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エリスが居る場所  作者: 改革開花
二章 心の置き処
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32 偽りの信念

 事情を粗方聞くや、部屋に飾ってあった剣を掴んで廊下に飛び出して、それを追えば廊下から二階の窓へ、そして外へと文字通り飛び出したミカエラを見た時はどうなる事かと思ったが、そんな心配は取り越し苦労であったのだと、エリスの視線の先で繰り広げられる光景が何よりも物語っている。

 昇って来たばかりの朝日に照らされる中、ミカエラの指揮の下ミーナ達が屋敷内に運び込まれていた。先程までの敵対が嘘の様に、ミーナ達を運ぶ東部の騎士達の所作は、痛みに痛んだミーナ達の身体を労っているのだと一目に分かる。やはり、東部はミカエラが「柱」なのだと、ありありと分かる光景だった。

東部の騎士達とエリス達の敵対は、ミカエラを中心にしての物――故に、その張本人がこうして現れた 今、敵対は過去の物となるのは当然だ。加えて言うなら、エリス達はミカエラを「王宮医術師」の魔の手から救ったとも言える救世主なのだ。感謝こそすれど、恨みはしない。


「私は下に降りますが、セシリア様方は如何なさいますか?」


 エリスと同じく、割れた窓から階下を覗いていたアウレニアが確認に近い提案をする。ミーナ達の安否の確認の為に一階に降りるのは当然であり、何よりセシリアがあれ程までに傷付いたミーナ達を治療しないのはあり得ない。この短時間でそれを見抜いているのだろう。言わば、体の良い先導の申し出だった。

 だが、


「セシリア?」


 セシリアに問われたのだからと、一応黙っていたエリスだったが、沈黙が妙に長いのが気になってセシリアの名を呼ぶ。だが、反応が無い。不審に思い顔を覗き込むと、庭を見下ろした角度のまま、焦点の合っていない瞳を躍らせているセシリアの顔があった。


「セシリア!」


 先程とは明確に違う意味を込め、彼女を抱き寄せながら強く呼び掛ける。引き寄せたセシリアの身体の軽さに、エリスは背筋に悪寒が走るのを感じた。これは正常な人間の重さでは無い。何か、大事な何かが欠けている人間の軽さだ。駆り立てられる様に、エリスはセシリアの身体を揺さぶる。もしかしたら動かさない方が良いのかもしれないが、そんな事を考える余裕など、今のエリスには無かった。

 幸い、エリスの行動はセシリアの意識を取り戻すのに適した行動だった様で、程無くしてセシリアの瞳に正気の光が戻った。だが、明らかに覇気が無い。身体全体が脱力しきっているのは変わらず、欠けた物が戻っている様にも感じられない。

 セシリアはエリスの不安そうな顔を見ると、小さく笑う。その笑みに力は無かったが、言外に心配し過ぎだと教えていた。そして、


「ちょっと、きゅーけい」

「セ、セシリア!?」


 と言ったきり、セシリアは目を閉じて眠りに就いた。

 余計に不安にさせる一言だった。





「そこまで心配しなくても大丈夫だよ。セシリアは『箱庭』を使うと、いつも数日の間眠っちゃうんだ」


 数時間に及ぶ不安の荒波は、昼頃にヴァレニウス邸に到着したフレドリックから、今のセシリアの現状について説明を聞くまで続いた。曰く、セシリアの『箱庭』は禁じ手中の禁じ手であり、反動としてセシリアは数日間眠り続ける羽目になるらしい。

 

「でもまぁ、ここまで皆ズタボロになってるとは思わなかったよ」


 そう言って、フレドリックは周囲のベッドを見渡した。

 今、エリスとフレドリックはヴァレニウス邸の一階に急遽作られた、簡易の医療所に居る。屋敷にあった医療具と、ミーナとエディ、イライアスにセシリアの計四人分のベッドが置かれている。第三班の面々以外の負傷者は、ここから少し離れた別の医療所で治療中だ。向こうの方はベッドを所狭しと並べた、暑苦しいレイアウトと聞いている。環境重視と、効率重視の二室。これもまた、救世主に対する一つの貴賓待遇という奴だろうか。

 フレドリックは一通り負傷した仲間を見やると、エリスの頭にぽんと手を置き、柔らかな笑顔を浮かべる。


「ま、エリスが無事で良かったけどね」


 その言葉は間違いなく優しさからの物だ。無事を祝う、純粋な感想の筈だ。だが、今のエリスには、鋭い刃で胸を抉られたかとすら感じる。

 ――エリスがフレドリックからの説明を聞き終え、不安が収まった時、最初に浮かんだのは羞恥の感情だった。

 ミーナが、エディが、イライアスが、そしてセシリアが。フレドリックの言う通りズタボロになり、今はベッドの中に居る。この四人だけで無い。彼らほどで無くても、戦い、傷付いた者は他にもいる。目の前に居るフレドリックや、ミカエラと打ち合ったアウレニア、それにそもそもの始め、エリス達を逃がしたエルヴェもそうだ。彼らは己が信念に殉じ、戦いに身を投じた。彼らは紛れも無く、最初から最後まで騎士であった。

 では、エリスはどうか。彼らほど、己が信念に殉ずる事が出来たのか。

 答えは否だ。何せ、殉ずるだけの信念を持ち得ていない。エリスが持っているのは羨望だけだ。先行く者達の背中に見る、憧れの念だけだ。ならば、エリスに信念は無い。あるのは薄汚い嫉妬を取り繕っただけの物だ。

 

 エリスに信念を語る資格は無い。それでもエリスは考える。語る資格は無くとも、己が愚蒙について考える。

 いつかその境地に至るのだと、騎士になって見せると、そう決めて戦った。憧れの背を間近で見て、その姿を心に焼き付けた。――今に思えば、それはある種の妄信だったのだろう。自分が憧れる先達は決して傷付かないと、都合の良い、お気楽にも程がある楽観だった。

 斬られれば血が吹き出、血が無くなれば死ぬ。そう理解していても、その理解を虚像が覆い隠していた。故に、エリスは心配や不安は抱けど、危機を感じはしなかった。仲間の死を、エリスは全く考えていなかった。あったのは如何に自分が「騎士」に近づけるか、自分の行いがどれだけ理想の「騎士」に近いか、遠いか。それだけであった。自分だけを見て、他人を見ず、死を忘れて、虚栄だけを張り続けた。

 それの何処が騎士なのか。

 それの何処が、エリスが求める「騎士」なのか。


 エリスの虚栄、それが齎した惨状こそ、今目の前で眠るセシリア達の姿だ。

 無論、彼らはその物言いに反論する事だろう。エリスの言葉は彼らの信念を冒涜しかねない、独り善がりの言葉なのだから。だが、それすら気付かずにエリスは沈んでいく。

 自分の理想と現実、その乖離にひたすら苦しむ。





「ちょっと、外の空気を吸ってきます」


 何とか絞り出す様にしてフレドリックにそれだけ告げると、エリスは逃げる様に廊下へと出た。ばたんと扉を閉じ、そのまま行く当ても無く歩く。途中、すれ違う人々に何やら声を掛けられる。それは感謝の言葉であり、謝罪の言葉であり、やはり感謝の言葉だった。そのどれもが、今のエリスの心を傷つける。

 降り掛かる言葉の数々に耐え切れなくなり、気付けば足は歩く事を辞めて走り出していた。向かう先は分からない。ただ、誰も居ない場所を求めて走り続けた。


 ――足が止まる。エリスの二本の足は要望通り、人の気配が途絶えた場所へと身体を送り届けていた。そこはヴァレニウス邸の庭の中でも端も端――否、寧ろ入口の一つに当たる場所だった。記憶が甦る。ここは、エリス達が侵入した裏門の一つだ。今は見張りも居ない、完全な無人だ。


「ふぅ……」


 身体から自然と力が抜け、折れる膝に逆らわずに地面へと横たわった。見上げる空はどこまでも青く、そよぐ青草が頬を撫でる。眩しい。眩し過ぎて、目が(くら)む。


「ああ、僕が間違っていた」


 過ちを、罪を認める。それで心が軽くなる事は無い。寧ろ、汚れた何かを再認識する事で重くなる位だった。だが、それでも認めなくてはならない。間違っていたと分かった以上、これ以上過ちを続ける事は許されないのだから。

 だが、その先はどうなる。理想を諦め、憧れから目を逸らし、現実から逃げてどうなる。罪だけを認めて何になる。

 エリスはもう、如何し様も無いのだ。


「こんな天気だ。午睡も良いだろうが、眠る場所が如何かと思うぞ」


 聞き覚えのある頭上からの声に、エリスは身体を起こした。声の方を向けば、そこにはミカエラ・ヴァレニウスが居た。片手に剣を持ち、軽装に身を包んだその姿は、今から何処ぞへと鍛錬に出掛けるのだと物語っている。エリスは思わぬ存在の登場に、慌てて立ち上がった。こうなっては、無人で無くなってはここに居る意味も無い。適当に応じて、早々に立ち去るべきだろう――そういった算段を立てていたエリスへと、ミカエラは何か思案顔を向けている。

 ――何だろうと、ミカエラの言葉を待ったのが間違いだった。


「丁度良い。エリス、私の鍛錬に付き合わないか?」


 彼女はさも名案だとでも誇らしげな笑みを浮かべて、そんな事をエリスに言った。



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