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エリスが居る場所  作者: 改革開花
三章 泥の底で光るモノ
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22 魔に堕ちて②

 常識、前提として、魔術師は戦闘に向かない。先のヨハンを例に挙げよう。彼は攻撃手段として風の魔弾を撃った。可視性の低い弾丸――成程厄介だろう。着弾点から広がる風と小石の殺傷圏――有効範囲が広い事は利点だろう。だが、それがどうした。彼が為せたのは精々が相手を数歩退らせたのみ。強いて言っても、幾つかの切傷を付けた位だ。その程度の戦果の為に、彼は大金と一年以上の時間を費やしている。しかも、彼の魔道具は決して酷使に堪え得る物ではない。百も撃てば石は割れ、使えなくなる代物だ――しかも、石が割れるより前にヨハンの魔力が尽きる為、実弾は更に少ない。

 詰まる所、魔術とは費用対効果が悪すぎるのだ。学術である以上、戦闘は本分ではない。手間が掛かり、時間が掛かり、金が掛かり、人を選ぶ。魔術で戦う位なら、拳を握れ、剣を学べ、槍を身につけろ、弓を使え、鎧を着ろ、体を鍛えろ――魔術は使うな。


「それが凡人の発想。哀れな先入観」


 レイはそれら世間の声を嘲笑う。

 魔術は戦闘向きではない――そうだろう。だから、魔術だけ(・・)では戦わない。そもそも魔術とは、学術とは、究極的には知識とは何か。学ぶ為の物か。選民思想に浸る為か。誤った全能感を抱く為か。馬鹿を嗤う為か。

 レイは全てに否と答える。学ぶ為に必要なのは確かだ。学習出来る者と出来ない者、立場と才能の差があるのも事実である。全能とは言わずとも、万能に近い錯覚を抱く事もある。馬鹿を嗤うのは楽しいが、それが真価では無い。

 ならば、レイにとって知識とは何か。


「決まってるわよ。何かをする為の、成し遂げる為の道具。それ以外ある訳が無いじゃない」


 その思想から、レイは知識に貴賎を付けない。騎士を嫌うのは魔術師を、延いては自分を見下していると感じているからだけであり、彼らの武技を否定している訳では無い。学術が知識の集積の果てにあるモノだとすれば、武術は知識の研鑽の果てにあるモノである。知識を尊ぶ彼女が、武技を否定する筈が無い。寧ろ脈々と受け継がれた積年の成果を見る度に、出会えた奇跡への感謝と歓喜の恍惚すら覚える程だ。

 それがレイ・アルトイェットの持論であり、哲学――故に、彼女が武術を身に着けているのは当然の帰結である。


 体軸を据え、腰を落とし、盤石の体勢から放たれるのは至極の連撃。拳、肘、肩、膝、足、頭部に至るまで。身体の全てを利用する攻撃は途切れる事を知らず、体勢は崩れる事なく。一つ前の技を次の技への反動に利用し、淀みなく繋がれ続ける攻撃はまさに嵐が如し。人中を打たれ、膝を割られ、肋骨を砕かれ、肘を折られ、足を払われ――次から次へと、元村人だった化け物たちは地に伏していく。多数に無勢でありながら、その戦況は陰り知らずであった。

 ――流麗に戦う彼女、その五体は所々淡く光っている。光っているのは服では無い。装飾でも無い。肌は限りなく正解に近いが、それも違う。光っているのは骨であり、筋肉であり、神経である。これこそが彼女の体技を支え、同時に彼女を異端な天才たらしめる証明であった。




 彼女は知識を欲する。どの様な知識でも、知識である限りは欲し続ける。その知識欲は、知識の派生である学術や武術にも及んでいる。

 同時に、彼女は知識を恐れる。世にある知識の数、その果てしなさ。人の世が続く限り、知識はこれからも増え続けるだろう。知識を集積し、研鑽した技術の数も増え続けるだろう。無限に続く知識の増加は、彼女にとって絶望的な時間の不足を意味していた。

 職人、達人と呼ばれる人達がいる。彼らはある技術を徹底的に追求し、極めた人間である。それは素晴らしい。だが、彼らは究極を習得する代償に、多大な時間と労力を払っている。言い換えれば、彼らは他の道を捨てている。水準次第で程度は違えど、時間と労力を必要とするのは知識及び技術の習得にどうしても付き纏う問題である。新たな知を見る度に心躍らせる移り気なレイにとって、この先達が実証してきた事実は絶望以外の何物でも無かった。

 彼女は悩んだ。全ての知識や技術を習得したい、までとは流石に思っていない。それは不可能だろうと分かっている。でも、一つでも多くを習得したいとは思っていた。彼女は諦めなかった。諦められなかった。必死に考えて、考えて考えて。歪な妄執の成果は、彼女が「天才の走り書き(メモリアルアーツ)」と呼ぶ魔術に至らせた。

 彼女が出した結論は、「習得までの時間を短縮すればいい」という、言葉にする分には簡単な結論だった。しかし、短縮すると言ってもどうするのか。彼女が辿り着いた手法は、文字通り「体に覚えさせる」と言ったものである――その為に、筋肉、骨、神経に魔術式を印字(・・)した。普段、魔術式は彼女の体内で眠っている。彼女が魔力を流し起動する事で、魔術式は作動――特定の技術に関する情報がレイの頭脳に流れ込み、同時に五体の動作と強度を魔術式が補助する仕組みだ。

 レイは技術の習得において、実践が最大の問題であると考えた。机上の理論は魔術師の得意とする分野である。ましてや観測の天才であるレイにかかれば、技術の理論理解は然して苦労しない。だが、実践となると話が変わって来る。体作り、心得、反復練習――端的に言って、億劫だった。それらの工程を短縮したいが為に、レイは天才の走り書き(メモリアルアーツ)を生み出したのだ。

 とは言え、塵芥で小説を書く様な作業である。筋肉を繊維ごとに解して、元通りに戻す様な行為である。凡人には不可能。だが、歪んだ情熱と天性の観測の才を持つレイは、この難関を成し遂げた。それも、今までに八度もである。その甲斐あって、彼女は八つの技術をその身に宿している。

 ――ある意味、彼女は他の道を捨てる事を諦め、他の道を捨てない道を究めつつあると言えるのかもしれない。




 元村人。魔蝿に侵された者、モノ。それらが次々と地に薙ぎ倒される。殴られ、蹴られ、転ばされ、投げられ。流麗な技の冴えに、知識は残っていようとも、人としての理性が無くなった元人間は対応出来ない。これが元武人であれば話は変わろう。身に染み付いた技で、知識として残っている戦闘経験でレイに対抗、もしくは勝利出来た筈だ。魔蝿に侵された事で膂力が上がっている事を考えると、勝利の可能性は跳ね上がるだろう。だが、ここにいるのは凡百の人間。日々大地に向き合い慎ましく生きていた彼らに、幾つもの武術を宿すレイの相手は少々荷が重かった。

 ――とは言え、油断してはならない。彼らに人としての理性は無い。だが、知性はある。魔蝿としての、魔獣としての価値観や判断に則った知性がある。そこに人としての知識が合わされば、歪んだ精神が生まれ落ちる。

 化け物達の動きが変わった。

 個の連続では無く、群の統制の色を見せ始める。

 レイの視界から外れるように移動する。攻撃の終わりを突く。やられそうな同族への止めを阻止しに入る。謂わば、集団として機能し始めた。レイに群がる敵の数が二十を超える。エトッフ中から集まり、レイに迫る。魔蝿に侵された者達の中に、レイを殺すという共通の目的が見て取れた。好き勝手に貪るのではなく、共通の敵の為に矛先を同じくする。されど協力は意味せず。飽くまで肥大した衝動が偶々同じ方向に向き、頭にある知識が集団での包囲を選択しただけである。


「ハッ、タァア!」


 気合を上げ、レイの身体が躍動する。レイの観測の前に死角は存在しない。視界外に消えたからと言って敵を見失うなど期待しているのなら、期待外れであると早々に悟るべきである。自分に近づく敵を、危険度の高い敵を流れ作業で倒し続ける。迫る腕を取り、肘を折って地面に頭から突き刺す。唸る人外の膂力を受け流し、重心を崩した敵の延髄に頭上からの蹴りを落とす。首を狙って噛み付かんと開いた口を下から掌底で突き上げ、伸び切った身体に怒涛の突きを見舞う。

 冴え渡る武技。天才の走り書き(メモリアルアーツ)の補助と、レイの一瞬で下す技の選択によって、群と化した化け物達と渡り合う。物量をいなし、暴力をいなし、着実と数を減らし――しかし、圧倒的な人数差はいなす先すら埋め尽くしていく。次第に進退ままならなくなり、遂には敵の手がレイの足を掴んだ。人外の膂力は簡単に振り払えず、その一瞬の停滞は次なる枷をレイに与える。瞬く間に、レイは化け物達に押し倒される。地面に身体を押し付けられ、全身に暴力が降り掛かる――にも関わらず、レイはにやりとほくそ笑む。


「私の身体をタダで触ろうなんて、都合が良すぎるんじゃない? ――焚火は豪勢に(ディス・レイ)!」


 ――身体に刻まれし天才の走り書き(メモリアルアーツ)の働きは、特定の技術の情報伝達と補助である。技術の数は八つ。その内に、魔術が無いなど誰が言ったか。

 レイの身体を光が包む。先までの所々にあった点在する光ではない。暴力的なまでの鋭く強い光が、レイの身体から四方へと拡散する。

 次の瞬間。

 レイを中心に爆発が巻き起こり、火炎は渦巻いて辺りを蹂躙した。地面が抉れ、熱風が吹き荒れる。世界の音は爆発に呑まれ、しばしの間混沌と消えた。炎に誅された者に知覚が許されるのは、皮膚を貫き神経(・・)が訴えかける痛みのみ。自らの叫びすら聞こえず、開いた口から喉が焼かれる。化け物達は体内に宿す魔蝿の子諸共、劫火の下に焼け朽ちた。

 火が鳴りを潜める。灰と焼死体の山の中から、一つの人影が立ち上がる。レイ・アルトイェット。顔を煤で汚しつつも、身体には僅かな火傷も無かった。目論見通り、自分を狙って集まった敵集団を一網打尽に倒した。計画通りの光景に、彼女は足元に広がる地獄絵図を見ながら呟く。


「うん、まぁまぁって感じよね。短縮した割には上々ってやつ?」


 自らの所業に評価を下しながら、レイは背後へと拳を横薙ぎに振るう。そこには、彼女の肉体を貫かんと、焼死体を突き刺しながら迫っていた土の牙があった。鋭く、硬い円錐状の造りは、十二分にレイの肉を貫き足り得るものだっただろう。しかし、レイが自己強化を施した拳の妨害により僅かに狙いのそれた牙は、彼女のすぐ横を掠めるだけに終わってしまった。


「予想通り過ぎてつまんないわね。はぁ……、凡人は魔獣の力を借りてもその程度って訳?」


 レイが灰と焼死体に満ちた地の一角を睨む。そこは僅かに、集中してみれば違和感を覚える程度に膨らんでいた。更によく見ると、灰と焼死体を身体に被せて、懸命に姿を隠している人影を見る事が出来る。

 ――エトッフの探知式に綻びが無かったことは、ヨハンですら既に気付いていた事である。破壊では無く、無破壊の侵入。即ち、難攻不落の砦への侵入者である。内通者を――魔術師に疑いを掛けるのが常道だろう。そして今回の場合、内通者は裏切り者では無く、ただの無能な魔術師だったというだけの話である。

 その容貌に、レイは見覚えがあった。確か、クラークという名前だったか。うだつの上がらない、今年十四年目になる学徒生だった。クラークの顔に理性の色は無い。あるのは原始的な恐怖と、それでも消えない暴力と蹂躙の衝動である。レイは天才の走り書き(メモリアルアーツ)の輝きを放ちながら、それに近付く。


「同情なんてしないわよ? する訳ないじゃない。魔蝿なんかに支配されたあんたが悪いだけだし? 無能なあんたの所為で要らない被害が出まくりだし。だから、これはただの憂さ晴らし。素直に……殴られなさいな」


 だんっ、と。レイが大地を蹴り抜く。高く舞い上がる灰を背に、レイが十数歩の間合いを一息に詰める。クラークだったモノは背中に乗せていた焼死体を跳ね除け、今更ながらに逃げ出そうとするが――遅すぎる。


「体中、煤と嫌な臭いだらけになったわよ、コンチクショーッ!」


 無防備に向けた背中、その中心目掛けて拳が奔る。背骨が折れ、血反吐が喉を遡り、数度の痙攣の末に動かなくなった。




 一撃の下に下した死体を足元に侍るレイを見て――女性一人による化け物駆逐ショーの終わりを見て、遠くに逃げていたヨハンは小さく呟く。


「師匠、女辞めてるな……」

「ぐふっ」


 風の悪戯か。聞こえる筈が無い影口を聞いてしまった自称、十年に一人の絶世の美女は、その場に崩れる様にうずくまる。今日初めてのダメージだった。



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