18 消えたエリス
その事実を最初に気付いたのは、同じ部屋で就寝していたラルフであった。隣のベッドが空っぽなのを目覚めた瞬間に気付き、彼の意識は頭から足先まで覚醒した。
二番目に知ったのはミカエラだった。ラルフに――本人にとっては不覚にも――叩き起こされ、些か慌てた様子のラルフから聞かされる事で知った。
二人は驚愕の底に叩き落とされていた。ラルフとミカエラ、二人は共に騎士団を背負う団長だが、同時に百戦錬磨の強者である。慢心では無く、純然たる事実として、敵地で無防備な瞬間など晒しはしない。それこそ、睡眠中であれ、周囲の気配や動きを難なく察知出来る。朝飯前の芸当、身に着けていて当然の嗜みである。ラルフとミカエラは、互いにそれを認め合っている。
だからこそ、驚いたのだ。二人の気配察知網を潜り抜けたのか。それとも、察知する側である二人に不備があったのか。どちらにせよ、エリスはこの部屋から消えていた。お気楽にも朝の散歩に出掛けているなら良い。だが、そうでないとしたら。
二人は手早く身支度を整え、朝食も取らずに部屋を出た。
――その事実に最初に気付くべきであり、しかし三番目に知ったヨハン・フルッペンは焦っていた。監視対象である二人の動きを見る事で、初めて監視対象の残りの一人を見逃していたのだと悟ったのだ。
昨晩、それとも暦の上では今晩か。彼の師であるレイ・アルトイェットの来訪により、監視魔術は一時的に効力を失っていた。他ならぬ師による、弟子へのちょっとした意地悪の為にである。彼女は帰る際に魔術式を元に戻したが、しかし、変化後から戻し終えるまでの時間は何一つ情報の残っていない空白になっていた。それに気付き、その空白をでっち上げる為に前後の時間帯から情報を抜き取り、改竄し、空白に埋め直した。凡百の魔術師であるヨハンには荷が勝つ仕事であった。だが、偽装に失敗すれば自らの失敗と師が持つ黒歴史が流出する可能性大だ。それらの恐怖を糧に、ヨハンは必死にやり遂げた。必死であるが故に、それ以外は疎かになっていた。
エトッフ唯一の宿に掛けられた監視魔術式の効果は、範囲内の物体の動きや音を拾い集め、記録するものである。ヨハンは魔術式が正常に戻った際、監視対象の三人が居る部屋に特に変化が無かった為に、異常無しと判断を下した。偽装作業という難関の前に、一分一秒を惜しんだ訳だが、それでも冷静に考えるべきであった。監視魔術式は飽くまで動きを捉える物である。既に起こり、動き終えている事や物は、何も映らず、反応しない。――あと少し、彼が時間を掛けて部屋の様子を確認していれば未来は変わっただろう。寝息一つ立てず、身動ぎ一つ取らずに寝る人間など居ないのだと、そんな当たり前の事をちゃんと思い出せていれば、彼の失敗は師の茶目気一つで済んだかもしれない。
もっとも、後の祭りだが。
彼は偽装に全力を尽くした。凡百の、平均的な、没個性な魔術師であるにも関わらず、身に迫る恐怖から逃げる為に常の何倍もの能力を発揮して。結果として、偽装は成功した。違和感なく、情報の空白は埋まった。
それにより、何が起こるか。
騎士の二人は不穏な空気に警戒を露わにする。自分達の不意を突き、エリスの失踪を齎した存在――この場において分かりやすく怪しい唯一の組織を、魔術協会を敵視する。何が何でもエリスの居場所を吐かせてやろうと、拳を握って宿を出た。
魔術協会は騎士達を危険視する。自分達の術式を掻い潜り、逃げ出した騎士も、残った百戦錬磨の二人も危険だと判断する。自分達の目的の為に、そして相手の目的の阻止の為に、自由を奪う為にここに残った二人を彼らは取り囲む。
つまりここに、エトッフを舞台に二つの組織は敵対構図を作り上げつつあった。
「……やっちゃった♪」
「殺しますよ、師匠」
草木の陰で、険呑な光景を眺め零す声が二つ。