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エリスが居る場所  作者: 改革開花
三章 泥の底で光るモノ
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21 魔に堕ちて①

 ――騎士である二人は否が応でも、目の前の光景を認めざるを得なかった。

 

 足跡は呆気なく見付かった。

 エトッフ周囲の森。そこに在る木々についた横一文字の傷が、少年の行方を教えてくれた。

 痕跡は確かに残っていた。

 少し開けた小空間。傍らに傷を帯びた木を侍らせたこの場には、確かに何者かの戦いの跡が残っていた。

 結末は語るまでも無かった。

 彼らが辿り着いた洞窟にて、それはあった。暗闇より出でる蠢く群像。幾度と感じた血の匂い。幾度と見た地獄の再演。


「こ、今夜の朝御飯はお父さんですよ。ば、売女は豚を足早に、にに、買い急ぐわね」「背中から湧き出る蛆虫は、腹を這い回って鉄を叩く、くく、くくくくくく」「お茶は糊代に伸ばさなくちゃ。私の目玉を使うと良いわ。きっと良いお子さんが産まれるもの」「俺の、のの、雛がわんと鳴いたぞ。俺はにゃあとし、ししか泣けんのに」


 それ(・・・)は、一見すると人の形を取っていた。

 脚、腰、胴、腕、肩、首――下から見上げるに、それはまさしく人である。だが、放つ気配が違っていた。幾度と切り伏せた魔蝿の影が相貌に宿っていた。あれは人ではない。目を見開き、口を情けなく開き、そこから涎をだらだらと垂れ流している。口から出るのは意味を為さない単語の羅列。理性も知性も欠片も無い、ただの音。


「あなたは私だな。だって目玉があるのだから」「あら、葉っぱが緑色だわ。やっぱりここは一丁目なのかしらららら」「「ぼ、僕の腹には鉛がある。何せせせ、僕は甲虫だからね」「空に幕があるぞ、ぞぞ。なんだってこんなに煩いんだぁあ、ああ、あ」


 魔蝿は根絶した筈だ。だから、目の前のそれは違う――幾度と二人はそう思い込もうとするが、それは過去に殺した亡者の怨念が認めない。


「エリス……」


 ラルフの口から情けない声が漏れる。向けられた相手は群像の中の一人――否、一体。それは希望に縋っての物か、自らの部下を醜悪な姿に貶めてしまった後悔か。どちらにせよ、名前の持ち主には届かない。

 ただ、殺意と狂気を以てして応える。

 少年は、変わり果てた姿で見つかった。その周囲に、同族を無数に並べて。




 エトッフに急ぎ戻ったレイとヨハンは、変わり果てた村の風景に戦慄した。響くは悲鳴、満ちるは絶望。村のあらゆる場所で惨劇が起こり、正常な人間は安息の場所を求めて逃げ惑う。どのようにしてか、魔蝿は既に村に(・・)入り(・・)込ん(・・)でい(・・)()。魔術師達の監視の目を潜り抜け、欺き、自らの子を村人の身体に忍ばせていたのだ。


「ど、どうして……!? 探知式は壊れていないのに!?」


 頭を抱えて、目の前の不条理にヨハンが叫喚する。だが、それは現実逃避だ。如何に魔術師達の叡智の結晶が不備なく働き、破壊も違和も何一つなくとも、人の領分を侵すからこその魔獣。人類にとっての災厄の権化。ましてや、此度の魔獣は宿主(・・)の知識を喰らう。ただの獣でさえ、罠を学べば罠を避けるのだ。人としての理性が損なわれようと知識が残るならば、魔蝿にとって魔術の突破など余りに容易い。

 故に、これは慢心から生じた必然の結果だ。魔術協会は無論、彼らを支援し、対立陣営を出し抜こうとした「改革派」の陣営にも責は及ぶ。騎士団、延いては伝統派が行った魔蝿の全面駆除――その失敗を自分達の手で解決する事で、相手を貶め優位に立とうなどと考えていた愚か者達への必罰である。災厄の権化を政治の道具に利用とした、彼らの判断が甘かったのだ。


 そして、そんな身勝手な政治闘争、不始末などエトッフの村民には露も関係無いのだ。目の前で蹂躙されているのは真に無辜の民。これをただ見捨て逃げるなど、ヨハンには出来なかった。罪に加担した故の贖罪ではない。そんな保身の心など欠片も無い。ただ、胸の内からせり上がる熱が、眼前の惨状へ立ち向かわせた。


「うぉおおおおお!」


 勝算など無い。あるのは無限の熱のみ。全力の気合を上げ、ヨハンは駆け出した。悲劇の一つが目に映る。蹲る少女を襲わんとする人の皮を被った化け物――やらせるものか。懐に手を突っ込み、そこから一つの魔道具を取り出した。中心に緑色の石を填め込んだ銀の円環。五本の指で外円を握り込み、化け物へと手を向けた。


「喰らえぇえええ!」


 金額にして給料半年分。製作期間実に一年。師に弄られながらも、寂しい財布事情を嘆きながらも、改良に改良を重ねたヨハン唯一の護身道具にして戦闘道具。流し込んだ魔力に緑石は眩く光り、次の瞬間。風が渦巻き、僅かに緑を帯びた風の弾丸が射出される。弾丸は直進し、魔蝿に侵された人間に命中した。弾丸は皮膚表面で弾け、内包していた乱気流を解き放つ。緑石の欠片が僅かに含まれていた乱気流は、化け物の皮膚を幾線と引き裂いた。それを見るや、走る足を止めずにヨハンは弾丸を撃ち続けた。化け物は風の弾丸に押され、一歩、一歩と後退る。

 ――いける!

 ヨハンの内に、仄かな自信が宿る。更に勢いに乗り、ヨハンは弾丸を撃ち放つ。遂に十は撃ったかという所で、ヨハンは襲われていた少女の下に辿り着いた。化け物に銀の円環を向けたまま、ヨハンは少女へ振り返り――


「早く立ち上がって! ここから逃げ――」

「お兄さんはお姉さんじゃないわ。お日様があるなら兎も跳ねるわね」


 自らが庇った相手もまた、化け物であるのを知った。


「――あ」


 身体が硬直する。熱が冷める。現実が、獣染みて口を開く少女が視界に広がる。他人事の様に少女の口内に見える赤色に見惚れて、


「馬鹿弟子が。魔術師なら考えも無しに飛び込むんじゃないわよ!」


 眼前を拳が通り過ぎて行った。少女だった物は地面と平行に吹き飛ぶ。民家の壁に当たったそれは、湿った音と乾いた音が同時に鳴らして静かになる。ヨハンは拳の元を見上げた。

 そこに居たのは若き天才魔術師。ヨハンとは違い、為せば届く者。


「ま、努力と熱意が見えたのは良しとしましょうか。……さあて? ブンブンワラワラと五月蠅いわね。ハンッ! 久しぶりの運動ってやつ? ちょっとばかし、数が少ないんじゃないの?」


 レイ・アルトイェットは深々と笑みを浮かべ、両の拳を打ち鳴らした。



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