流はエリスにとって期待半分、不安半分のサプライズと言える。


「と言う訳で。次回からは合流で訓練だから。……あ、後これからは隔日で無くて毎日ね。集合場所は第一稽古場。時間は朝七時より。遅れない様に」

「――はい!」


 唾を飲み込んで、エリスは声を大にして返事する。

 何か唾以外も飲み込んだ気がしたが、エリスには分からなかった。


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