5 雑用は多用
「エリス、掃除終わったの!? 早く動く、キビキビ動く! 汗水垂らして、血反吐吐いてでも動く!」
「は、はいィ!」
遠くから怒声が響く。エリスはその遠くの声に必死に応えながら、しかし顔をそちらに向ける余裕は無く、手足を懸命に目の前の仕事をこなす事に尽力させる。
エリスが自分の名前を得てから早一週間。エリスは騎士見習いとして――と言うよりは、ただの雑用として従事していた。
――何故エリスが雑用になっているかと言えば思いやり二割、都合面三割、面倒事の押し付け五割が実情である。
思いやりとしてはエリスに王国騎士団を案内、理解させるという事になる。エリスはただでさえ記憶喪失であり、どうにも知識面での不足は否めない。そこで雑用という多様な仕事を与える事で施設の紹介や、一日のタイムテーブル、騎士としての主な職務を教えようという魂胆があったのだ。
都合面としてはやはり、エリスの身体要素が大きく阻害したのが要因だ。騎士の仕事は身体が資本であり、肉体を酷使する事は多い事になる。すると、実年齢こそ分からなくても、見るからに「少年」なエリスに騎士が務まらないと考えてしまうのは自然だろう。付け加えてエリスがここに来た経緯がある。エリスは元々道端で倒れていたのを保護されている。身体が大丈夫だと分かるまでは肉体の酷使は避けるべきと判断されたのだ。――年齢で言うならセシリアはどうなんだとエリスは首を傾げた物だが、どうにもセシリアには何らかの特別な都合があるらしい。
そして最も大きい割合を占めている、面倒事の押し付けというのはそのままの意味だ。王国騎士団には勿論の事多くの騎士がおり、その活動を支えるには様々な後方支援が必要なのだ。武器の手入れは勿論、各施設の調整と整備、更には三食の用意と衣類の洗濯などがそれにあたる。エリスの毎日は終始これらの仕事に追われている形だ。
「ふぅ……」
水の張ったバケツにモップを突っ込んで、エリスは溜息を吐いた。天井を見上げて額に滲んだ汗を手で拭う。この後の予定は昼からの訓練に備えて武器の手入れを行い、練武場を整備、昼食の用意をし、食器などを洗い、それからやっとの事でエリスは昼食にあり付ける事になる。
何もエリス一人で王国騎士団の雑務をこなしている訳では無い。王国騎士団は騎士とは別に雑務を担当とする人員の雇用もしている。ただ、秘匿性の高い施設に騎士以外を入れるのは憚れる。
そこでエリスだ。騎士見習いの肩書がここで活きてくる。
エリスの雑務は基本、そこら辺に重点を当てられた物になっている。エリスの仕事は一人でする事と、多数でする事の差が非常に大きいと言えよう。
付け加えて言うならエリスの今日の仕事は一人でする事の比率が多い。何故か本日は昼までの予定までしか伝えられていないが、それでも目の前に立ちはだかるてんこ盛りの仕事の山を見上げ、エリスは自分の心がへし折れる音を聞いた。
「先が見えない……」
エリスは肩を更に落とす。しな垂れた柳の様な有り様だ。既に矮小な脳みそから弾き出された溜息の数に新たな記録を追加する。と、それをかき消したのはエリスの後方で鳴り響いた爆裂音だ。エリスは恐る恐る、ギギギと効果音でも付けながら振り向いた。
「エリスゥ、掃除は、終わったの?」
ぶつ切りな一言一言に力を込めて言葉を発するのは、両開きの扉を両手で乱雑に開け放ったミーナだ。一見笑っているが、目は笑っていない。口の端だけで無く目尻すらも上向きになっている。
「す、すみま――」
「謝る前に、動け!」
本日何度目か、辺りに響く怒声と鈍い打撃音がそこにあった。