6 訓練は鉄の味
空に剣が舞う。
地に降った剣は、大地に突き刺さる事無く地面に弾かれた。踏み固められた地面を貫くには、木製の剣では力不足だったようだ。
「立ちなさい、エリス」
剣と同じく地面に伏すエリスを見下ろして立ち上がる様促すのは、肩を支えに剣を持つミーナだ。エリスは手を伸ばして剣を握り、それを杖代わりにして立ち上がった。
「まだやれる?」
「やれます」
ミーナはゆっくりと剣を肩から下ろし、切っ先をエリスの方に向ける。エリスはそれを見据えて剣を構える。足をじりじりと動かし、踏み込むタイミングを窺う。ミーナの構えに隙は無い――否、ミーナに隙が無いと言うべきだろう。エリスは隙を見出す事を諦め、自分がどれだけ完全な形で踏み込めるかに全力を傾ける。徐々に体重を前傾させ、前足と後ろ足に最適な分配を見つける。エリスは思い切って大地を蹴った。
「はぁあああっ!」
剣先を天に、刀身を斜に構え、突も斬も行える形を崩さない。寸前まで選択を保留にし、攻撃の可能性を幅広く確保する。だが――それも攻撃を完遂出来る事が前提の上での物だ。突如、意識の外とすら言える速度で迫り、懐に潜り込んで来た第二の剣が現れては全てが瓦解する。
「甘い!」
エリスの斜め前に身体を旋回し、ミーナは勢いままに腕と剣で出来た歪な輪に剣先を差し込んだ。そして内側から両手首を打ち、エリスの顎を跳ね上げる。三つの打突音がほぼ同時に鳴る、卓越した技がそこにあった。
「ぐあっ」
剣はまたも地面を滑るように吹き飛び、エリスもまた地面に吹き飛び倒れ伏す。衝撃に舌を軽く噛んだのか口腔内に鉄の味が広がる。エリスは地面に血を吐き付けて、ミーナの方を見上げた。
「まだ、やる?」
「――はい、お願いします」
早くも慣れ親しみを感じつつある木剣を握りしめ、エリスは何度目かの攻撃を仕掛けんと飛び掛かった。
――空に剣が舞う。
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「訓練ですか?」
閑散としている食堂で長机の端っこに一人座り、少し遅れ気味の昼食を取っていたエリスは目を剥いて目の前の相手に聞き返した。
「そ、訓練。まあ、実際の所はあんたとの一対一の特訓だけど。見習いとは言え騎士なんだし、訓練は必要だから」
「僕はてっきり雑用係だと、精々が兵站だと思っていたんですけど」
どこか自嘲気味に愚痴るエリス。それに目を合わせず、机の端を見やってミーナは言葉を継ぎ足す。
「まあ、その側面がある事は否定しないけどね――これからは隔日で訓練を行うから。訓練がある日は昼まではいつも通りの雑務。それから訓練って流れになるからね」
「分かりました。……それで今日がその一日目だと?」
「ええ、食後速やかに第三練武場まで来なさい。手ぶらで良いから」
「分かりました」
くるりとその場で旋回し、ミーナは髪をなびかせて食堂を後にする。残ったのはエリスだけだ。エリスは目の前の食事を片付けるべく、気持ち急いで腹に流し込んだ。
エリスが胃袋の中身をぶちまける事になるのは、それから一時間も経たずの事である。
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「ぐっ……!」
降りかかる一撃一撃。エリスは歯をぎちぎちと鳴らしながら食いしばって、どこかへと飛んで行きそうになる木剣を抑え込む。木剣は両手の中で暴れ、手の皮を摩擦で奪い去っていく。血が滲み、骨が軋む。そんな些細な事を意図的に無視して、エリスは目も眩む斬撃を必死に見据えた。
一閃、一閃は単純にして多様だ。その在り様はエリスへの攻撃として以外の色を省いておきながら、様々な過程を経てやって来る。
円の様に、線の様に。
正面から斜めから、死角から。
一瞬たりとも油断ならぬ剣戟の雨。エリスは味わった事の無い緊張感に晒されながら、どこか離れた所で感じている高揚感に身を任せる。
「――」
木剣を振るうはミーナだ。一方的に、圧倒的に。エリスへ縦横無尽の攻撃を繰り出し、その攻勢を緩めない。
「あっ」
絶え間無く続く攻撃、それが瞬き程の刹那に止んだ。
それは意図された静寂であった。
それは甘い罠だった。
長く続いた酷使にエリスの身体は無意識に反応し、甘く鈍く痺れる身体は瞬間の弛緩に陥ってしまう。遅れてエリスは静寂の意図に気付き、急いで身体を緊張状態に戻そうとするが、時既に遅し。
「ぐあっ!」
敵前で油断をした愚か者は、当然として相応の仕打ちを受ける。眼前に迫り来る木剣を防ぐ事は叶わず、エリスは衝撃のままに吹き飛んだ。
「ほら、立って」
地面に仰向けに倒れるエリスに、ミーナが手を差し伸べる。エリスは言われるままにミーナの手を掴んだ。
「――」
「どうしました?」
「……いえ、何でも無い」
エリスの手を掴んだミーナの動きが止まった。ミーナは数度エリスの手を握り直す様に動かし、少しばかり考えた末に腕を引いた。
「――今日はここまで。後片付けは私がやっておくから、エリスは服を着替えて食堂に行きなさい。そろそろ夕食の準備だから」
エリスの身体を引き起こした後、いつの間にかエリスの手から離れていた木剣を拾い上げながらミーナは言う。エリスは苦々しい表情を浮かべながら、渋々と言った感じで頷いた。
「……分かり、ました」
疲労か、それとも落胆か。エリスは肩を落として練武場を後にした。残ったのはミーナと――
「お疲れさん」
「覗き見なんて、趣味悪」
「見守っていたと言ってくれ。それに最後の方しか見てねえよ」
物陰から訓練の様子を見ていたラルフだけだ。
「で、どうだった」
ラルフが顎でエリスの去った方をしゃくりながら、ミーナに訊ねる。ミーナはその言葉に少しばかり考え込む素振りを見せ、それから自分でも確かめるようにゆっくりと口を開いた。
「正直、限りなく真っ黒な灰色って所だと思う」
「ほう」
「ずぶの素人が数時間で一丁前に防御術をこなす。怪しい。の癖に、攻撃はてんで駄目。怪しい。工作員なら悪目立ちだし、素人なら看過するに過ぎた防御の腕。怪しい。手の皮が厚く、形も変わっている。あれは日常的に武器を握っている人間の手。怪しい。総括して、全部怪しい」
「ははは、真っ黒じゃねえか」
「そう、真っ黒。でも……」
そこでミーナが口を閉じる。少しの間を空け、自信無さげに小さく呟いた。
「でも、不思議と危ないと思わなかったけど。ねえ、団長。これって可笑しいかな?」
「いんや、そうでもないだろ。お前の勘は良く当たるし、それに――」
「それに?」
ラルフは空を見上げた。その顔は、いつかエリスに向けた物と同じだ。自分に恥じない、誇りを抱いた顔。
「信じろって言った手前、俺達も信じなきゃ話にならんだろ」