30 解決?
「し、死んだの?」
光が落ち着きを取り戻した頃合いで、エリスはセシリアに恐る恐ると言った風で訊ねた。男の死自体に怯えているのでは無い。男の所業を思えば、別に死んでも良いと個人的には思っている位だ。だが、それは飽くまで個人的な話であり、騎士としてのエリスは違う判断を下している。
また、個人的にと言うなら、セシリアがここまで他人に敵意を向けているのを見たのが初めてで、どう接したら良いのか分からないというのが大きくあった。
「――死んでないよ。死ぬ一歩手前だけど。後で少しは治すね。ちょっと……やり過ぎちゃった」
振り返り、舌を覗かせながらセシリアはおどける様に言って来る。その姿は可愛らしい反省の所作なのだが、先程までの底冷えする目を知っているだけに、その温度差に身震いしてしまいそうになる。自己満足を手放していない右腕を空の左腕で抱き、どうにかセシリアに悟られないようにと抑え込んだ。
「さて、と。じゃあやる事をさっさとしちゃわないとね」
セシリアは床に横たわり物言わぬ男に背を向け、エリス――を過ぎ去り、その後ろアウレニアの方へと歩いて行く。セシリアを追って視線を向けると、男以上に生命の鼓動が感じられないミカエラの身体を抱き抱えているアウレニアの姿があった。セシリアはアウレニアの腕の中のミカエラに手を伸ばし診察の様な行為をしばし行うと、目を伏せてアウレニアと視線を合わせない様にしながら言った。
「……やっぱり、ゾンビパウダーは完全に、身体に定着しちゃってるみたいだね」
「そう、ですか」
手遅れ、その言葉が脳裏に浮かぶ。何とか返事はしたものの、アウレニアはそれ以上二の句を告げる事も出来ず、ミカエラの身体を強く抱いて涙に震え――ようとした所に続きの言葉が割り込む。
「でも、この箱庭を展開してる今なら。完璧には元には戻せ無くても、ある程度までなら人に戻せるよ」
エリスとアウレニアの視線が一斉にセシリアへと向く。その視線に恥ずかしがる様に身動ぎして逃れながら、セシリアは続ける。
「でも、それには幾つかの条件があるの。一、まず完璧には戻らない。普通に失敗する可能性も十分にあるって事だけは肝に銘じておいて。二、成功しても幾つかの制限がミカエラには課せられる。後遺症とでも言うべきそれと、ミカエラは一生向き合って行かなくてはならない。三、今からする事を絶対に、絶対に、誰にも話さない。この三つを守れるなら、私はミカエラを助ける事が出来る」
一と二は治療における確認事項であり、その内容も雰囲気から察するに妥当な物だと思える。少し毛色が違うのは三の項目だ。秘密厳守、沈黙の確約。入念な情報漏洩の対策として課せられた三の項目は、完全にアウレニアやミカエラ側の都合ではなく、セシリア側の都合だ。身を粉にして人を助ける彼女らしからぬ保身的な項目だと、一瞬思ってしまいそうになる。
だが、エリスは確かに聞いた。彼女は最後に三つの条件が守られるなら、ミカエラを助ける事が出来ると言ったのだ。その一言にこそ、セシリアの本心が込められている。彼女はミカエラを助けたがっている。だが、エリスやアウレニアが知らない何かが、彼女の行動に制限を課しており、その制限こそが秘密の厳守なのだ。それが果たされないのならば、彼女はミカエラを見殺しにせざるを得ない。それは彼女の望む所では無く、エリスの、無論アウレニアの望む所でも無い。
答えは最初から決まっていた。
「ええ、ライツの血に、そして我が主の下に誓います。私は如何なる結果も受け止め、ミカエラ様の苦しみを支え、この場で見る事の全てに口を閉ざしましょう」
アウレニアが心と記憶に刻む様にそう言うと、セシリアは頷き一つでそれに応え、間も置かずにミカエラへと両手を翳した。光に流れが生まれ、それは次第に渦へと変わっていく。渦の中心はミカエラだ。光がミカエラへと体当たりの様に迫り、何かに弾かれて離れていく。それを激流の中で幾度と繰り返す。光の殺到する量が爆発的に増加し続け、いつしかミカエラの身体を光が覆い隠す程になっていた。それでも光は止まらず、尚もミカエラへと向かい続ける。
直視に耐え兼ね、エリスが視線を逸らしてからどれ程だったか。気付けば光は収まり、ミカエラの身体は光から解放されていた。代わりに身体の少し上の空間に、ふわふわと黒い何かが浮いている。エリスは直感した。あれこそが、あの名状し難き黒い何かこそ、生者を貶め、意思無き人形へと作り変える毒であると。
「こんなのは、いらない」
セシリアが翳していた両手の内左手を黒い何かへと向け、手をぎゅっと握り込んだ。すると、黒い何かも握り潰されたかの如く散り散りとなり、虚空へと一瞬で掻き消えた。それを見届けた後に、室内を満たしていた光達も薄れ消えた。
「ミカエラ様は、どうなったのですか」
治療の行程が全て終わったと見受け、アウレニアは閉じていた口を開く。その声色にはやはり不安の色が濃く出ており、彼女の内心が如何なる物かが窺える。それが分かっているからこそ、安心させる為にだろう。セシリアは努めて、明るい声色で結果を告げた。
「ゾンビパウダーは身体から九割近く取り除けたよ。概ね、身体面での影響は無いかな」
「よ、良かったぁ……」
心の底から安堵の溜息を吐くアウレニアは、今日見て来た彼女の中で一番可愛らしい姿だった。張り詰めていた気が緩み、ヴァレニウスの侍女としてではなく、一個人としての歓喜だったからこその隙だろう。エリスもセシリアもそこを指摘する気にはなれず、寧ろその姿の方が好ましく思えた位だった。――兄が見ていれば、また何か違う感慨を抱いていたのかもしれない。
「ん、ん……」
「っ! ミカエラ様、大丈夫ですか?」
もっとも、腕の中で主が身動ぎしたのを感じ取った瞬間、アウレニアは侍女としての仮面を被り直してしまった。感情こそ同じでも、その雰囲気たるや大違いである。
「ああ、アウレニアか。随分と、久しぶりな気がするな。そしてどうやら、迷惑を掛けたようだ」
「いえ、そんな事は……。私はただ、ミカエラ様が戻って来てくれただけで……」
最後まで言い切る前に、アウレニアは嗚咽に言葉を途切れさせてしまう。それに苦笑しながら、ミカエラは自分を覗き込む二人にも視線を向けた。
「どうやら貴方達にも迷惑を掛けたようだ、礼を言う」
身体を起こし、立ち上がったミカエラはエリス達に頭を下げる。その姿が余りに自然で淀み無い所作であった為に、エリスもセシリアもミカエラの行動を止められなかった。ミカエラは東部の騎士団長であり、尚且つ王国内の有力貴族の当主である。ミカエラに頭を下げさせたなど周囲に知れれば、如何なる目で見られるか。
――そうで無くても、感謝が欲しくてやったのでは無い。
「「あ、頭を上げて下さい。私達は感謝が欲しくてやったんじゃないですから」」
あたふたと狼狽しながら、必死に紡いだ言葉がエリスとセシリアで重なる。その響きに顔が見えないミカエラの方から小さな微笑が漏れ、それから彼女は頭を上げた。その顔にはしっかりと笑みが浮かんでいたが、頭が上がり切る頃には元の凛然とした面持ちに戻っていた。
「ふむ、貴方達の心は嬉しいのだが、助けられた身としては何か恩返しでもせねば気が済まない。何か無いのだろうか?」
「それなら、一つ。あなたの騎士団を止めてはくれませんか?」