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エリスが居る場所  作者: 改革開花
三章 泥の底で光るモノ
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4 講義の始まりは突然に


「昨晩は失礼致しました。ミカエラ様はどうも、あの男の前ですと落ち着きが無くなると言いますか……。昔からああ(・・)なのです」

「昔からって言うと?」

「私がミカエラ様に出会った頃……六年前から既にラルフ様とはぶつかり合う仲でした」


 当時の記憶と昨晩の惨事――アウレニアからすれば、現在進行形の問題だろうか――を思い出してか、深々と溜息を吐いて己が主の醜態に頭を痛ませている。

 しかし、彼女の手元に淀みは見えず、次々と洗い物を終えては水切り台に立て掛けていく。感情にも会話にも関係無く動く作業の手、そこは流石と言わざるを得ない。エリスも負けじと、目の前の汚れた食器に挑む。


「それで、鍛錬場の方は……?」


 話の流れで、エリスは昨日の光景を思い出す。壁二枚の大損壊。直すには一苦労も、二苦労もしそうな物だが。

 当事者の責任として、修復が手伝えるなら手伝う算段だった。


「当事者であるお二方(ラルフとミカエラ)と、今朝早くに来て貰った大工の方々に直して貰っています。とりあえず、今日中には終わるとの事です」


 アウレニアは当たり前の様に言うが、壁二枚に空いた大穴を直すのが一日以内に終わるとは到底信じられなかった。エリスは一度、炊事場の水周りの壁が腐って来ているとの事で、そこを直した経験がある。その時は範囲も狭く、壁も薄板を張り替えるだけで済んだので一日で終わった。

 だが、昨日空いた大穴は話が違う。壁が広範囲に渡って壊れている上、表面では無く、外側まで突き抜けて穴が空いているのだ。ああなっては中に通していた基礎や、もしくはそれよりも厄介な所から手を加えなくてはならないだろう。

 エリスが詳しく無いとは言え、アウレニアが言う程簡単に終わるとは思えなかった。――主人を修復の作業に参加させている事については、自業自得だと思うので無視する。


「えらく、早いですね」

「あの二人が居ますから」


 それだけしか返事は無かった。だが、何となくだが、エリスにはアウレニアの言葉の意味が分かる気がした。確かに、あの規格外が二人いれば、作業の速度も上がる気がする。

 会話の終わりを見計らったかの様に、丁度最後の一枚が洗い終える。エリスは手拭きをアウレニアに渡しながら、率直に聞いた。


「壁の修復、何か手伝える事はありますか?」

「大工とあの二人で十分です。それに、あれは罰も兼ねております。極力、放置して下さると幸いです」


 アウレニアがにやりと笑う。

 それはもう良い笑顔だったのだが、とても主人と客人に向ける笑顔とは、エリスには思えなかった。



 

 

「それで遠くからカンカン音がするんだ」


 セシリアに事の顛末を一通り話すと、セシリアは今朝からの謎の音がやっと腑に落ちたとすっきりした表情を浮かべた。

 ――ヴァレニウス邸に来てからのエリスの一日のスケジュールは、朝夜にミカエラとの鍛錬、日中にセシリアの下で魔術について勉強が基本だった。だが、今朝は鍛錬の予定が潰れた為、エリスはこうしてセシリアの下に来ていた。

 それで何をしているかと言えば、特に何もしていない。魔術の勉強は一旦後回しにし、セシリアの話し相手をしている。セシリアは魔力こそ激減し安静が必須とされているが、本人からすると然して体調は普段と変わらないらしい。その為、セシリアは暇を持て余している。

 セシリアによる魔術講義は、エリスにしてみれば有り難いが、彼女にしてみれば益が無い。既に知っている、知り尽くしている事をずぶの素人に教えるなど正直、時間の無駄だ。それでもセシリアが教えているのは偏に善意であり、教えを乞うているエリスも誠意を以て臨むべきだ。彼女の講義代としては安過ぎるだろうが、それでも足しになるのなら是非も無い。暇つぶし位、幾らでも付き合える。


「でも意外――って言うのは違うけど、ちょっと驚いたよ。まさか団長(ラルフ)があんなに強いなんて」


 昨晩の喧嘩の際、ミカエラはラルフに対しこう言った。


『貴様への連敗、ここで止めてくれる!』


 ラルフがミカエラに連勝している――翻せば、ミカエラが連敗しているなど、エリスの想像力の外の事象だが、それでもエリスには思い当たる節が一つある。それは、同じくミカエラが口にした、思い出話だ。

 彼女は、ハキーム戦争中に出会った男に負けたと言った。その男は屈強で背が高く、そして、背と同じ位の大剣を持っていた、と。そんな男を、エリスは知っている。

 それに、アウレニアも言っていた。ミカエラは六年前には、ラルフと喧嘩仲だったと。ハキーム戦争は七年前から。確定だろう――ミカエラを打倒した男こそ、ラルフなのだ。


「そう言えば、エリスはラルフが戦ってる所見た事無かったんだね。うん、ラルフは強いよー。騎士団の全員が束になっても、多分勝てないんじゃないかな」

「それって、本当に人?」

「人間だよ。ご飯食べなきゃお腹は空くし、人の事を好きになったり嫌いになったりする、ちゃんとした人間」


 セシリアは甘く柔らかい声で、ラルフの事を人と言い切った。その言い方の力の抜け具合と、壮大なのかいい加減なのか良く分からない言い振りに、エリスは思わず噴き出した。それを見て、セシリアはむっと頬を膨らます。その顔が間抜けに見えて、エリスは笑いを更に深めた。


「エリスゥ……」


 流石に笑い過ぎたのだろうか。背景に黒いオーラを纏い、セシリアは物質化しそうな程鋭い視線で、エリスの眼球を貫かんとする。そして、


「良いのかなぁ? もう、魔術の事教えて上げないよぉ?」


 閉講を盾に謝罪を要求して来た。これには堪らず、エリスは平身低頭して許しを乞う。心の底から詫びの言葉を言い続け、思いつく限りの褒め称える言葉を並べ立てる。しばらくの賛辞と謝罪の合わせ技の甲斐あってか、数分の後に、セシリアの視線は元の優しい物に戻った。冷やかな汗を拭って、エリスは安堵に酔い痴れる。





「ま、話を戻すけど」


 優しい視線に戻ったセシリアは、そう言いながら白紙の紙とペンを取り出し、何やら人の簡略図の様な絵を描いた。


「ラルフ達が強いのは幾つか理由があるけど、一つには魔力量っていうのがあるの」

「魔力量?」


 臨時の講義が始まったらしい。エリスは頭を切り替えて、セシリアの説明に傾聴する。


「そ、魔力量。エリス、魔力って何?」

「えーと、魔力は生命力を変えた物、だっけ?」


 魔力は魔術のエネルギーである。そして、魔力が何処から生じるかと言えば、それは生命力の変換によって生じる。魔術師は、自身の生命力を変換して魔力を生み出す。それにどこに向かわせるか、どの様な動きをさせるかという指向性と、どう言った現象を生み出すか、如何なる結果に行き着くかという志向性を法則に則って与える事で、魔術を発動させているらしい。

 これが、ここ数日でセシリアから教えられた、エリスの持つ魔力の知識だ。


「うん、合ってるよ。ちゃんと覚えてるね、えらいえらい」


 セシリアは手を伸ばし、エリスの頭を撫でる。合格点を貰えたのは嬉しいが、子供扱いされている様で――実際に動作は完全に子供扱いだ――素直に喜べない。エリスはじっとセシリアを見つめ、無言の圧力で続きを促した。


「はいはい……で、魔力は普通一ヶ所に定着しない。本来、生物の中にある生命力は、外に出ると霧散しちゃうし、世界に還っちゃう。魔力も似た様な性質を持っていて、そのままだと変換してちょっとしたら消えちゃう。でも、生命力自体は人って種の限度だから、個人差は余り無い。これって、どういう意味か分かる?」


 セシリアに問われ、エリスは知識を掻き集めて考える。

 身体の内にある間は霧散しない生命力だが、魔力に変換すると定着しない。だが、セシリアはラルフ達を指して魔力量と言った。それに、セシリア自身も人並外れた魔力量の持ち主と聞く。定着しない魔力を、定着させる術――もしくは定着している理由があるのだ。

 エリスは必死に記憶を探る。この数日間に問わず、記憶にある限りの知識を掻き集めて――ある事を思い出した。


「地脈は世界に流れている魔力の流れだって言ってた。でも、完全に霧散するなら流れなんて生まれない」

「お?」

「流れがあるなら、流れを作る何かがある。セシリアはその時、世界の魔力には『無の指向性』が与えられてるって言ってた。もし人の身体にも似た原理が働くなら、自分の身体の内に魔力を循環出来るんじゃ……」

「ごめーとー。良く出来ましたー」


 ぱちぱちと、セシリアが拍手を送る。それから紙に書いていた人の簡略図に、ペンを走らせて書き込んでいく。


「『無の指向性』って言うのは、『そこにあるだけの向き』っていう意味。まぁ、厳密には完全な『無の指向性』は不可能だから、僅かな向きはあるけど」


 小さな矢印が無数に、紙の中の人に増えていく。

 確かに、そうでなくては流れなんて生まれない。世界の各所に魔力溜りの様な場所が出来るだけだ。


「人の生命力は限られている上に上限が低い。でも、魔力となれば話は変わって来る。魔力だと、許容量の個人差が凄く大きいの。許容量が大きい人なら、生命力換算で限界の何十倍もの魔力を抱え込める」

「でも、魔力があるからって、それがどう強さに繋がるのさ」


 それが、そもそもの問いだった。

 魔術師ならこの恩恵は大きいだろう。何せ、燃料が数十倍に膨れ上がるのだ。魔術の質も量も、魔力量が増える事で――技術面の問題で無ければ、――上昇する事間違いない。

だが、魔術師で無い人間にどの様な恩恵があるのか。

 ミカエラだけならまだ、話は分かる。ミカエラは魔術体質なる、特異な性質を持っていた。彼女の言葉を借りるなら、自分の魔力が通った液体を、自由に操作・使役出来ると言う。なるほど、それなら魔力量の増加による戦闘力の上昇(ブースト)も見込めるだろう。

 だが、ラルフはどうだ。ラルフまで魔術体質、はたまた魔術師であるなら話は変わるが。

 ――セシリアの話し振りからして、エリスはその可能性は否定していた。


「魔術を扱うには、魔力に指向性と志向性を与える必要がある。じゃあ志向性って? ……簡単に言っちゃえば、人の意志。そして、人が一番強く意識するのは自分。知識も何にも無くても出来ちゃう、ただ一つの魔術――自己概念の強化。それがラルフ達の強さ、その秘密の一つだよ」

「自己概念?」

「自分による、自分への認識って感じかな? ラルフ達は強い自分を認識――ううん、意識しているの。その意識は志向性になって魔力に宿る。魔力は志向性に従って身体を巡る。結果として、肉体が強化されるの」


 人であれば誰でも、自分を認識している。

 赤ん坊でさえ、肌に感じる感覚、匂い、音、光、その他諸々の刺激を受ける中で、他とは違う個として自分を認識する。その認識は仮に現実とずれていようとも、誰しも抱いている物だ。

 自己概念――エリスはその言葉を、何故か空想の言語を聞いているみたいな、薄い実感の中で受け止めた。


「自己概念による強化は、強い意識程効果が上がる。――戦闘時は、その意識が最大に高まるの。だから、ラルフ達は人並外れた力で戦える」


 戦闘時――世界からは自分と敵以外が居なくなる。

 普段は散漫な認識が集中し、自己を隅から隅まで意識する。怪我の有無や筋肉の躍動、呼吸のリズム、次の攻撃や防御の計画。今だけでなく、未来に至るまでの自分を思い浮かべる。そして、その想像は危険を伴うだけに、通常時に為される想像よりも事細かに創り上がる。

 その精密にして精細な想像こそが、自己概念の強化を成し遂げるのだろう。

 そこまで考えて、エリスはふと思った。

 戦闘時の自己概念の強化。それ自体は誰でもなるものだ。極端な例で言うと、自分が死ぬ寸前など、いつ、如何なる時よりも自分を意識するだろう。そして、魔力は生命力が元なだけに誰でも生み出せる。

 ――ならば魔術について素人の、騎士としては弱過ぎるエリスでも、自己概念による強化が出来るのではないだろうか。


「気付いた? 元から今日教えようと思ってたんだけどね。エリス、自己概念による自身の強化……覚えたい?」

「覚えたい!」


 二の句も無しに、エリスは即答した。


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