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エリスが居る場所  作者: 改革開花
三章 泥の底で光るモノ
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3 夜更けの鍛錬

 金属で出来た取っ手に手を掛け引き戸を引くと、中には板張りの広い空間が広がっていた。壁の上部に換気兼採光用の窓。天井には中央と四隅に照明(リヒト)が計五つ。それ以外には特に何も無い、昼夜問わずに身体を動かせる、ヴァレニウス邸の鍛錬場だ。

 鍛錬場の中は、張り詰めた空気が満ちている。それは中心に座して待つ、一人の女性から迸る剣気の所為だ。


「うむ、来たか」


 エリスが来たのに気付くと、ミカエラは腰を上げて立ち上がる。動きやすい軽装に、訓練用の木刀を手に取るその姿。空から垂らされた糸と頭が繋がっており、上から引っ張られている様にぴんと伸びたその背筋は、彼女の凛然とした空気を一層強調する。ただそこに立っているだけだと言うのに、次の瞬間には斬られている様な、そんな予感すら感じさせる佇まい。姫神と呼ばれる前、鬼神と恐れられていた理由が、少しだけ分かった気がした。


「……いつまで、入口で突っ立っているつもりなのだ?」


 ミカエラの言葉に自らの足元を見ると、エリスは未だに鍛錬場の入口に立ち呆けていた。彼女の放つ剣気に中てられ、どうやら歩みを忘れていたらしい。慌てて、自分の足に前へ進む様命じる。

 

「それでは、始めよう」

「お願いします」


 目の前にずいと差し出された木刀に自らの愛剣、「自己満足」を軽く当て、開始の略礼とする。

 小さな衝突音。次の瞬間に、両者は爆ぜる様に距離を取る。

 ――さぁ、毎晩行われている戦いの始まりだ。




 

「ふむ、ここまでとしよう」

「ありがとぅ、ござい、ましたぁ……」


 しばらくの後、鍛錬場には良い汗をかいたと清々しい顔をするミカエラと、疲労困憊で床に横たわっているエリスの姿があった。

 この光景はヴァレニウス邸に滞在してから毎日、欠かさず繰り返されている光景である。ミカエラは、エリスを鍛錬に誘ったあの日の打ち合いが思いの外気に入ったらしく、彼女から誘う形でエリスは毎晩こうして、木刀対真剣という、余りにも不平等な条件の模擬戦を行っている。ミカエラの強さは真剣から木刀になっても陰りを知らず、毎晩エリスは叩きのめされる日々だ。自動反応で一時的には拮抗するのだが、身体能力の差――中でも体力不足で結局負ける。それが毎回だった。

 ミカエラとの模擬戦では自動反応は勿論、その性質は攻撃まで引き出される。どうやら連日の敗戦の経験から、エリスの自動反応は脅威に対する段階的な反応である事は分かったのだが、その制御は未だ分からずだ。逆に、ミカエラはどの程度追い込めばエリスが――と言うよりかはエリスの自動反応が攻撃に及ぶかを把握しているらしく、日に日に性質が攻撃に切り替わるまでが早まっている。今日は開始から三十秒後には既に、ミカエラに対して身体は剣を振っていた。

 一応、形式上はミカエラからの誘いだが、エリスはこの鍛錬を好機と捉えていた。

 ミカエラの実力は圧倒的だ。本気の底は知れず、負ける姿は想像出来ない。彼女には、エリスの自動反応など稚児の足掻きの様に一蹴される。だからこそ、思う存分試す事が出来る。ミーナ達へは出来ない事だ。彼女達の実力を甘く見ている訳ではないが、ミカエラの実力が凄まじ過ぎる。

 例えるなら、ミーナ達は人としての強者だが、ミカエラは人外の覇者だ。住む世界が端から違う。故に、エリスは気兼ねなく、己の性質について研究する事が出来ていた。

 ――もっとも、成果は乏しいのだが。


「これを飲むと良い。滋養強壮の効果のある薬草に蜂蜜を混ぜた、特製のハーブティーだ。飲みやすいし、疲れた身体には良く効く」


 ミカエラから水筒が渡される。その中には、黄金色の水面と甘い香りが顔を出していた。エリスは喉の訴えに従い、勢い良くハーブティーを飲み干す。冷たく冷やされたハーブティーが、甘さと共に胃へと、そして全身へと落ちていく。蜂蜜による物だろうか、口当たりも優しく、薬草の苦味は感じなかった。

 確かに、疲れた身体には良い。


「これ、レシピとかってありますか?」


 思わず、エリスはそんな言葉を口にしていた。雑用根性が身に沁みているとは自分でも思うが、このハーブティーは本当に素晴らしい。第三班の仲間にも訓練後などに飲ませればと、そんな事を考えてしまう程には。

 ――エリスの問いへの答えは、鍛錬場の外から聞こえた。


「気に入ってくれたようだな――ラルフスペシャル弐型改。俺の自信作だから当然だがな!」

「だ、団長!?」


 そこに立っていたのは、王都に居る筈のラルフだった。エリスの声に応とだけ応え、ずんずんと鍛錬場の中に入って来ると、新たな水筒をエリスの前に置く。


「ほれ、おかわりだ」

「は、はぁ……」


 今一つ状況は呑み込めなかったが、その場の空気に呑まれてか、エリスは差し出された水筒に口を付ける。そして一口、二口とハーブティーが喉を下った所で、エリスは驚愕の感情を取り戻した。


「団長、何でここに居るんですか?」

 

 先程よりかは幾分落ち着いた声色で、エリスはラルフがここに居る理由を訊ねる。すると、ラルフはエリスの飲みかけの水筒を手に取り、その中身を飲みながら事情を話す。


「ミーナ達の見舞い。後、所用だな。ちょっとばかし、公私入り乱れた」

「公私、入り乱れた?」

「その話はとりあえず明日だ。――それよりも、さっきの見たぜ。やるじゃねえか、ミカエラ相手にあそこまで食い下がるなんてよ。怯えた目で剣を振るってんのは相変わらずだけどな」


 ラルフの言葉に、エリスは彼の登場よりも強い驚愕に染まる。ラルフが人を見る人間だとは思っていた。だが、そこまで見られているとは思っていなかった。自分の汚い部分を見られた気がして、エリスはラルフから目を背けた。


「ま、誰でもそんなもんだ。剣をビビらねえ奴は剣を握るべきじゃねえ。俺だってビビってるし、ミカエラだってビビってる」

「……確かに大意はそうなのだが、貴様に言われると無性に腹が立つ」

「は?」

「ビビってるとは何だ。剣の重みを自覚している、と言い換えろ」

「要するにビビってんじゃねえか」

「だから、ビビってない」

「いや、ビビりだろ?」

「ビビってない」

「やーい、ビビりィ~」

「……よーく分かった。貴様、私を愚弄しているな!」

「ハッ! ビビりが粋がんな!」


 視線を戻すと、何故か木刀と素手で鍔迫り合いもどき(・・・)が始まっていた。普段、凛としているミカエラは感情顕わに吼えかかり、ラルフはそれを嬉々として受け入れている。長年の喧嘩友達みたいな光景が、目の前で繰り広げられていた。

 だが、喧嘩友達とは言え、彼らの存在はスケールが大き過ぎるようだ。木張りの床が両人の拮抗に耐え兼ねて捲り上がり、鍛錬場全体が静かに、しかし大きく揺れ始めた。このままでは、ここは滅茶苦茶になってしまう。いや、彼らの喧嘩に巻き込まれてはエリスの身が危ない。

 エリスは自分の感傷を棚上げにして、彼らの制止に乗り出した。


「団長、ミカエラさん。止めて下さい!」

「先の夕食の際も言ったな……。貴様への連敗、ここで止めてくれる!」

「上等……! さっきは飯食ってたし、アウレニアも居たからな。今は誰も居ねえ、気兼ねなく暴れられるぜ!」

「僕居ますって! 団長、ミカエラさん!」

 

 二人は互いに互いを弾き合い、距離を取る。そして静かに構えへと移行した。ミカエラは剣を両の手で握り締めて天に振りかぶり、全身の力を一太刀に集約しつつある。一方、ラルフは右拳を後ろに引き、全体重をその一突きに込めようとしている。両者、渾身の一撃の体勢だ。

 エリスの脳内に、聞き覚えのある警鐘が鳴り響く。これは自動反応が発動する予兆だ。つまり、自動反応を司る何かは、エリスの身に重大な危機を感じ取ったらしい。


「「喰らえ!」」


 両者、示し合わせた様に、全くの同時に踏み出す。床は爆ぜ、その推進力を一手に引き受けた身体は、閃光さながらに加速する。両者の間合いが交わった。渾身の一撃が相手へと振り抜かれ――


「何を、しているのでしょうか」


 入口から聞こえた声に場が凍った。

 意識が、時間が、世界が確実に一瞬止まった。そして、再開した時の中で、機を逃した両者の一撃は互いを素通りして鍛錬場の壁へと放たれた。轟音と共に、鍛錬場の壁が大きく壊れる。夜風が吹き込む立派な大窓が、両側の壁に出来上がった。

 本当に喧嘩の範疇だったのかと、エリスは破壊の跡に震え上がる。


「ミカエラ様、ラルフ様。話があります」


 いつの間にかエリスの真横まで来ていた声の主(アウレニア)は、静かな、しかし地の底から響く様な恐ろしい声色で、破壊者両名を呼び付ける。両者は最初こそ躊躇していたが、声の主の放つ鬼気に観念し、渋々と声の主の前まで集まった。


「何か、弁解はありますか?」


 にっこりと笑みを浮かべるアウレニア。その笑みの裏に花畑は見えない。吹雪荒れ狂う、銀白の雪原をエリスは幻視した。もしくは血の滴る、針の山か。


「「こいつが悪い」」


 アウレニアの問い掛けに、ラルフとミカエラは互いを指差し合った。ここぞとばかりに間の合った二重音声に、エリスは隣から何かが千切れる音がした。

 人はそれを、堪忍袋の尾と呼ぶ。


「いい加減にして下さい!!!」


 ――主人と客人を叱りつける侍女。そんな奇妙な絵面は、翌朝の太陽を拝むまで続いたと言う。




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