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エリスが居る場所  作者: 改革開花
三章 泥の底で光るモノ
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17 悍ましい鏡

 黒しかない夜の森の中を、エリスは月明かりだけを頼りに歩いていた。木の根は大地と一体化して足を掬い、枝葉は月の明かりが地面に降り注ぐのを邪魔している。時折、何処からか聞こえる動物の声や、風の音が妙に恐怖を煽った。それでも、足を止める訳には行かない――。

 



 きっかけは偶然だった。

 同室にラルフとミカエラが居る緊張からか。それともつい先程、夕食後の「デザート」を食していた折に、魔術協会の怪しげな動きを知ってしまったからか。漠然とした胸に圧し掛かる不快感があって、エリスは中々寝付けずにいた。そこでふと、夜風にでも当たろうと廊下に出た時に見えてしまったのだ。

 ――自分と同じ位の背格好の人間が、森の中に消えていくのを。

 その身に纏っていたのが目も痛くなるほどの白色だったからか。エリスは視界の端で確かに、恐らくは子供であろう人間の姿に気付いた。

 村はとうに寝静まっている。誰も出掛けやしないし、ましてやわざわざ森に行く者も居ない。子供特有の冒険心か、はたまた何らかの事情があるのか。どちらにせよ、危険である事に間違いは無い。

 最初、エリスはラルフやミカエラを起こすべきかと考えた。考えて、それは止めた。

 何分、子供を連れ戻しに行くだけの話である。死地に赴く訳でも無し、わざわざ既に寝付いた二人を起こすのは憚られた――というのは飽くまで建前である。本当の理由としては、虚栄心から根付いた、「自分もこれ位は出来るんだぞ」という安っぽい意地(・・)であった。無論、魔術協会の目がある事は重々承知である。しかし、そこは己が身分を通せば、十二分に行動の正当性は主張出来る筈だ――こうして、見栄え()良い言い訳を手に入れた事で、エリスは子供の後を追った。




 森に入ってどれくらい経過しただろうか。そこそこの距離は歩いた筈だが、森に消えた子供には出会っていない。それどころか、エリス自身、自分が今何処にいるかあやふやになりつつある。一応、護身用に持って来た自己満足で森の木に傷を付けながら歩いているものの、それにしたって気休め程度だ。まだ傷付きの木は見ていないので同じ所をぐるぐる回ってはいない筈だが、その自信も若干薄らぎつつあった。

 ただでさえ、森は方向感覚を著しく狂わせる。同じような景色の連続、安定しない足場、直進出来ない道のり。それらの要素が合わさり、人は方向感覚を失ってしまうのだ。それに加え、今は夜である。視界は最悪、雑に見渡しただけでは、ただ一面にのっぺりとした黒色があるだけだ。記憶に残る目印も、自分が歩いた軌跡すら分からない。エリスの行っている、木に傷を付け目印とする事で同じ場所を迷い歩く事を防ぐ小賢しさにしても、夜の視界では単純に見落とす可能性がある。自らの策を妄信して、現実にはその策を自ら踏み倒しているとなれば、見るに堪えない滑稽な絵面の完成だ。それだけは避けようと、エリスは木の一つ一つを注意深く見ながら歩くが、一度も傷付きの木は現れない。

 こうなって来ると、寧ろ傷付きの木を見つけたくなるのは何故か。失敗を回避しようと躍起になっていると、いつまで経ってもやって来ない失敗に無性に恐ろしさを感じてしまう事が人の世には多々ある。上手く行っている時ほど事故が怖い様に、エリスは傷付きの木が現れないという順調な道のりの中にいるからこそ、いっその事明確な失敗に辿り着いてから、それと逆方向に進む事で保証された成功の道のりに戻りたいと考えるようになっていた。

 そうして、何時しか子供を連れ戻す事よりも傷付きの木を見つける事に意識が傾き始めた頃。エリスは、探していたものが二つ同時に見つかった。森に無数にある、本来なら没個性な木。その幹には横一文字に傷が付けられており、そのすぐ下には、エリスが連れ戻しに来た子供が居た。

 月の色よりも尚白い純白に全身を包んだ子供。顔はフードで隠れている。夜という事もあり、中は殆ど見えない。ただ、影と純白の隙間から、こちらを無機質に見つめて来る双眸だけははっきりと見えていた。――その目に何故か、エリスの心が酷く揺さぶられる。何か悍ましいものを見たような、気持ち悪いものに触れてしまったような。そんな気分に変化する。してしまう。

 助けに来た筈だった。連れ戻しに来た筈だった。だが、しかし。エリスは子供へと一歩たりとも近付けなかった。その目に映る子供は、既に不気味なモノに成り果てていたから。――無意識に身構えるエリスを余所に独り、定型文を読み上げるような言い振りで純白の子供は言葉を発した。


「予定時刻になりました。これより、実験を開始します」


 抑揚の無い、冷たい声。どこまでも感情の色が無く、熱が無い。空気が震えただけ、結果として言葉になっただけ。そんな声だった。そして――彼は言葉に続き、何の躊躇いも抵抗も無く、エリスの方へと一歩踏み出した。地面から足が一瞬離れ、ほんの僅かの浮遊と共に加速を得る。瞬きの間に、純白とエリスの間にあった空間は失われていた。熟練を思わせる足運び。なのに、エリスにはただただ気持ち悪いとしか感じられなかった。

 そして、純白の子供の左腕が伸びる。勿論、握手を求めてや抱擁を求めてでは無い。現にその手は親指だけを伸ばした歪な形で、突き進む先にはエリスの右目がある。分かりやすい程までの目潰し。その目潰しを見て初めて、エリスは目の前の子供が自分に敵対し、自らに害を為そうとしているのだと遅まきながらに理解した。――同時に、エリスの身体が途端に躍動する。自動反応。エリスが苦悩する自らの性質が、この場においても働いた。

 眼前に迫る一指。指は完全に伸び切っておらず、他の四本の指によって不用意に折られる可能性を防いでいる。それに対し、エリスの身体は相手の手首を弾く事で根元から軌道を変えた。更に、弾いた衝撃を後退する為の反動に利用する。互いの間に距離が空く――否、空かない。純白の子供は弾かれた腕を引き戻し、その勢いを利用して逆の腕を踏み込みながら繰り出した。遥か彼方を穿つような、鋭い右拳。エリスが空けた距離は、対応に余裕が生じる自由の利く距離から、拳を振り切るのに最適な間合いへと変化してしまった。右拳が迫る。これもまた、背格好から推察される年からは考えられない、驚異的な代物。それを難なく(・・・)弾く自らの身体を傍観しながら、エリスは目の前の子供について思考を巡らせていた。


 実に、エリスと純白の子供の攻防は噛み合っている。予め示し合わせでもしていたのかと疑う程、二人は流れるように戦闘を続けている。拳が蹴りが頭突きが体当たりが関節技が。流れるように繰り出され、それらを一瞬の間すらなく逃れる連続。理解し難いのは双方だが、それでもどちらかを選ぶならば、子供の方が理解し難く、怪しい。そして同時に、エリスには子供の姿が見覚えのあるものに感じた。

 無機質に、無感情に。最短を最速を選ぶ、最適を追求した型。ミカエラの言葉が甦る。


『やはり、貴方の技はどうもチグハグだな』

『一つ前の防御と、次の回避が同一人物の物とは思えん。確かに、大した技だ。肉体を十全に扱いこなすその技、王国でも上位に入る物だろう。だが、技の色が違うのはどう言った事だろうな? 到底、一人の人間が研鑽の果てに積み上げた技とは見えん』


 なるほど。言い得て妙である。チグハグ、一人の果てでは無い。その通りだった。こうして真に客観し傍観していると、その歪さに――醜悪さに吐き気を催す。名画の数々を切り裂き、その紙片を一緒くたに集めてゴミの山にしたような。そんな、余りにも汚らわしい冒涜的な存在だ。

 目の前の子供、その存在が繰り出す技の在り方は、エリスの自動反応と全く同じだった。攻防の差はある。攻めと受けの違いはある。だがその在り方は、まるで鏡写しのように同じだった。


 これで何度目か。百は優に超えたであろう、純白の子供からの攻撃をいなす。エリスの身体に傷は無い。勿論、自動反応が防御のみで働いている以上、子供にも怪我は無い。互いに損傷が無く、攻防が噛み合っている現状。この戦闘の終わりは全く見えなかった。

 ――故に、油断していた。

 自分に肉体の支配権が無く、足掻きようが無い事も拍車を掛けていたのだろう。もっとも、それらはただの言い訳だ。事実として、エリスは油断していた。


「……必要量の情報に到達。実験の目的達成。実験を終了します。『お疲れさまでした』」


 その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。




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