24 魔に堕ちて④
騎士の二人がかつての同胞相手に苦戦する一方、エルドレッドは一見すると盤石の戦況を維持しつつ――その実、じわじわと数の力に体力を削られつつあった。敵は殺している。足元に転がる十数個の死体がその証拠だ。攻撃は一度も喰らっていない。汚れ一つ無い衣服を見れば明らかだ。だが、エルドレッドの顔色は刻一刻と悪くなり、彼の肉体は静かに傷付いていた。
――エルドレッドが十の指に填めている指輪には、深紅の石が輝いている。
石の正体は龍の血を特殊な加工方法で凝固させた物であり、それを触媒にエルドレッドは絶大な攻撃魔術を展開している。――龍とは、魔獣と似て非なる生物、星獣の一つである。魔獣が人類にとっての災厄であるのに対し、星獣は自然の権化。その中でも龍は天恵と天災の象徴とされている。その息吹は森を燃やし尽くし、空を舞えば嵐に変え、その尾は大地を抉り、その血液は遍く生物に呪いをもたらす。しかして、その息吹は豊穣の季節を呼び、龍の後には春の風が起こり、その尾は枯れた大地に活力を与え、その血液は生命を育む命の原液とされている。人智を超えた超常の生物、それが龍だ。
そんな龍をかつて殺し、剰えその血を利用しているのがルーカス・エルドレッドだ。何物も、何者も恐れぬ豪胆と傲慢な在り方を指して、彼は魔術協会で龍血の探求者と畏敬の念と共に呼ばれている。
風が吠える、炎が蹂躙し、大地が割れ、水が逆巻く。ここに顕現するは天災の縮図。自然の猛威が人の意思の下に暴れ狂う。人のみならず、生きとし生ける物に抗う術は無い。無論、術者もまた、無力な枠に含まれる。
身体を蝕む奇跡の代償。睡魔の様に甘く、傷の様に鋭く。肉体の内で死した龍の怒りが聞こえる。それらを強靭な精神と叡智の粋で捻じ伏せる。表情には辛苦の欠片を僅かも見せず、魔術師の長は冷徹な眼差しで敵を殲滅する。
そこに、人だったモノを壊し尽くす事への一切の躊躇は無かった。
二人の騎士は、この期に及んで迷いの心を持っていた。
ラルフは仲間だったモノへ剣を向けるのに明らかな抵抗を示し、それに気付いているミカエラは自分がエリス擬きを斬るのだと決意こそすれど、心の底に沈む感情の訴えが要らぬ強張りを身体に与えていた。
騎士失格。
今や、二人の剣は鈍らその物。空を裂き、音を抜き去り、立ち塞がる障害全てを切り伏せる覇の剣は見る影も無かった。
そして、相対する化け物の群れに迷いなどある筈も無く。敵の群勢はここぞとばかりに、一気呵成の攻勢に出る。
「はは、ははは「ははは、ははははははは「「「「「はははははは!」」」」」」」
辺りに響く不協和音。奇妙にも揃った、笑い声が木霊する。狂笑に顔を歪ませながら、敵が迫る。
「くそがぁああああ!」
絶叫。振り切ろうとしたのは何か。ラルフは気合のままに大剣を振るう。目の前の人だったモノが弾け飛び、近くの岩壁に当たって血と肉をぶち撒ける。それにエリスの顔が被って――無理矢理に幻を振り切り、目の前の猛攻を防ぐのに腐心する。ミカエラもまた、眼前の敵に集中する。理想を追いやり、感情を殺し、ただ冷めた心で剣を振るい続ける。敵がただの化け物なら、凡人が魔蝿に侵されただけの群れならそれでどうにかなっただろう。鈍らに堕ちているとは言え、二人は互いに王国最高峰の騎士が一。肉壁を断ち、命を絶つ位なら幾らでも出来る。
だがここでは、鞘の付いた剣で斬るような真似は罷り通らない。ここには、自らでさえ出自も由来も知らない、更には制御すら出来ない特異な戦闘技術を宿していた、かつて騎士を目指していた少年だったモノが居るのだから。
――影が落ちた。日の輝きが何かに遮られ、不意にラルフの視界が暗くなる。天を仰ぐ。そこにはラルフの脳天目掛けて「自己満足」を抜く、天高きエリス擬きの姿があった。ラルフは逡巡を押し留め、大剣を頭上に翳して奇襲に対応する。空いた手を剣の腹に当て、両手で構える剣の盾。大剣はラルフの身体の殆どを隠し、敵からすれば移動線も攻撃の余地も遮られたに等しい。
広域の防御を用意したラルフを襲ったのは、意外な程に軽い衝撃への困惑だった。その答えを、ラルフはすぐに知る。
「がはっ……」
衝撃が軽かったのはエリス擬きが手首の角度と体捌きで調整し、落下の力を自身の移動に変えたからだった。翳した大剣に身を隠し、エリス擬きは大剣の上を転がる様にして移動する。そして大剣を支える腕を取り、自身の落下を利用してラルフを投げた。大剣とラルフ本人、二つを合わせれば体重差は倍以上だろう。それを呆気なく、羽毛でも投げる様な軽さで投げて見せた。エリス擬きが着地する。ラルフの身体が地に打ち付けられる。受け身こそ間に合ったが、体勢の不利は明白だ。エリス擬きは間断無く、次の攻撃に移る。
二撃目は刺突だった。着地の反動を、円運動を活かして二撃目の加速に用いる。ただでさえ速い刺突が、目も眩む高速へと変わった。それに対するは、体軸が崩れているラルフ。苦し紛れに大剣を互いの間に置こうとして――それすらも、エリス擬きは許さない。踏み込みと共に、前足が大剣を蹴り抜く。一瞬の抵抗。されど、刹那を争うこの場において、致命的な遅れに至る。大剣の防御は間に合わない――ラルフは剣から手を放し、素手での防御を試みる。
負傷は避けられまい。だが、致命傷だけは避ける――甘い。
エリス擬きの刺突が迫る。それを阻む形で腕を差し込もうとしたその時、エリス擬きの持つ「自己満足」が伸びた。「自己満足」の伸びる速度、それ自体はこの場で言えば速い方ではない。だが、エリス擬きが体術を遺憾なく発揮した刺突の最中において、僅かとは言え切っ先が加速すれば、それは間に合う筈だった防御を追い抜かせる必殺の速度に成り代わる。ラルフの両腕をすり抜ける様に「自己満足」が通過する。
漆黒の剣先がラルフの喉を抉った。