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エリスが居る場所  作者: 改革開花
三章 泥の底で光るモノ
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10 エトッフ

 準備は早々に、エリス達を乗せた馬車はエトッフへと向かっていた。

 エトッフはヴァレニウス家の屋敷からそれ程遠くない。馬車で行けば精々一時間と少し程度の距離だ。ヴァレニウス印の馬車の乗り心地も相まって、然したる疲労や不快感も無く目的地に着けそうである。

 ――王都に帰る際に、いつもの馬車に乗るのが少しだけ嫌になる。


「いやー、アウレニアが付いて来なくて良かったぜ。ここに居たら絶対、今もうるせえだろうからな」

「私が離れる以上、アウレニアに実務の代理をして貰わなくてはならんからな。……目覚めて早々、またも仕事を押し付ける様で心苦しいが」


 馬車の客席にはエリスとラルフ、そして同行人としてミカエラが居る。御者はヴァレニウス家の使用人に任せている形だ。

 

「まぁ、いいんじゃねえか? お前が起きてからのアイツは大分元気になったし。怒られるのはどうせ俺だよ」

「そうだな」


 ラルフとミカエラは完全にリラックスムード全開で、窓の外を見て考え事をしているエリスは二人の空気から外れていた。それを察したのか、ラルフとミカエラは歓談を一時止め、エリスの方へ視線を向ける。


「気分でも悪いのか?」


 ミカエラは心配そうな声でエリスを覗き見るが、それは的外れだ。普段使っている騎士団の馬車の乗り心地を十とするなら、この馬車の乗り心地は百を飛ばして千に値する。何せ、椅子があるのだ、揺れが無いのだ。板に直接座り、地面からの振動を直に受けるあの荷台を思えば、ここは天国と相違あるまい。

 故に、エリスが黙り込んでいたのは外因的要素では無い。内面、それも過去に思考の先を向けていたからだ。丁度良いと、エリスは思考の原因であるラルフに訊ねる事にした。


「団長。質問良いですか?」

「あん?」

「団長がヴァレニウス邸に来たのは、『公私入り乱れた所用』と言っていました。『公』は伝統派からの依頼として、『私』って何ですか? ……答え辛いようでしたら、答えて貰わなくても良いですけど」


 最後に、早口気味に付け加える。

 エリスが悶々と悩んでいたのは、ラルフの言う私事とやらが踏み込んで良い物かどうかの判断が付かなかったからだ。知られたくない事を無理に詰問する様な真似は避けたい。だが、気になる物は気になる。そんな思考に捕われていた。

 そんな苦悩は気の回し過ぎだと、ラルフは笑って言外に示した。


「いや、大した事じゃない。昔、ハキーム大戦時の俺の部下の一人がエトッフ生まれでな。いつか来てくれって言われてたが、ずっと行きそびれてたんだよ。それだけだ」


 そう言って、ラルフは先程までのエリスと同じ様に、窓の外へと視線をやった。その横顔はいつものラルフに間違い無くて――ただ、どこか陰りがある様にエリスには見えた。




 馬車が止まる。

 程無くして、御者台の方からエトッフに着いたとの言葉が聞こえた。エリス達は客室から出て、そこまで感慨深くも無い大地の感触を靴越しに感じた。

 そして、気付く。

 エリス達が乗って来た馬車、それ以外にも十を越える馬車が停められている事を。エリス達が降りた先は、馬の嘶きでちょっとした騒音空間になっていた。


「この村の馬車ですかね?」


 言いながらも、エリスはその可能性を頭の隅で否定していた。

 エトッフは山間に位置するちっぽけな村だ。これだけの台数の馬車を保有するのは不自然過ぎる。極めつけは、ここに居る馬が全て、手近な木の幹に縄を括りつけての簡易な駐留状態になっている事だ。それが示す事実は一つ。この村には厩舎が無い。馬を休ませる施設が無いのだ。

 厩舎が無いのは、村人が馬を使わないから。しかし事実として、ここは馬で溢れ返っている。


「話が違うが?」

「俺だって驚いてるよ、クソッたれ。既に現地入りしてんじゃねえか」


 考えられる理由はただ一つ。村の外から、馬車を用いた集団がやって来たから。それもこの場合、集団の特定は容易だ。魔術協会――馬車の持ち主は件の組織と見て恐らく間違い無い。


「で、どうする?」


 ミカエラが短く、ラルフに問い掛ける。

 元々の予定では、エリス達は魔術協会より先にエトッフに着き、彼らが来るより先にエトッフにある問題とやらを解決し、彼らが来る理由を喪失させる筈だった。それが現状、完全にひっくり返っている。先手が後手になってしまった。予定の変更が求められている。

 直接、騎士団と魔術協会とぶつかるのが不味いのはエリスでも分かる。魔術協会に権力の圧力を掛けて止められるなら、伝統派の官僚はこんな迂遠な手は使わない筈だ。向こうも向こうで官僚クラスの支援がある事を考えると、権利問題は殆ど同等、否、先行している分向こうの方が有利と見るべきか。最悪、騎士団側に汚い部分を押し付け、伝統派官僚は知らぬ存ぜぬを貫くかもしれない。いつも通りと言えばいつも通りだが、だからと言って見す見す泥沼の中に突っ込む気は、この場に居る誰も持ち合わせていなかった。


「ミカエラ。ヴァレニウス家はここら辺で土地を持って無いか。池でも畑でも山でも荒れ地でも。何でも良い」

「……山を一つ持っているが。それが?」

「予定変更だ。俺達は騎士団としてじゃなく、一個人の集団としてここに来た事にする。『公』じゃなくて、百パーセントの『私』だ。俺は部下の故郷を見に来た。ミカエラはヴァレニウス家当主としての山の視察。エリスは……あー、服を買いに来たで」


 エリスの理由が偉くぞんざいなのに目を瞑ったとしても、正直、屁理屈の域は抜け出ない。それでも、有ると無しとでは違うのだと、エリス達はすぐに実感する事になる。


「おや、おやおやぁ? こんな所に騎士団長が二人も来られるとは。何か御用で?」


 馬車の集合地帯から離れ、すぐの出会いだった。

 人の形をしているのに、何故か人とは思えない奇妙な感覚を抱かせる男だった。

 精巧な人形を見た時や、実の景色と見紛う風景画を見た時――もしくは血などの痕跡を丁寧に拭われた、死んで間も無い死体を見た時も当て嵌まるかもしれない。限り無く本物に近いのに、認識できない所で差異を感じ取ってしまった時の感覚。それが目の前の男を見て、エリスが一番最初に感じた物だった。


「あ? 昔の部下に会いに来たんだよ」

「私は保有している山の視察だ」


 ラルフとミカエラが、つい先程考えたばかりの言い訳を堂々と言い放つ。余りに堂々としているからか、エリスですら、本当にそれらが目的で来たのかと思ってしまいそうになる。ついでに、エリスは自分の言い訳を言いそびれた。もっとも、先の二人の言い訳だけで、目の前の男は一応の納得をしたようだが。

 

「こっちも聞きたいね。魔術協会会長、ルーカス・エルドレッド。お前がここに居る理由ってやつを」

 

 ラルフの言葉に、エリスは思わず目の前の男を見た。気持ち悪い違和感の塊みたいな男。彼が、魔術協会のトップだと言うのか。当のエルドレッドは、ラルフの言葉を軽く受け流して、懇切丁寧に、されど肝心な所をぼかして理由を語る。


「いや、いやいや。なに、大した事ではありませんよ。『出張』から帰って来たら『仕事』があって、その仕事が少しばかり骨が折れそうだったので私自ら乗り出したってだけです。ね? 単純な話でしょう?」

「ハッ、トップ自らご苦労なこった」


 ラルフはエルドレッドの顔から視線を逸らして、大袈裟に肩を竦める――トップ自らと言うなら、他ならぬラルフとミカエラも当て嵌まってしまうのだが、エリスは賢明にも沈黙を選んだ。ラルフの行動に、特に気を悪くしたようには見えないエルドレッド。彼はふと、視界の端で飛んでいた羽虫を追うみたいな目の動きで、エリスを視界に入れた。

 数瞬、視線が交錯する。エルドレッドの目は何を見ているのか分かり辛い、黒色に黒色を上塗りした様な目だった。見ているだけでこっちも焦点を失いそうになる、中身があるがらんどうな眼球。ずっと見ていると、物を物と認識出来なくなりそうだ。


 不意に、エルドレッドが視線を外した。いや、ラルフ達の方へ戻したと言うべきか。エリスの方を見た時と同じく、羽虫でも追うかの様な目の動きで視線が戻る。エリスはエルドレッドの視線の動きだけで嫌悪感に身震いし、同時に、彼の視界から逃れられた事に安堵した。――エリスの短い記憶の中で、会話も接触も無く、これ程までに精神的圧迫を覚えたのは初めてだった。


「さて、さてさて。どうしましょうか。私達、魔術協会は現在依頼を行っている最中。ここは限定封鎖中ですし、帰って貰えるならば最上なのですが――」

「忙しい間を縫って来たんだ。そんな簡単に帰れるか」

「遺憾ながら、右に同じだ」

「ですよね。かと言って、貴方達に無闇に動かれるとこちらとしても困りますし。……そうだ、そうだそうだ! 私が貴方達に同行する、というのはどうでしょう?」


 天啓でも得たかの様な言い振りだった。エルドレッドは唇の両端をぐいっと吊り上げ、目を糸と間違える程に細める。笑っているのだと、エリスが気付くまでに時間が掛かったのは、彼の笑みが余りにも歪んでいたからだろう。笑顔の要素を全て押さえているのに、笑顔が笑顔として機能していない。――あれではまるで、苦悶の表情だ。

 一方、エリスの感想に合わせたみたいに、これぞ本物の苦悶だとラルフの表情が歪む。眉は八の字になり、唇は片側だけが上がって震えていた。もはや言外の同行拒否なのだが、エルドレッドは意に介していない。笑顔らしい何かを浮かべたままだ。


「あー、えー。ルーカス・エルドレッドが、俺達に着いてくると?」

「道案内の様なものですよ。こちらだって機密であったり、機器を置いていたりするのでね。妙な責任問題に発展する事を考えれば、最上の案ではありませんか?」


 しばし、沈黙が互いの間に満ちる。

 十分に悩みに悩んだ末、ラルフは不満アリアリの声で呟くように言った。


「じゃ、頼むわ」

「えぇ、えぇえぇ。任されましょう」


 誰かの溜息が漏れた。

 それはエリスの物かもしれないし、ラルフの物かもしれないし、ミカエラの物かもしれない。もしかしたら、彼らの背後で嘶いていた馬の物だったかもしれない。ただ、エルドレッドの物ではなさそうだった。



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