11 腹の探り合い
エルドレッドの先導の下、一同はエトッフへと入っていく。エトッフは中央に井戸を構えた小さめな広場があって、そこをぐるりと囲み広がる様に家屋が建てられている構造だ。家屋の種類も中側と外側で分かれており、中央には店の類が、外周には民家が立ち並んでいる。交流の場や水場としてだけでは無く、流通面においても広場はこの村の中心点として機能しているらしい。
広場には幾つかの、即席感満載の簡易テントが乱立していた。村の情景に全く馴染めておらず、明らかに異分子として浮いている。見た目は安い布切れを三角錐や長方形の形に整えただけの物で、外観を気にしている様子はない。もっとも、入り口だけは二重のカーテンで仕切られていて中の様子を伺う事は出来ないようになっている。決して中を見られないよう、そこだけは神経質になっている様だ。きっと、テントの中にはエルドレッドの言う「機密」とやらがあるのだろう。
「おい、エリス。あんまり不用意に覗き込むな。どんな難癖付けられるか分かったもんじゃねえぞ」
ラルフはエリスの近くまで歩幅を調節してやって来ると、小さな声で耳打ちした。まさか、と思う反面、エリスの数歩先を歩くエルドレッドの背中を見ると、その考えを口に出して笑い飛ばせない。何となくだが、あの男には機密を知った代償に内蔵の一つでも要求してきそうな雰囲気がある。無論、無い事だとは思っているが、それ程までにエルドレッドが周囲に放つ圧力は酷く重かった。
助言通り、エリスはテントから大きく視線を外す。そして、視線を前に戻すのと、エルドレッドが足を止めたのは同時だった。そこにあったのは木造二階建ての、何の変哲も無い建物だ。気持ち大き目の入り口の所に、宿屋とだけ書かれた木の板を金属の鎖でぶら下げている。
「ここがエトッフ唯一の宿屋です。全部屋を魔術協会で貸し切っている状態ですが、一部屋使っていない部屋が余っています。そこを貴方達に譲りましょう」
エルドレッドの提案に、エリスが身構え、ミカエラが一瞬眉間に皺を寄せ、ラルフが小さく鼻を鳴らす。
エルドレッドの提案は一見善意の施しに見えるが、その実、彼が為そうとしているのは監視体制の構築だ。完全貸し切りの宿屋。つまり、この宿は一足踏み入れば、宿屋側の人間以外は全員魔術協会の人間だ。一室だけ部屋が空いているとは運が良い様に聞こえるが、その周囲は全部魔術協会の部屋。部屋の出入り、室内での会話――宿屋の人間も取り込んでいるなら、部屋の中も留守中に物色されるかもしれない。それは余りに悪条件だ。エリス達の目的は今、魔術協会がエトッフに来た目的を先じて達成、もしくは喪失させる事、つまりは「抜け駆け」にある。魔術協会側から見れば、これは明らかな妨害行動だ。故に、それを匂わせる何かがあった時点で、エリス達の行動が著しく制限されても可笑しくない。
エリス達は魔術協会に、目的も行動も知られてはならないのだ。
「……なるほどな。よし、そうするとするか。エルドレッド、ありがたくその部屋借りるぜ」
だと言うのに、否、寧ろ。ラルフはエルドレッドの施しを受けた。その顔には不敵な笑みが浮かんでおり、数瞬、エルドレッドと視線が交錯する。二人の間にエリスは赤く、静かに燃える炎の海を幻視した。先に視線を外したのはエルドレッドだった。もっとも、それは恐れを成したとか逃げたとかでは無かった。エルドレッドは目の前の扉を開け、中に入る。数分も経たぬ内に、エルドレッドが出て来た。手には銀色の小さな鍵がある。
「こちらが部屋の鍵です。二階に上って右側の突き当りの部屋になります」
言いながら、エルドレッドは鍵を持った手を伸ばす。応じて、ラルフも手の平を上にして伸ばした。決して互いに肌が触れない距離を維持して、エルドレッドの手から鍵が落ちる。秒にも満たない時間を落下した後に、鍵はラルフの手に収まった。
「さぁ、さぁさぁ。どうぞ、部屋へ。荷物を置いて来る必要があるでしょう。お話の時間があっても良いでしょう。準備が出来ましたら、私に声をお掛けください。私はこの広場に居ますのでね」
エルドレッドはエリス達に背を向け、広場の中心へと歩いて行く。その背中から、エリスはしばらく目が離せなかった。
部屋に入るとそこには魔術協会の機密が所狭しと並べられており、後ろを振り返れば下卑た笑みを浮かべるエルドレッドが居た――という事は無かった。部屋の中は至って有り触れた家具の類しか無く、そのどれもが元からこの部屋に置かれていた物だろうと推察出来る。根拠は無いが、家具の一つ一つが馴染んでいる気がする。
部屋をぐるりと見渡すエリスを置いて、ラルフとミカエラは一直線に外の光を取り入れている窓の方へ向かうと、勢い良く全てのカーテンを閉め切る。外部からの視線を完全に遮ると、二人は部屋中を物色して怪しい物が無いかを探し始めた。エリスも微力ながら、思い付く限りの怪しい場所を確かめる。ベッドの裏や戸棚の後ろは、埃が溜まっているだけで鼻がむずむずした。隣室と繋がる壁からは、お隣の空虚な沈黙しか聞こえない。およそ十分程か。手早く、されど慎重になされた点検の結果、エリス達はこの部屋に何も仕掛けれられていないと結論を出した。もしかしたらの可能性がある為、完全な安心とは残念ながらならないが、多少の警戒の緩みくらいは許容出来る環境が保証される。
「さて、どうする?」
ミカエラが自分の荷物を整理しながら、ラルフに問い掛けた。ラルフは自分の荷物から取り出した、小さな斜め掛けの背嚢に荷物を詰め込みながら答える。
「あいつらの状態を把握する為、そして油断させる為にも、まず理由通りの行動をする。……まずは俺の目的から行くか。次にミカエラ。エリスは最後だ」
「団長時で大まかに、ミカエラさんの時で全体を、僕の時で気になる細部を……って事ですか」
「その通り。なんだ、エリス分かってるじゃねえか」
エリスが最後になった理由は、大きく分けて二つ。一つはラルフやミカエラ程立場が高く無い事。ラルフやミカエラの同行者を無碍にするとは今までの言動から考え辛いが、しかし二人以上に優先する事はまず有り得ない。エリスの理由はまさしく苦肉の策。正当性が無い上に、その効果も低いとなれば期待は自ずと下がる。
そして二つ目の理由。それはエリスだけ、先の会話でエトッフに来た理由を話していない事だ。これはつまり、その時で一番都合の良い動機を偽造出来る事を意味する。一つ目の理由と矛盾するようだが、エリス――と言うよりは、エリスが持っている一回だけの「嘘の権利」に期待されているのはそこになる。
エリス達がエトッフに滞在を許されているのは、偏に各人にここに来た理由がある――という体裁になっているからだ。故に、三人が持つ動機はそのまま、エリス達の滞在権利と直結する。動機が解消したと見られれば勿論、エリス達はエトッフに居座れない。また、動機に関係無い場所へ向かうのは、エトッフ中に張り巡らされている魔術協会の目が許さないだろう。
故に、エリスが動機を話していないのはこちらの大きなアドバンテージになり得る。最後の最後、一番重要な場所に向かう事が出来るかもしれないからだ。
三つの権利を巧みに利用し、相手に怪しまれないようにしつつ裏をかく。
不確定な所は十分にあるが、そもそも先手を取られた時点で騎士団側の不利は揺るがないのだ。ここは不確定な要素を呑み込んだ上で、魔術協会の裏をかかなくてはならない場面だ。
「さーてと。まずは、あのくそ野郎に部屋の感想でも伝えに行きますかね」
ラルフが立ち上がる。それに続いて、エリスも立ち上がった。
条件は確かに悪い。いつも通りの、無理難題だ。――ある意味で、王都防衛騎士団らしいかもしれない。