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エリスが居る場所  作者: 改革開花
三章 泥の底で光るモノ
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幕間 からかい甲斐のある少年


「あれだけの洞察力がありながら、どうしてこう言った所は見逃すのでしょうか。私は不思議でなりません」

「いや、気付いていたのではないか? ただ、相手の想像までは辿り着けなかっただけだろう」

「だろうなぁ」


 来賓室にシチューの匂いが充満する。彼女としては、出来れば食堂に案内したかったのだが、訊ねて来た張本人がここで食べたいと望むなら――と言うより、駄々をこねるなら致し方無い。

 せめてもの抵抗として、シチューの濃い匂いが染み付いた絨毯やカーテンなどと、目の前の男を交互に睨みつける。――近頃は特に忙しいと言うのに、余計な仕事を増やしてくれたものだ。もっとも、その忙しさも主人が帰ってきた故と考えれば、忽ちに嬉しくなってしまうのが侍女の強みであり、弱みである。


「で、どうよ? 調子は」


 目の前の男、屈強で長身の身体。椅子の横には無造作に、男の身長と同等かそれ以上の大剣が置かれている。絨毯の下の床が傷付いてはいまいか、侍女は内心恐々たる想いで大剣から目を逸らす。


「うむ……。調子は悪くない、寧ろ良い位だな。彼女が言うには、後遺症で体内の構造が最適化されているそうだ。もっとも、反面としてどうやら痛覚の類が少し鈍くなっている様だが。自分の身体がよく分からん物に弄られている様で気味悪いが……今なら、貴様に勝てそうだな」

「止せ、止せ。そもそも、俺は一度もお前に勝った事なんて無いだろうが」

「しかし、最後まで立っているのはいつも貴様だ。知っているか? 世間ではそれを勝ちと呼ぶ」

「どうやら、お前と俺とでは世界が違うらしい」


 降参とばかりに、男は空いた手を振って主人の言葉をいなす。埋まっている手――スプーンを握った手は絶え間無くシチューを口に運んでいる辺り、反省も気圧されている気配も無い。

どこまでも、馬鹿にした様な奴だと、侍女は一層視線を鋭くした。


「うちのガキはどうよ? どうせ色々ごちゃごちゃと考え込んでるんだろうが」

「はは、そうだな。恐らく貴様の想像通りだ。まぁ、良い顔をする様にはなったがな」

「ほーん?」


 主人の答えに、男は興味深そうな顔をする。そして、


「そうなのか?」


 急に侍女へと話を振って来た。刺し殺さんばかりの鋭利な視線を向けていた侍女だったが、急な展開に動揺して、思わず素面で狼狽えそうになる。何とか自制出来たのは、偏に男への反抗精神と、己が背負う異名への矜持、そして主人の前で醜態を晒す訳にはいかないという、やせ我慢のお陰だ。

 取り繕った仮面を深く被り直し、侍女は男の問いにしばしの思考を経て答える。


「そうですね。出会った時は、躍起になって自分の存在意義を確立しようとする、自分が見えていない子供でしたが、今は、焦るのを我慢しようと努力する子供――と言った印象です」

「はは! そうか、そうか。一皮剥けたのか、そうじゃないのか、分かり辛い所まであいつらしいじゃねえか。ま、一人前になるのは当分先だな、こりゃ」


 男は侍女の散々な評価に、何故か満足げに笑い、グラスに注がれたワインを呷った。上等な葡萄酒(ワイン)なのだが、男の飲み方は安っぽい果汁飲料(ジュース)でも飲んでいる様な軽々しさだ。男の額に請求書を張り付けたい衝動を、侍女は仮面越しに抑え込む。


「だが、見所が無い訳でも無い」

「ふぅん?」


 侍女が男への激情を抑えているのを、言葉に窮したと判断したのだろうか。主人が侍女の言葉を継ぐ。そしてその内容は、奇しくも侍女が抱いていた物と同じだった。


「あの少年は、人との繋がりを守ろうと必死だ。それを独善的だの、自己中心的だの言う人間は居るだろうが、そもそもに騎士が守るべき物は、そう言った人の営み、繋がりだろう。彼がもう少し外に視線を向け、道を誤らなければ、きっと良い騎士になるだろうと私は思う」

「ハッ――同感だ」


 主人の言葉を黙って聞き終え、男は感慨深そうに同意した。顔には笑みが浮かんでいるのだが、先程までの笑みとは少し違う。昔を懐かしむ様な、そんな笑みだった。

 男の珍しい姿に侍女が気を取られていると、男は器を差し出して来た。見ると、中にあった筈のシチューは空っぽになっている。

 ――卑しい男だ。

 つい寸前まで抱いていた感情を霧散させ、機械の様に無感情な動きで、器にシチューを注いで突き返す。男はこちらの悪意を完全に無視して、スプーン片手に器を受け取った。そして、新たに注がれたシチューへとスプーンを潜らせようとして――男は思い出した様に顔を上げた。


「あぁ、そうだ。このシチュー作ったのはお前か?」

「え、はい。味付けなどは殆ど私ですが」

「美味いぞ。腕上げたな」

「――っ、お褒めに預かり、光栄です」


 ――全く、嫌な男だ。

 剥がれ落ちそうになる仮面を必死に抑えながら、侍女は複雑な心境の発露を、些か丸みを帯びた視線として向けた。




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