1 休息
静かな部屋の中、ただ果実の皮を剥く音だけが響く。するすると、滑る様に皮を剥かれて果実は裸になり、それから六等分に切り分けられる。等分した果実の出来に満足すると、エリスはベッドの横にちょこんと設けられた小机へと、果実を盛った皿と使い終えたナイフを置いた。皿の端に、フォークを添える事も忘れない。
「どう、食べられそう?」
「うん」
目の前で横たわる金髪翠眼の少女――セシリアは、エリスが切り分けた果実へと手を伸ばす。フォークを果実に突き刺し、しゃくっという小気味良い音を鳴らす。それから果実を一気に頬張った。大きく口を開けて、一息に頬張っていると言うのに、卑しく見えないのは不思議だ。
咀嚼を終え、飲み下し、次へと手を伸ばす。
程無くして、エリスが切り分けた果実は全て、セシリアの胃袋へと収められた。
「一気に食べて大丈夫?」
「へいき、へいき。むしろ、まだ食い足りない位かな」
セシリアは催促の視線をエリスに飛ばす。しばらく悩んだ末、エリスはセシリアの視線に屈した。この屋敷に居る誰よりも治療に長けている彼女である。その彼女が言うからには、きっと平気なのだろう――半ば責任転嫁した思考の下、黙々と皮を剥いていく。
騎士団の食堂で培った下拵えスキルに加え、ここ数日間の経験により、エリスの皮むきの練度はプロのそれに迫る勢いである。皮の長さは勿論、始まりから終わりまで途絶えない最長であり、薄さに至っては向こう側が透ける程だ。
騎士っぽくない技術だと、他ならぬエリスが重々承知している。
「はい、出来たよ」
「あひがとー」
感謝の言葉より先に、口は果実に占拠された。流石にこれは下品と言うか、マナー的にどうかと思うが、目の前の幸せそうな笑顔を見ていると咎める気が薄れる。他に人も居ない事だし、今は黙っている事にした。ナイフに付いた果汁を拭き取りながら、エリスは溜息を吐く。
今日でヴァレニウス邸に滞在して二週間。溜息の数はいつも通り多い。
今回の一件における全ての発端である「王宮医術師」は、エリスが一時的に捕えられていた、東部の詰所の地下牢にて、厳重な監視下に置かれる事となった。そして、監視している東部の一同も、ミカエラの帰還により士気は鰻登り、見違える程の働きぶりとなっている。傍から眺める分には、東部の姿は元通りに見える事だろう。
――今回の一件、罪の在り処を何処に問うかは難しい。否、問うだけなら簡単なのだ。「王宮医術師」に唆され、まんまと悪事に乗った全ての人間を処罰の対象にすれば良い。だが、それでは王国東部防衛騎士団という組織自体が崩壊する。それに、今回の事件について全てを明らかにしてしまうと、セシリアがミカエラに行った「治療」についても触れざるを得ない。
故に、一つの落とし所として、「王宮医術師」が東部の一部騎士を洗脳・支配し、テロを企てていたという形になった。多少の矛盾にさえ目を瞑れば、これなら一応の体裁は整えられる。そう言った合意の下、今回の一件の真相について、エリス達第三班とミカエラ達東部の間に緘口令が敷かれた。
とは言え、幾つかの大きな問題は残っている。
まず一つに、ミカエラの急な復調について。
元々、今回の一件はミカエラが倒れた所から始まっている。そして、その原因は長らく不明だったのだが、それについては「王宮医術師」が東部の「熱意ある問い掛け」の末に漏らした。
曰く、毒を盛ったと。
それも人を変え、時を変え、場所を変え。決して悟られぬ様、幾種もの毒を少量ずつ忍ばせる形で。当時のミカエラはヴァレニウスの家督を継いで日が浅く、交流と事務に奔走している毎日だったと言う。それが却って、良からぬ輩に隙を与えてしまった。
とは言え、今は毒の心配は無い。ゾンビパウダーによる身体の変容、そしてセシリアの「箱庭」によるミカエラに害を与える物質の除去の結果、毒はその効果を失った。故に問題はミカエラ本人では無く、周囲の目だ。急な復調――と来れば、外部からの影響を考えるのは自然だ。名目上、名医がミカエラの体内から毒を発見し、その解毒に成功したとしているが、それとて完全な信頼を得るには些か都合が良過ぎる。完全な嘘では無いが、隠している所を突かれるとミカエラ側、そしてセシリアの双方が不味い。
二つ目に、黒幕が未だ分からないという点。
「王宮医術師」は確かにミカエラに毒を盛り、あまつさえ、ミカエラをゾンビに貶めようとした。だが、それは完全な彼本人の意思で無く、誰かに指示されての物だと言うのだ。苦し紛れの嘘、という線は十分にある。だが、早々に毒を盛ったと口にした男に、東部の面々の前で嘘を吐く肝があるとは思えない。男の言葉の真偽も含めて、事件はまだ解決に無いと考えるべきだろう。
そして最後に、エリス達の今後だ。
エリス達は今、ヴァレニウス邸にて療養中である。事件の最中に負った傷は決して浅く無く、中でも数日の間目を覚まさ無かったセシリアや、数十人もの騎士を相手取り、陽動を成し遂げたミーナ達の傷は深い。中でもミーナの身体は満身創痍と言う他無く、未だにベッドの住人だ。
一方で多少の傷こそ負ったものの、セシリアが目を覚ます前には治っていたフレドリックや、そもそも余り傷を負っていなかったエリスなどは手持無沙汰――と言うより、待機の状態である。
班長であるミーナが動けない現状、第三班は全く機能していないというのが本音だ。理屈、理論としてはミーナ達をヴァレニウス邸に置き、王都に戻って報告義務を果たすべきなのだが、エリスとフレドリックはそれを良しとしなかった。理では無く、心が拒否した。結果として、エリス達はヴァレニウス邸に留まっているという訳である。
「じゃ、お腹も膨れたし始めよっか」
「うん」
更に二回のおかわりの果てにセシリアはやっと満足し、フォークを手放した。そして、今度は空いた手にペンと紙を取る。それを脇目に、エリスも持って来たノートを取り出した。
――五日程前から、エリスはセシリアに魔術について教えを乞うている。
別に、魔術が使える様になりたいと思ってではない。使えれば嬉しいが、そう簡単に扱える技術で無いのは、セシリアを目にして肌で感じている。ただ、知識はあっても損しないだろうとエリスは考えたのだ。
これまでは自分が足りない、欠けていると思う所は自力で何とかしようとした。相談ならまだしも、実際の行動や能力は所詮、自分の問題。他人の力や時間を割かせるのは間違いだと思ったからだ。
だが、ミカエラからの問い――始まりを見つけてから、その考えは一変した。
エリスは子供だ。名を手に入れて間も無い、子供だ。そんな自分が自力でどうにかしようなど、余りの浅薄さに笑いが零れる。子供であるからこそ、他人を頼るべきなのだ。貸し借りの関係では無い。仲間なのだから。
そして、いつの日か。逆に仲間に頼られる様になる――それこそが、今のエリスの目標だ。
「じゃ、今日は魔術体系の基礎ね。王国の魔術は大まかに――」
セシリアの解説を聞きながら、エリスは自分なりの解釈をノートに記していく。次から次へと埋まっていく空白を見ていると、満足感や達成感に似た何かが自分に満ちていく様な気がした。
時折、図解や説明の補足をセシリアは紙に描く。セシリアの解説は遅い早いでは凄く早い為、その解説に追い付く様に書かれる補足の数々は必然、少々雑な形になる。それでも、後から見ても内容がすんなりと入る出来なのは、セシリアの知識が確固たる物だからだろう。知識がしっかりとしているからこそ、要所を抑え、省略しても良い所を大胆に省略出来るのだ。
知識の深奥に感嘆の意を抱きながら、エリスはセシリアの講義に集中した。
三章、開幕です。