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エリスが居る場所  作者: 改革開花
三章 泥の底で光るモノ
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20 魔蝿

 地に落ちた小枝を踏み折りながら、森を進む人影が二つ。二人は師と弟子の関係だが、今は弟子であるヨハンが師であるレイを先導していた。坂を上り、荒れた道を進み、彼らは周囲の中で少しばかり小高くなっている場所に着いた。丘と呼ぶか山と呼ぶか迷う程度の高地からは、何とかエトッフとその周囲が見渡せる。


「ここならいけそう(・・・・)ですか?」


 ヨハンが訪ねながら振り返ると、レイは返事より先に仕事を始めていた。彼女の両手――五指と五指、合わせて十の指が曲がり、伸びる。裏返った虫の足を思わせる動きは、傍から見れば異常を疑う物だろうが、決して病や狂気の為では無い。「良く働くサボり魔(ショートコード)」。レイはこの特殊な指の運動をそう名付けている。


 ――レイ・アルトイェットは俗に言う天才である。若くして学長に至った経歴に見る栄光でも明らかだが、彼女の本質的な才覚はそこには無い。彼女を真に天才たらしめているのは、彼女だけが持つ異常な水準の観測精度にある。観測は魔術において必要不可欠な要素である。これなくして魔術は行使出来ず、観測の精度の良し悪しで魔術の精度も大きく変わる――と言うのに、大半の魔術師は観測を十全に果たし得ない。それは偏に、無情にも流れる絶対の時間が原因である。

 魔術における観測は正確であれば正確である程、詳細であれば詳細である程好ましいとされる。だが、この世に不変の環境や状況は無い。時間は決して止まらず、観測の最中にも情報は更新され続ける。故に、魔術師に求められる観測能力は、如何に自らが得た情報を素早く形にするかと、如何に正確な未来予測を立てるかにある。その双方を高次元で持つ魔術師の一人が、レイ・アルトイェットその人である。その速度、実に十分の一秒。十分の一秒の時間があれば、彼女は四千七百八十三もの項目について、殆ど完全な分析を行う事が出来る。その驚異的な思考・分析速度を支えている「技術」こそが、彼女だけの「良く働くサボり魔(ショートコード)」である。一瞬の閃き、刹那に巡る抽象的な思考。それらを反射的に左の指の動きに置換し、本来瞬く間に消え去るそれらの刻限を引き延ばす。同時に、右の指は左の指が残した思考を精査し、明確な形に直す。それらを複雑に繰り返しながら、頭脳では情報の統合と未来予測を同時に行う。彼女の脳は一つだが、彼女の思考器官は三つあるに等しいと言えるだろう。


 そんな彼女が現在思考・分析しているのは、エトッフ周囲の環境の変化だ。レイはここエトッフに来た時に一回、昨日の日暮れ前に一回の計二回、エトッフ周囲の情報を獲得している。故に、それらと照らし合わせる事で不審な痕跡を炙り出すのがこの試みの目的だった。


「……え?」


 頂きに辿り着いてから丁度十秒。レイの顔に動揺が宿る。しかして、ヨハンはすぐにレイに訊ねる愚を犯さず、静かに彼女の言葉を待った。レイは数秒の間、先までと変わらずに「良く働くサボり魔(ショートコード)」を続け何かを確かめると、確信と焦燥に駆られた瞳で元来た道を下り、エトッフへと駆け出した。慌てて、ヨハンはその後を追う。


「どうしたんですか、師匠! そっちはエトッフですよ!?」

「分かってるよ! 分かってて走ってんの!」


 レイは全力で走ったまま、振り返らずに叫んだ。


「弁明する相手が居なくなっちゃあ、本末転倒でしょうが!」


 その言葉に、具体性の欠いたその言葉に。弟子であるヨハンは師の言葉の意味を理解した。してしまった。

 彼ら魔術協会は元々、とあるモノを探し、駆除(・・)する事を目的にエトッフにやって来ていた。それは存在を許してはならない人類にとっての禁忌。先の戦争における王国の負の遺産。帝国がゾンビパウダーを生み出してしまった様に、王国が生み出した人類を冒涜する魔術による汚物。その名を――




 

「魔蝿だと……!?」


 エトッフ郊外の森。その中でラルフはエルドレッドの言葉に天を仰ぐ。青々とした木々に遮られ、空の模様は見えなかった。


「えぇ、えぇえぇ。『人間と同等な思考精度を持ち、且つ人間以上の身体能力を有し、その練度を容易に伝播出来る非人間兵器』、そのコンセプトの元に改良を施された魔獣(・・)の一つ。それが魔蝿です。

「私もそれは知っている。テイマーフライ、魔獣に卵を植え付ける魔獣。卵は魔獣の体内で孵化し、そのまま幼体は魔獣の脊髄を目指す。脊髄に辿り着いた幼体は脊髄と一部同化、成体になるまで魔獣を操って自らを守る。……これを成体にならぬようにしたのが魔蝿だ」

「流石はミカエラ様。良くご存知で」

「見え透いた煽てで私を愚弄するか? こんなもの、ハキーム戦争を経験している者なら誰だって知っている。あんな最低な物、忘れる方がどうかしている」


 ミカエラの目には、ある日の地獄が映っていた。


 ――テイマーフライ。その生態の最も特異な点は、幼体時に一部同化した脊髄の持ち主の生態を成体が引き継ぐ点にあった。それは外見に現れない。群れを成す動物の脊髄に同化した成体は比較的他の魔蝿に比べて集団で動く傾向があり、その子らも集団行動の傾向が多少引き継がれたと言った具合だ。

 そこから、当時の王国の魔術師はテイマーフライについてこう考えた。

 

『この魔獣は同化先の相手の知識や文化、ともすると思考までを模倣、もしくは吸収している』

 

 テイマーフライ自体は然程強い魔獣ではない。だが、脊髄から支配された宿主は話が違う。テイマーフライにとって宿主は自らが成体になるまでの仮宿。酷使になんら躊躇いは無く、結果としてテイマーフライが成体になる頃には死ぬ代わりに、宿主の身体能力は爆発的に跳ね上がるのだ。

 もしこれが、宿主が人であったならどうなるか。人の思考を兼ね備えた、強靭な兵器になるのではないか。更には、テイマーフライから成長の機能を取り上げたらどうなるか。成体になるまでとの期限は無くなり、壊れるまで止まらない最高の消耗品になりはしないか。

 ――結果として、帝国のゾンビパウダーと同じく彼らは失敗した。それも帝国より更に質の悪い失敗だった。

 改良したテイマーフライ――魔蝿から、完全に成長の機能を奪い去る事が出来ていなかったのだ。極僅かとは言え、魔蝿には成体になる可能性が残っていた。それを王国は見逃していた。そして決まりきった成り行きとして、人から巣立った成体の魔蝿がこの世に生まれた。本来、テイマーフライは魔獣のみに卵を植え付ける。だが、魔蝿は人のみに卵を植え付ける様になっていた。瞬く間に魔蝿は増殖。ただの一週間で、ただの一匹の魔蝿は、五百余りの民に卵を植え付けた。

 それに気付いた王国は大慌てで全面駆除を開始するも時既に遅く。魔蝿の影が王国から消えるまでに、千二百の民が死んだ。

 ラルフやミカエラ、二人が忘れる筈が無い。全面駆除の作戦には王国の騎士が多数動員された。無論、その中にはラルフとミカエラもいた。

 涙ながらに殺される青年。子供は卵を宿していないと必死に訴えかける母。家族を守ろうと騎士に立ち向かう父。

 数多の確かな魔蝿の汚染者の陰で、多くの無実の民をも殺した。百か二百か。その数は分からない。だが、魔蝿の根絶までに殺された王国民の中には恐らく、魔蝿に侵されていない者も居た筈だった。だが、見逃す訳にはいかなかった。たった一匹から生じた悲劇である。悲劇に幕を引く為には、確かな根絶が必要だった。

 戦火に隠れた負の歴史。忘れられる筈が無い。



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